| 訓読 |
3225
天雲(あまくも)の 影さへ見ゆる 隠(こも)りくの 泊瀬(はつせ)の川は 浦(うら)無(な)みか 舟の寄り来(こ)ぬ 磯(いそ)無(な)みか 海人(あま)の釣(つり)せぬ よしゑやし 浦は無くとも よしゑやし 磯は無くとも 沖つ波 競(きほ)ひ漕入(こぎ)り来(こ) 海人の釣船(つりぶね)
3226
さざれ波(なみ)浮きて流るる泊瀬川(はつせがわ)寄るべき磯のなきがさぶしさ
| 意味 |
〈3225〉
空に浮かぶ雲の影までくっきり映し出す泊瀬の川は、よい浦がないので舟が来ないのか、それともよい磯がないので海人が釣りをしないのか。たとえよい浦がなくてもかまわない、よい磯がなくてもかまわない。沖から寄せてくる波のように、競って漕いで来い、海人の釣船よ。
〈3226〉
水面にさざ波を浮かべて流れる泊瀬川、そんな川なのに、舟を漕ぎ寄せて釣りをする磯のないのが寂しい。
| 鑑賞 |
泊瀬川を海に見立ててほめている作者未詳の長歌と反歌。3225の「天雲の影さへ見ゆる」の「さへ」は、添加の意。水面に映る天空の雲の影を詠んでおり、その神聖さを讃える集中唯一の表現となっています。「隠(こも)りくの」の「く」は所の意で、泊瀬は山に囲まれた所であるところから「泊瀬」にかかる枕詞。「泊瀬の川」は、奈良県桜井市初瀬の北方の山中から三輪山の南を流れる川。「浦無みか」の「無み」は「無し」のミ語法で、浦が無いゆえか。「磯無みか」は、磯が無いゆえか。「浦」や「磯」は、本来は海に係る語ですが、海に接する機会の少ない大和の人々は、憧れの心から池や川を海に擬してこのような称を用いています。「よしゑやし~とも」は、たとえ~とも構わない。「沖つ波」は、沖の波。実景説と枕詞説とがあります。
この歌について、窪田空穂は次のように述べています。「この歌で問題になるのは、『浦無みか』以下の8句である。これは巻2(131)人麿が石見国から、妻に別れて京に上る時の歌の起首の、『石見の海 角の浦廻を、浦なしと人こそ見らめ、潟なしと人こそ見らめ、よしゑやし浦はなくとも、よしゑやし潟はなくとも』と、明らかに関係を持ったものだからである。多分この部分を襲用したものであろう。しかしこの作者は、これらの句をこなしきって、『沖きつ浪』以下、簡潔な、力あり、躍動ある句で結んでいるところ、その手腕を思わせるものがある。藤原朝時代の、教養あり、浪漫的 気分の豊かな人の作と思われる」
3226の「さざれ波」は、小さな波、さざれ波。上3句は「寄る」を導く譬喩式序詞。「寄るべき磯」は、舟を寄せて釣りのできそうな磯。「さぶしさ」の「さぶし」は「さびし」の古形で、心楽しまないこと。泊瀬川に臨む貴人の邸宅などで、酒宴に際して詠まれた歌だろうとされます。

『万葉集』に出てくる土地
『万葉集』に出てくる土地は、北海道と青森・秋田・山形・岩手・沖縄の5県にはありませんが、その他は国内全土に及び、その地名の数は延べ約2,900、同一呼称の地名を一つに数えると約1,200になります。その中で、大和の国(奈良県)の地名数が延べ約900、同一呼称を一つに数えると約300の多数にのぼります。万葉の時代にあたる、舒明天皇以後、淳仁天皇の天平宝字3年(759年)まで130年間、都が一時、難波・近江・山城に遷ることはあったものの、あとは全部大和一国のなかにありましたから、当然といえます。その大和の万葉の舞台は、今の奈良県のなかの、初瀬・桜井の一帯、山の辺の道一帯、飛鳥から大和三山の間の藤原京の地域、宇陀郡地域、葛城・宇智方面、吉野川流域、奈良市周辺、生駒・竜田の地域などに大体分けられます。
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