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巻第13(索引)万葉集(掲載歌の索引)古典に親しむ

『万葉集』巻第13-3297~3300

訓読

3297
玉たすき 懸(か)けぬ時なく 我(あ)が思ふ 妹(いも)にし逢はねば あかねさす 昼はしみらに ぬばたまの 夜(よる)はすがらに 寐(い)も寝ずに 妹(いも)に恋ふるに 生けるすべなし
3298
よしゑやし死なむよ我妹(わぎも)生けりともかくのみこそ我(わ)が恋ひわたりなめ

3299
見渡しに 妹(いも)らは立たし この方(かた)に 我(わ)れは立ちて 思ふ空 安(やす)けなくに 嘆く空 安けなくに さ丹塗(にぬ)りの 小舟(をぶね)もがも 玉巻きの 小楫(をかぢ)もがも 漕(こ)ぎ渡りつつも 相(あひ)言ふ妻を

3300
おしてる 難波(なには)の崎に 引きのぼる 赤(あけ)のそほ舟 そほ船に 綱(つな)取り懸(か)け 引(ひ)こづらひ ありなみすれど 言ひづらひ ありなみすれど ありなみ得ずぞ 言はれにし我(あ)が身

意味

〈3297〉
 心に懸けぬ時なく私が思い続けているあの子に逢えなくて、昼は終日、夜は夜通し眠れないまま恋い焦がれているものだから、この先どう生き続けたらよいか分からない。
〈3298〉
 いっそ死のうか、わが妻よ。生きていても、こんなふうに私は恋い焦がれ続けるだけだろうから。

〈3299〉
 見渡される向こう岸にあなたが立ち、こちらの岸に私は立って、思う心はもどかしく、嘆く心は安くない。丹塗りの小舟がほしい、玉を巻いた梶がほしい、漕いで渡って語り合える妻であるのに。

〈3300〉
 難波の崎に向かって曳き上る朱塗りの舟よ、その舟に綱を懸けて無理に強く引っ張るように、あれやこれやと逆らって否み続けたが、あれやこれやと言い訳をして否み続けたが、逆らい続けることができないように相手に言われてしまった、私は。

鑑賞

 3297の「玉たすき」は「懸け」の枕詞。「あかねさす」は「昼」の枕詞。「しみらに」は、終日。「ぬばたまの」は「夜」の枕詞。「すがらに」は、途切れることなくずっと。「寐も寝ずに」の「寐」は名詞、「寝」は動詞で、眠りにつくこともできない不眠の状態。「生けるすべなし」の「すべ」は、手段、方法。生き続けたらよいか分からない。情熱的で切実な恋の歌であり、愛する人に会えない苦しみと、それゆえに生きる術を失っている絶望感を、伝統的な修辞法(枕詞)を駆使して詠じています。しかし、類句の多い歌であり、また、叙述が形式的、散文的な歌などと評されています。

 3298は、3297の反歌。「よしゑやし」は、ままよ、ええいもう。「生けりとも」は、生きていても。「かくのみ」の「かく」は、長歌の「あかねさす」から「寐も寝ずに」を指します。「恋ひわたりなめ」は、上の「こそ」を受けて「なめ」で結んでいます。「こそ・・・已然形」は逆接の前提句をなしますが、ここは下に「それではたまらない」といった気持が続くとされます。本歌も類歌があるものの、佐佐木信綱は「長歌と異なって、強烈な熱情が遺憾なく発揮せられている」と評しています。

 3299は、彦星の心を詠んだ七夕歌とされます。「見渡しに」は、見渡される遠方に。ここでは川の向こう岸。「妹ら」の「ら」は、接尾語。「立たし」は、立つの尊敬語で、女性に対しての慣用となっているもの。「この方に」は、川のこちら側に。「思ふ空」は、恋い慕う気持ち。「さ丹塗りの」の「さ」は接頭語で、赤く塗った。「もがも」は、願望。「玉巻きの」は、玉を飾った。「小楫」の「小」は、接頭語。「相言ふ妻を」は、語り合える妻であるのに。原文「相語妻遠」で、カタラフツマヲ、あるいは妻は益の誤字だとしてカタラハマシカなどと訓む説もあります。

 この歌と、山上憶良の七夕歌の一首(巻第8-1520)とが似ているとの指摘があります。また、一年間に一度というのではなく、舟と楫さえあればいつでも逢いに行けるかのように歌っているのは七夕歌とは言えないとの意見もあります。なお、左注に、或る本の歌の頭句には「こもりくの 泊瀬の川の をち方に 妹らは立たし この方に 我は立ちて」という、とあります。

 3300は、気の進まない相手からの執拗な求婚に根負けして、身を任せてしまった女の嘆きの歌とされます。「おしてる」は「難波」の枕詞。「難波の崎」は、大阪市上町台地の北端。「綱取り懸け」は、舟を引くために綱を懸けること。「おしてる~綱取り懸け」までの6句が「引こづらひ」を導く譬喩式序詞。「引こづらふ」は、無理に強く引く。「そほ舟」は、赤土で赤く塗った舟。「ありみなす」は、否み続ける。「言はれにし」は、噂を立てられてしまった、との解釈もあります。窪田空穂は、「序詞は特色のあるもので、曳き舟のさまを常に見ていなければいえないものである」と述べており、その地の遊客や遊行女婦たちの間で歌われたものではないかとの見方があります。



国立飛鳥資料館

同館ホームページから引用)

 飛鳥資料館は、日本の心のふるさと「飛鳥」の歴史と文化を紹介する資料館です。
文化財の調査・研究を専門におこなう奈良文化財研究所の展示施設として、昭和50(1975)年に開設されました。

 飛鳥は、古代国家が誕生した場所として広く知られています。592年に推古天皇が豊浦宮に即位してから、694年に持統天皇が藤原京へ遷都するまでの約100年間、飛鳥には天皇の宮殿が継続的に営まれ、政治と文化の中心として栄えました。壮麗な宮殿、石組みの苑池や噴水施設、時を告げる水時計(漏刻)、猿石や亀石などの石造物が造られるとともに、この時代に本格的に広まった仏教寺院の瓦屋根が新しい景観を形づくりました。また、飛鳥時代は石舞台古墳などの古墳が造られていた時代ですが、キトラ古墳・高松塚古墳には大陸風の極彩色壁画が描かれました。東アジアの国際関係のなかで人や文物の盛んな交流があり、さまざまな文化や技術、制度などが飛鳥にもたらされたのです。

 飛鳥を訪れると、なつかしい田園風景の中に、はるか古代の遺跡があちこちに点在しています。目に見えるものだけでなく、飛鳥の地面の下には『日本書紀』や『万葉集』の風景が埋もれています。発掘調査でみつかった遺構や遺物は、埋もれていた歴史を雄弁に語る証人であり、時には謎を問いかけてもきます。

 飛鳥資料館では飛鳥の歴史と文化をわかりやすく紹介しています。皆さんもぜひ飛鳥を訪れ、日本の国や文化がどのように形づくられたのか、古代の歴史や万葉の世界を体感されてみてはいかがでしょうか。
 皆様のご来館をお待ちいたしております。
 

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