| 訓読 |
3266
春されば 花咲きををり 秋づけば 丹(に)の穂(ほ)にもみつ 味酒(うまさけ)を 神奈備山(かむなびやま)の 帯(おび)にせる 明日香(あすか)の川の 速き瀬に 生(お)ふる玉藻(たまも)の うち靡(なび)き 心は寄りて 朝露(あさつゆ)の 消(け)なば消(け)ぬべく 恋ひしくも 著(しる)くも逢へる 隠(こも)り妻(づま)かも
3267
明日香川(あすかがは)瀬々(せぜ)の玉藻(たまも)のうち靡(なび)き心は妹(いも)に寄りにけるかも
3268
三諸(みもろ)の 神奈備山(かむなびやま)ゆ との曇(ぐも)り 雨は降り来(き)ぬ 天霧(あまぎ)らひ 風さへ吹きぬ 大口(おほくち)の 真神(まかみ)の原ゆ 思ひつつ 帰りにし人 家に至りきや
3269
帰りにし人を思ふとぬばたまのその夜(よ)は我(わ)れも寐(い)も寝(ね)かねてき
| 意味 |
〈3266〉
春がやってくると枝もたわわに花が咲き乱れ、秋になると真っ赤に黄葉する神奈備山。その神奈備山が帯にしている明日香川の、早瀬に生える玉藻が流れに靡くように、心はひたすら靡き寄り、朝露のように、消えるなら消えてもよいと恋した甲斐があって、今やっと逢えたよ。私の隠し妻に。
〈3267〉
明日香川の瀬々に生えている玉藻のように、私の心はすっかり妻に靡いてしまった。
〈3268〉
三諸の神奈備山から一面にかき曇り、やがて雨が降り出した。あたりは霧に包まれ、風も吹いてきた。真神の原を、私のことを思いつつ帰っていった人は、無事家に着いただろうか。
〈3269〉
帰っていった人のことを思い、その夜は寝るに寝られなかった。
| 鑑賞 |
作者未詳の長歌・短歌2組。3266・3267は、恋しくてならない妻とようやく逢えた喜びを歌った歌。3266の「春されば」は、春になると。「咲きををり」は、花の重みで枝がたわみ。「秋づけば」は、秋に入れば。「丹の穂に」のニノホは丹の秀で、赤の美しいこと。「もみつ」は、黄葉する。「味酒を」は「神奈備山」の枕詞。「神奈備山」は、神が降臨する山。「明日香の川」は、奈良県明日香村の中央部を北流して大和川に合流する川。「生ふる玉藻の」までの上10句は「うち靡き」を導く譬喩式序詞。「朝露の」は「消」の枕詞。「消なば消ぬべく」は、消えるなら消えてもよい、死ぬなら死んでもよい、の意。「恋ひしくも著くも」は、恋い焦がれた甲斐があって。「隠り妻」は、人目を憚って隠れている妻。「かも」は、感動。
3267の上2句は長歌の10句を2句に簡約したもので、「うち靡き」を導く譬喩式序詞。万葉人は、川の水流に靡きもつれあう藻に、共寝の姿、乱れる女性の黒髪など、官能的なイメージを抱いていたようです。なお、ここの歌のように、妻に逢えた喜びを歌った歌は、意外にも集中に少なく、わずか10首前後に過ぎず、その内で隠り妻に逢うのはここだけだと言います。
3268・3269は、女のもとから、男が、夜のうちに荒れ模様の天気にもかかわらず帰って行ったため、翌朝に消息を心配して贈った歌です。3268の「三諸の神奈備山」は、神が天から降りてきて宿る山。「ゆ」は、起点・経由点を示す格助詞。「との曇り」は、空が一面に曇り。「天霧らひ」は、空一面に雲が広がって。「大口の」は「真神」の枕詞。「真神の原」は、明日香村にある飛鳥寺の南方一帯。大和国風土記によれば、明日香に老狼が出て、多くの人を食ったので、人々が畏れて、その狼の住む所を大口の真神の原と呼んだといいます。「思ひつつ帰りにし人」は、私を思いつつ帰って行った人。窪田空穂はこの歌について、「小味な作ではあるが、味わい深いものである」と述べています。
3269の「ぬばたまの」は「夜」の枕詞。「寐も寝かねてき」の「寐」は、眠りの意の名詞。「かね」は、不可能の意を表す補助動詞「かぬ」の連用形。「て」は、完了の助動詞「つ」の連用形。「き」は、回想の助動詞。

つま(妻・夫)
ツマとは、本体に対して添えられている物の意である。現代語では、母屋に対してその脇にある建物を「妻屋」といい、刺身に添えられている大根の千切りを「刺身のつま」ということなどに、その意味が受け継がれている。夫婦関係の呼称としては、男性を主体とする場合には、今言うところの「妻」を、女性を主体とする場合には、今言うところの「夫」を指す呼称であった。つまり「配偶者」という言葉が最もよく当てはまる。
類義語であるイモ・セが当事者同士の愛情の上に成り立つ呼称であるのと比べると、ツマは夫婦関係であることが社会的に認知されている男女をいうのが基本である。
『万葉集』の用例では、現代と同じく女性の妻を指すものがやはり多いが、女性から夫を指す例もしばしば見られる。
~『万葉語誌』から引用
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