| 訓読 |
3274
為(せ)むすべの たづきを知らに 岩が根の こごしき道を 岩床(いはとこ)の 根延(ねば)へる門(かど)を 朝(あした)には 出(い)で居(ゐ)て嘆き 夕(ゆふへ)には 入り居て偲(しの)ひ 白たへの 我(わ)が衣手(ころもで)を 折り返し ひとりし寝(ぬ)れば ぬばたまの 黒髪(くろかみ)敷きて 人の寝(ぬ)る 味寐(うまい)は寝(ね)ずて 大船(おほぶね)の ゆくらゆくらに 思ひつつ 我(わ)が寝(ぬ)る夜(よ)らを 数(よ)みもあへむかも
3275
ひとり寝(ぬ)る夜(よ)を数へむと思へども恋の繁(しげ)きに心どもなし
| 意味 |
〈3274〉
どうしてよいのか、取っ掛かりも分からず、岩のごつごつした道なのに、どっしりした岩床のような門口なのに、朝にはその道に佇んで嘆き、夕方には門の中に籠って偲び、着物の袖を折り返してひとり寝るばかりで、折り返した袖に黒髪を敷いて人様のように楽しく共寝をすることもなく、ゆらゆら揺れる大船のように、あれやこれやと思いつつ独り寝る夜は、とても数え切れるものでない。
〈3275〉
独り寝の夜を数えようと思うけれど、恋の苦しさに、とてもそんな気になれない。
| 鑑賞 |
長く続く独り寝を嘆く女の歌。3274の「すべのたづき」は、頼るべき手段。「知らに」は、知らず。「岩が根」は、大きな岩。「こごしき」は、ごつごつして険しい。「岩床」は、岩の平らな面。「白たへの」は「衣手(袖)」の枕詞。「折り返し」は、思う人に直接逢いたい時にとった行為、あるいは思う人を夢に見たいとする呪術。「ひとりし」の「し」は、強意の副助詞。「ぬばたまの」は「黒髪」の枕詞。「黒髪敷きて」は、結髪をほどいて床に長く伸ばすこと。「大船の」は、ゆらゆらとの意の「ゆくらゆくら」にかかる枕詞。「味寐」は、共寝をし心が満たされて寝ること。「数みもあへむかも」の「かも」は、反語的詠嘆で、数えあげることができるだろうか、できない。この歌は、本巻の挽歌の部にある3329の歌の後半とほとんど同じであることが指摘されています。
3275は、長歌の結句「数みもあへむかも」を受けて、さらに強めて繰り返しています。「心ど」は、気力、しっかりした心。長歌は独り寝の夜の数の多さを言っているのに対し、反歌は数える気力のないことを言っています。

とこ(床・常)
トコは、不動・不変であることを意味する語。永遠いに堅固で聖なる存在に対する讃美の意を含み持つ。『万葉集』には「床」「常」が見える。「床」は、堅固な土台が原義で、「所」と同根の語とされる。[基礎語]は「高く盛り上がって平らな場所、安定した不変の基盤をいう」と説明する。「岩床」が、この原義をよく示している。ただし、『万葉集』では寝床のことを指すトコの例が圧倒的に多い。
寝床のトコは、屋内の床に筵(むしろ)などの敷物を敷いて一段高く仕切ったものであったらしい。敷物で仕切るのは、聖なる特殊空間を作り出す結界の意味があった。「崇神記」には、天皇が神託を得るために「神牀(かむどこ)」に休むという記事がある。この「神牀」は、天皇が夢で神託を得るために潔斎して寝るトコをいう。ここから、トコが神と交わるための神秘的な聖なる空間であったことが窺える。『万葉集』にも、トコと潔斎との関係を示す例がある(巻第17-3927)。
男女の共寝は、神が巫女のもとに来臨する神婚幻想と重ねて捉えられた。よって、共寝はトコの上で行われた。共寝のトコは、「夜床」「小床」「玉床」などとも呼ばれた。「小床」の「ヲ」は、親愛を表す接頭辞。また、「玉床」のタマは美称だが「魂」の意も重ねられており、ここには、相手の魂が共寝のトコに残るとする俗信がある。
「常」は「床」と同根の語で、永遠や不変を意味するようになった。接頭語としてさまざまな語に付き、永久不変の様を祝福讃美する意の複合語を形成する。「常処女」「常滑」「常闇」など。特に強い讃美性を有する語に、「常磐(ときは)」「常葉(とこは)」「常世(とこよ)」がある。
~『万葉語誌』から抜粋引用
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巻第13と長歌について
これについて、窪田空穂は次のように述べています。――長歌の多いことは本集の特色をなしていることであるが、しかし時代的に見ると、その長歌は一路後退の路をたどっている。長歌の代表作家である柿本人麿にしても、その若い頃の作品集である「柿本朝臣人麿の歌集」と断わられている物の中には、莫大な数の短歌と旋頭歌があるにもかかわらず、長歌はわずかに三首あるのみで、その二首が本巻に収められていることによっても、その大勢はうかがわれるのである。奈良朝時代に入っての長歌の隆盛は、復古を意識してのもので、自然の要求よりのものとは言い難いものである。
そうした長歌に対し、これを特に愛好し、蒐集していた人々があって、断片的な形において残していた物のあるのを資料とし、集大成してこの一巻としたということは、それらの人々の志を遂げしめるとともに、本集の一つの光輝である。本巻は集中にあっても興味深い存在である。――
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古典に親しむ
万葉集・竹取物語・枕草子などの原文と現代語訳。 |