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巻第12(索引)万葉集(掲載歌の索引)古典に親しむ

『万葉集』巻第12-3213~3216

訓読

3213
十月(かむなづき)しぐれの雨に濡れつつか君が行くらむ宿(やど)か借るらむ
3214
十月(かむなづき)雨間(あまま)も置かず降りにせばいづれの里の宿か借らまし
3215
白栲(しろたへ)の袖(そで)の別れを難(かた)みして荒津(あらつ)の浜に宿(やど)りするかも
3216
草枕(くさまくら)旅行く君を荒津(あらつ)まで送りぞ来(き)ぬる飽(あ)き足(だ)らねこそ

意味

〈3213〉
 十月の冷たいしぐれの雨に濡れながら、あなたは今ごろ旅を続けておられるのかな、それともどこかで宿を借りておられるのかな。
〈3214〉
 寒い十月だというのに、晴れ間なく雨が降り続いたなら、いったいどこの里の宿を借りたらよいのか。
〈3215〉
 このままあの子と袖の別れをする気になれず、荒津の浜でもう一夜、舟を出さずに宿を取ることにした。
〈3216〉
 遠く旅立って行かれるあなたを見送りに、とうとう荒津までやって来てしまいました。なかなか別れがたくて。

鑑賞

 作者未詳の「問答歌(問いかけの歌と、それに答える歌によって構成される唱和形式の歌)」2組。3213は女の歌。3214は男の答えた歌。3213の「十月(旧暦)」は、現在の11月ごろに当ります。「しぐれ」は、降ったりやんだりする晩秋から初冬の雨で、不安定な心情の象徴。「濡れつつか」の「か」は、疑問。「行くらむ」「借るらむ」の「らむ」は、現在推量。目の前にいない相手の状況を二通りに想像することで、「どうしているだろうか」と落ち着かない作者の揺れ動く心が表現されています。

 
3214の「雨間も置かず」は、雨の止み間もなく、という意味。「雨間」は、雨と雨の間、雨の止んでいる間。しぐれは本来、降ったり止んだりするのが特徴ですが、それが絶え間なく降るという極端な仮定を置くことで、旅の困難さを強調しています。「降りにせば~宿か借らまし」の「せば~まし」は、反実仮想。疑問の係助詞「か」を伴う場合は、どう行動すべきか思い迷う気持を表すと言います。「いづれの里の」という言葉には、土地勘のない場所を彷徨う不安が凝縮されています。

 3215は男の歌。3214は女の答えた歌。
3215の「白栲の」は、楮(こうぞ)などの樹皮の繊維で織った白い布のことで、「袖」の枕詞。「袖の別れ」は、共寝をして互いに交した袖を解き放して別れることで、男女の別れの表現。「別れを難みして」の「難み」は「難し」のミ語法に動詞「す」を伴ったもので、困難に思って、辛いと思って。「荒津」は、福岡市中央区西公園付近にあった港。当時は大宰府の外港で、遣新羅使などの外交船や官船が発着していました。「宿りするかも」の「かも」は、詠嘆。宿りと言っても、立派な宿屋などではなく、浜辺での野宿に近い、感傷的な足止めを意味しています。

 
3216の「草枕」は「旅」の枕詞。「送りぞ来ぬる」は、「ぞ〜ぬる」という強意の結びによって、自分の意志を抑えきれずに足が動いてしまったという一途な行動を示しています。原文「送来」で、オクリキヌレド、オクリゾキツルなどと訓むものもあります。「飽き足らねこそ」は「飽き足らねばこそ」の古格で、下に「あらめ」などの句が略されています。とても満足できないので。荒津から船出する男は、大宰府の任が解けて帰京する官人であり、再会のあてのない旅立ちだったとみられます。女は誰だかわかりませんが、妻ではなく、大宰府あたりの遊行女婦だったかもしれません。



相聞歌の表現方法

『万葉集』における相聞歌の表現方法にはある程度の違いがあり、便宜的に3種類の分類がなされています。すなわち「正述心緒」「譬喩歌」「寄物陳思」の3種類の別で、このほかに男女の問と答の一対からなる「問答歌」があります。

  • 正述心緒
    「正(ただ)に心緒(おもひ)を述ぶる」、つまり何かに喩えたり託したりせず、直接に恋心を表白する方法。詩の六義(りくぎ)のうち、賦に相当します。
  • 譬喩歌
    物のみの表現に終始して、主題である恋心を背後に隠す方法。平安時代以後この分類名がみられなくなったのは、譬喩的表現が一般化したためとされます。
  • 寄物陳思
    「物に寄せて思ひを陳(の)ぶる」、すなわち「正述心緒」と「譬喩歌」の中間にあって、物に託しながら恋の思いを訴える形の歌。譬喩歌と著しい区別は認められない。 

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古典に親しむ

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