| 訓読 |
3234
やすみしし わご大君 高照(たかて)らす 日の皇子(みこ)の 聞こし食(を)す 御食(みけ)つ国 神風(かむかぜ)の 伊勢の国は 国見ればしも 山見れば 高く貴(たふと)し 川見れば さやけく清し 水門(みなと)なす 海もゆたけし 見渡しの 島も名高(なだか)し ここをしも まぐはしみかも かけまくも あやに畏(かしこ)き 山辺(やまのへ)の 五十師(いし)の原に うちひさす 大宮仕(おほみやつか)へ 朝日なす まぐはしも 夕日なす うらぐはしも 春山の しなひ栄えて 秋山の 色なつかしき ももしきの 大宮人(おほみやひと)は 天地(あめつち)と) 日月(ひつき)とともに 万代(よろづよ)にもが
3235
山辺(やまのへ)の五十師(いし)の御井(みゐ)はおのづから成れる錦(にしき)を張れる山かも
| 意味 |
〈3234〉
天の下を支配される我が大君、高く天の上を照らされる日の御子、その大君が御食(みけ)つ国としてお治めになっている、神風の吹く伊勢の国は、見渡せば山は高く貴い、川は澄んで清らかだ。入江の海は広々と、はるかに見える島々も立派な名前を持っている。そんなところを見事だと思ってか、口に出すのも恐れ多い山辺の五十師(いし)の原の大宮を営まれ、朝日のように麗しく、夕日のように心地よい、春山の木々のように生気にあふれ、秋山のように上品な大宮人は、天地、月日とともに、永久に変わらずにありがたいことだ。
〈3235〉
山辺の五十師の御井は、自ずから織り成した錦で、飾られている山であるよ。
| 鑑賞 |
持統天皇の伊勢国行幸の折に、従駕の官人が個人的に詠んだ歌とされます。行幸の時期については、持統6年(718年)3月の伊勢行幸、大宝2年(702年)10月の上皇としての三河行幸が考えられています。
3234の「やすみしし」「高照らす」は、それぞれ「わご大君」「日の皇子」の枕詞。「日の皇子」は日神の子孫の意で天皇・皇子を指します。「聞こし食す」は、お治めになる。原文「聞食」で、キコシメスと訓む説もあります。「御食つ国」は、天皇の御食料を捧げる国。「神風の」は「伊勢」の枕詞。「国見ればしも」の「しも」は、強意。この句は定型長歌としては破調であり、諸説ありますが割愛します。「さやけく清し」の「さやけし」と「清し」の違いについては、キヨシが対象の汚れのない状態をいう場合が多いのに対し、サヤケシはその対象から受ける情意・感覚についていう場合が多いとされます。「水門なす」は、港のような形の。「ここをしも」の「しも」は、強意。「まぐはしみ」は、麗美だとして。「かけまく」は、口に出して言うこと。「あやに」は、言いようがないほど。「山辺の五十師の原」は、諸説あり所在未詳。「うらぐはし」は、麗しい。「しなひ栄えて」の「しなふ」は、木の枝などが自らの重みでたわむこと。「うちひさす」は「宮」の枕詞。「ももしきの」は「大宮人」の枕詞。「もが」は、願望。
3235の「御井」は、水を汲むところ、井戸、泉。「おのづから成れる錦」は、自然にできた錦。春の花や秋の紅葉の譬喩ですが、そのどちらかは不明。「張れる山」は、張り渡している山。「かも」は、詠嘆。御井を褒めることによって大宮を褒め、ひいては天皇を賛美するものになっていますが、「御井は・・・山かも」という続きは飛躍のある言い方になっています。

日の皇子
「日の皇子」は、日神の子孫の意で、天皇・皇子を指します。「高照らす日の皇子」という表現は、古事記歌謡の「高光る日の御子」を踏まえて、柿本人麻呂によって創始されました。天皇即神観の高揚のためのもので、これによって対象への敬意や賛美性が高められたのです。集中においては、天武・持統・文武の3天皇、および長・弓削・新田部の天武天皇の皇子についてのみ用いられています。
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ゐ(井)
ヰ(井)とは、人が水を得るための場、あるいは施設を言う。水は生活用水を対象とするが、特別な場合には宗教的行事にも用いられた。「井」は井桁をもつ掘り抜き井戸を想像しがちだが、川や池に設けられた水場、水が湧き出る場所などもすべて「井」と呼ばれた。
古代の人々の観念世界においては、水がほとばしり出る場、水の激(たぎ)ち流れる場は、聖なる場とされた。「井」の水も絶えず溢れ出ているから、そうした「井」は聖所とされ、その水は聖水とされた。
~『万葉語誌』から引用
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古典に親しむ
万葉集・竹取物語・枕草子などの原文と現代語訳。 |