| 訓読 |
3310
こもくりの 泊瀬(はつせ)の国に さよばひに 我(わ)が来(き)たれば たな曇(ぐも)り 雪は降り来(く) さ曇(ぐも)り 雨は降り来(く) 野(の)つ鳥(とり) 雉(きぎし)は響(とよ)む 家(いへ)つ鳥 鶏(かけ)も鳴く さ夜(よ)は明け この夜(よ)は明けぬ 入りてかつ寝(ね)む この戸 開(ひら)かせ
3311
こもりくの泊瀬小国(はつせをぐに)に妻(つま)しあれば石は踏めどもなほし来(き)にけり
3312
こもくりの 泊瀬小国(はつせをぐに)に よばひせす 我(わ)が天皇(すめろき)よ 奥床(おくとこ)に 母は寝(い)ねたり 外床(とどこ)に 父は寝(い)ねたり 起き立たば 母知りぬべし 出でて行かば 父知りぬべし ぬばたまの 夜(よ)は明け行きぬ ここだくも 思ふごとならぬ 隠(こも)り妻(づま)かも
3313
川の瀬の石(いし)踏(ふ)み渡りぬばたまの黒馬(くろま)の来る夜(よ)は常(つね)にあらぬかも
| 意味 |
〈3310〉
この泊瀬の国に妻を求めてやってきたところ、空が一面にかき曇り、雪が降ってきて、おまけに雨も降ってきた。野の鳥の雉は鳴き騒ぐし、家鳥のニワトリもけたたましく鳴き立てる。夜は白み始め、とうとうこの夜はすっかり明けてきた。だけど、中に入って寝たいものだ、さあ、この戸を開けて下さい。
〈3311〉
泊瀬の国に妻にしたい女性がいるので、石を踏む険しい道であるが、それでも私はやって来た。
〈3312〉
この泊瀬の国に妻問いをされる我が君よ。奥の寝床には母が寝ていて、入口近くの寝床には父が寝ています。起き出せば母が気づくでしょうし、部屋から出て行けば父が気づくでしょう。ためらううちに夜は明けてきました。ああ、こんなにも思うにまかせぬ隠れ妻の身です。
〈3313〉
川の瀬の石を踏み渡り、あなたが黒馬の背にまたがっておいでになる夜が毎晩であってほしい。
| 鑑賞 |
3310の「こもりくの」は「泊瀬」の枕詞。「泊瀬の国」は、奈良県桜井市初瀬を中心とする地で、泊瀬は聖地とされたため、国と呼ばれました。「さよばひ」の「さ」は接頭語で、求婚すること。「たな曇り」は、空一面に曇って。「さ曇り」の「さ」は接頭語。「野つ鳥」は、野の鳥の意で「雉」にかかる枕詞。「雉」は、キジの古名。「響む」は、鳴き騒ぐ意。「家つ鳥」は、家に飼う意で「鶏」にかかる枕詞。「入りてかつ寝む」の「かつ」は、2つのことが並んで起きることを示す副詞。「開かせ」は「開け」の敬語。この歌の類歌が記紀歌謡にあることから、神や天皇などを主人公とする一連の求婚歌謡の1首と見られています。ただし、逢うべき時を逸する間抜けさ、にもかかわらず「入りてかつ寝む」という性急さ、総じて滑稽さが強調されていると評されています。
3311の「泊瀬小国」の「小国」は、山間の小さな生活圏のこと。「妻しあれば」の「し」は、強意の副助詞。「石は踏めども」の「石」は河原の石。通い路の悩ましさを訴えたもので、誠意を示す意。「なほし」の「し」は強意の副助詞で、やはり。
3312の「こもりくの」は「泊瀬」の枕詞。「よばひ」は、妻問い。「せす」は「す」の敬語。「奥床」は、家の奥の方にある床。「知りぬべし」は、知ってしまうだろう、気づくだろう。「外床」は、家の外側の方の床。「ぬばたまの」は「夜」の枕詞。「ここだくも」は、甚だしくも、大変。「隠り妻」は、通ってくる夫があるのを隠している妻。この歌は両親に内緒で天皇を通わせている女の歌とされ、前の3310の歌と初句~4句が類似していることから、一組の問答となっていることが分かります。しかし、女は男の願いを受け入れておらず、天皇も恋の上では不如意を味わせられたことを示そうとしたとの見方がありますが、いったんは断るのが答歌の型であったともいわれます。
3313の「黒馬」は、訪れる男の乗る馬。夜間に人目につきにくい馬なので、妻問いに利用されたといいます。「常にあらぬかも」の「ぬかも」は、希求。この歌は長歌との繋がりがなく、隠り妻の詠とも思えないことから、後から添えられたものと見られています。また、3310が徒歩で来る趣であるのに、ここでは馬で来ることになっています。
ここの天皇が誰を指すのかについて、泊瀬という地名があるのによれば、雄略天皇にまつわる恋愛伝説の一つとして受け入れられていたのかも知れないとする見方があるほか、日本古典文学全集の『萬葉集』には、「特定の天皇をさすのではない」とあり、さらに「この歌は天皇を主人公とする伝承歌だったのであろう」とあります。

『万葉集』の主な注釈書
(全歌掲載、単独著者による。成立の古い順)
『万葉拾穂抄』 ・・・ 北村季吟(1625~1705年)
『万葉代匠紀』 ・・・ 契 沖 (1640~1701年)
『万葉集略解』 ・・・ 橘 千蔭(1735~1808年)
『万葉集古義』 ・・・ 鹿持雅澄(1791~1858年)
『万葉集新考』 ・・・ 井上通泰(1867~1941年)
『万葉集全釈』 ・・・ 鴻巣盛広(1881~1941年)
『万葉集評釈』 ・・・ 窪田空穂(1877~1967年)
『万葉集全注釈』・・・ 武田祐吉(1886~1958年)
『評釈万葉集』 ・・・ 佐佐木信綱(1872~1963年)
『万葉集私注』 ・・・ 土屋文明(1890~1990年)
『万葉集注釈』 ・・・ 沢濱久孝(1890~1968年)
『万葉集釈注』 ・・・ 伊藤 博(1925~2003年)
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