| 訓読 |
3208
久(ひさ)にあらむ君を思ふにひさかたの清き月夜(つくよ)も闇(やみ)のみに見ゆ
3209
春日(かすが)なる御笠(みかさ)の山に居(ゐ)る雲を出(い)で見るごとに君をしぞ思ふ
3210
あしひきの片山雉(かたやまきざし)立ち行かむ君に後(おく)れてうつしけめやも
3211
玉の緒(を)の現(うつ)し心(ごころ)や八十楫(やそか)懸(か)け漕ぎ出(で)む船に後(おく)れて居(を)らむ
3212
八十楫(やそか)懸(か)け島隠(しまがく)りなば我妹子(わぎもこ)が留(と)まれと振らむ袖(そで)見えじかも
| 意味 |
〈3208〉
旅に出て当分帰れそうもないあなたのことを思うと、この清らかな月の夜も、まるで闇夜を見ているようです。
〈3209〉
春日野の御笠の山にかかっている雲。その雲を門に出て見るたびに、旅先のあなたのことが思われてなりません。
〈3210〉
片山に棲む雉が、不意に飛び立っていったかのようにあなたに旅立たれ、取り残された私はどうして正気でいられましょうか。
〈3211〉
正気のままでいられましょうか。多くの櫂を懸けて漕ぎ出す船に取り残されて。
〈3212〉
船が多くの櫂をつけて漕ぎ出したが、島の向こうに隠れてしまったら、妻が振って引き留める袖も見えなくなってしまうだろうなあ。
| 鑑賞 |
3208~3210は、作者未詳の「別れを悲しむ」歌3首。3208の「久にあらむ」は、久しくいるであろう、(別れが)長く続くであろうということ。「ひさかたの」は「月夜」の枕詞。「闇のみに見ゆ」は、闇とばかり見える、闇にしか見えない。原文「闇夜耳見」で、ヤミノヨニミユ、ヤミノミニミツなどと訓むものもあります。夫が旅立つ前夜に妻が贈った歌とされます。明るい月夜に対する視覚が、愛する人がいない未来を思う絶望によって完全に反転し、かえって自分の孤独を浮き彫りにする残酷なもの、あるいは色彩を失った虚無の闇として映るのです。窪田空穂は、「『久にあらむ君を思ふに』と、全体として胸に映っている夫をおおまかに言い、一転して『清き月夜も闇のみに見ゆ』と、気分化してある飛躍は要を得たものである。一首の調べも、昂奮した情を抑えた、強く澄んだものとなっていて、気分と調和している。すぐれた歌である」と評しています。
3209の「春日なる」は、春日にある。「春日」は、平城京の東方一帯の地名。「御笠の山」は、その山裾に春日大社がある標高283mの円錐形の山。「居る雲」は、かかっている雲。「出で見るごとに」は、家の外に出て、その風景が目に入るたびに、という意味。特定の儀式的な別れの場面ではなく、繰り返される日常のひとコマであることを強調しています。「君をしぞ思ふ」の「し・ぞ」は共に強意の助詞で、作者の思いの深さを強めています。京に住み、夫を遠い旅に遣っている女の歌とされます。
3210の「あしひきの」は「山」の枕詞。「片山雉」の「片山」は、平野側の方にだけ傾斜面のある山。孤立した山と見る説もあります。「雉」は、そこにいる雉。上2句は、雉が飛び立つ意で「立ち行く」を導く序詞。「立ち行かむ君に後れて」は、旅立つであろう君に後に残されて。「うつしけめやも」の「うつし」は、正気であること、この世の生身の人間であることを指します。「〜けめやも」は、〜だろうか、いや、そんなはずはないという強い反語を表し、正気でいられるはずがないという極限の絶望を意味します。ひとりぼっちになる寂しさを雉に寄せて歌っており、伊藤博は、「相手にしっかりするように言われて詠んだ歌か」と言っています。なお、狭野弟上娘子の「春の日のうら悲しきにおくれゐて君に恋ひつつ現(うつ)しけめやも」という歌(巻第15-3752)は、3210を模倣したものだといいます。斎藤茂吉によれば、当時の歌人等は、家持などを中心として、古歌を読み、時にはかく露骨に模倣したことが分かり、模倣心理の昔も今もかわらぬことを示している、といいます。
3211・3212は、作者未詳の「問答歌(問いかけの歌とそれに答える歌によって構成される唱和形式の歌)」。3211の「玉の緒」は「現し心」の枕詞。通常は、乱れるとか、絶ゆ、長いとか短いとかにかかりますが、「現し心」にかかるのは集中2例。ここは、魂の緒の意で、現実の心、正気を意味する「現し心」にかかるとされます。「や」は、反語で、正気でいられようか、いられそうもない。「八十楫懸け」は、多くの楫を舷側に取り付けてで、官人の乗る大船が漕ぎ出す様子を表しています。別れの時が、非常に力強不可逆的に進んでいく様子を視覚的に捉えており、眼前の船が遠ざかるにつれ、自分の心も引き裂かれていく絶望感を表現しています。夫が地方官などに任ぜられ、難波津から出航するのを見送りに来た妻の訴えの歌とされます。
3212は、それに答えた夫の歌。「島隠りなば」は、島に隠れてしまったならば。「留まれと振らむ袖」は、去る人を招き返す、魂だけでもつなぎとめようとする古代の呪術による動作。「見えじかも」の「かも」は詠嘆で、見えなくなってしまうのだろうなあ。妻の切ない訴えに対し、自分もこんなに不安な気持ちでいるのだと返しています。窪田空穂は、「『吾妹子が留れと振らむ袖見えじかも』は、可憐な情趣を惜しむ意で、それも想像してのものであるから、むしろ甘いものである。松浦の佐用比売を連想させる言葉である。問に対して変化と甘美とを旨とした答である」と評しています。

上代の暦法
和語の「こよみ」とは「日(か)読み」の意であり、日を数えることを原義とする。『日本書紀』には、欽明天皇15年(554年)2月および推古天皇10年(602年)10月に暦の伝来に関する記述を見るが、実際の暦法の採用は、持統天皇4年(690年)11月の勅命(「勅を奉りて元嘉暦〈がんかれき〉と儀鳳暦〈ぎほうれき〉とを行ふ」)によるものと考えられている。持統天皇6年の元嘉暦施行以後、上代関係の暦の施行は、文武天皇6年の儀法暦施行、天平宝字8年(764年)の大衍暦(たいえんれき)施行をあげることができる。
元嘉暦・儀鳳暦・大衍暦は、一般に太陰太陽暦よ呼ばれる。月の運行を単位として朔月(さくげつ)から次の朔月までを1か月とし、12か月を1年とするが、それでは太陽の運行による実際の季節の推移が暦より遅れるため、閏(うるう)月を置き1年を13か月とする年を設けて、実際の季節の推移に合せようとするものである。閏月は19年に5回と9年に2回を組み合わせて置かれ、二十四節気の中気を含まない月を閏月とし、その前月と同じ月とした。二十四節気は、太陽の運行にしたがって、冬至から翌年の冬至までを24等分し、12の中気と12の節気を交互にとったものである。
『万葉集』の季節の歌には春の到来・秋の到来をうたう歌が圧倒的に多く、夏・冬の到来をうたう歌がきわめて少ないこと、春・秋を対とする対句表現が歌謡を含めて普遍的にみられることから、農耕社会であった日本古来の季節意識は春・秋の二分法だったのではないかという推測もなされている。少なくとも、季節が粛々と流れていく暦法の季節意識とは異なる意識であったことは確かであろう。
~『万葉集ハンドブック』/三省堂から引用
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