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巻第13(索引)万葉集(掲載歌の索引)古典に親しむ

『万葉集』巻第13-3339~3343

訓読

3339
玉桙(たまほこ)の 道に出(い)で立ち あしひきの 野(の)行き山行き にはたづみ 川行き渡り 鯨魚(いさな)とり 海路(うみぢ)に出でて 吹く風も おほには吹かず 立つ波も 和(のど)には立たず 畏(かしこ)きや 神の渡りの しき波の 寄する浜辺(はまへ)に 高山を 隔(へだ)てに置きて 浦(うら)ぶちを 枕にまきて うらもなく 臥(ふ)したる君は 母父(おもちち)が 愛子(まなご)にもあらむ 若草(わかくさ)の 妻もあるらむ 家(いへ)問(と)へど 家道(いへぢ)も言はず 名を問へど 名だにも告(の)らず 誰(た)が言(こと)を いたはしとかも とゐ波の 畏(かしこ)き海を 直(ただ)渡りけむ
3340
母父(おもちち)も妻も子どもも高々(たかたか)に来(こ)むと待つらむ人の悲しさ
3341
家人(いへびと)の待つらむものをつれも無き荒礒(ありそ)を巻きて臥(ふ)せる君かも
3342
浦ぶちにこやせる君を今日(けふ)今日(けふ)と来むと待つらむ妻し悲しも
3343
浦波(うらなみ)の来(き)寄する浜につれも無くこやせる君が家道(いへぢ)知らずも

意味

〈3339〉
 道に出で立ち、野を行き、山を行き、川を渡り、海道に出て、吹く風も普通には吹かず、立つ波も穏やかには立たない、恐ろしい神のいます渡海場所の、重なる波が寄せる浜辺に、高い山を壁にし、入江の岸を枕にして、何も気にかけずに横たわっている君、この君は、母や父の愛しい子だろうに、かわいい妻もいるだろうに。なのに、家を尋ねても家への道も言わず、名を問うてもそれさえ言わない。いったい、どなたとの約束を大切に思って、うねり波の恐ろしい海をまっすぐ渡ってきたのだろう。
〈3340〉
 母も父も、妻も子どもも、今に来るだろう今に来るだろうと待ち望んでいる人であろうに、このような姿が悲しくてならない。
〈3341〉
 家の人が待っているだろうに、何のゆかりもない荒磯に横たわっている君であるよ。
〈3342〉
 浦の淵に横たわる君を、今日か今日かと帰りを待っているだろう妻の憐れなことよ。
〈3343〉
 浦波の押し寄せてくる浜に、何の思いもなく横たわっている君の、家への道も分からないことよ。

鑑賞

 3335~3338の「或本の歌」として、題詞に「備後(びんご)の国の神島(かみしま)の浜にして、調使首(つきのおみのおびと)が屍(しかばね)を見て作る」とある歌。「備後の国」は、広島県東部。「調使首」は、伝未詳。渡来系の人か。3339の「玉桙の」「あしひきの」「にはたづみ」「鯨魚とり」「若草の」は枕詞。「おほには吹かず」は、おろそかには吹かず、ふつうには吹かず、で、激しく激甚に吹く様子を表します。「和には立たず」は、穏やかには立たず、のどかには立たず。 「畏きや神の渡り」は、畏れ多い神の通る(危険な)海路。「しき波」は、重なり寄る波。「浦ぶち」は集中他に例のない語で、海辺の深い淵、入江の深くなった所。「うらもなく」は、何も気にかけず、の意で「浦」との掛詞。「とゐ波」は、外海から寄せる高波、または激しい波。この歌と3335・3336との関係について、2首を合体したのが或本歌であるとする説と、或本が分割されて2首になったという説があります。

 3340の「母父」は、父母(ちちはは)のことで、東歌や防人歌に多く見られる東国方言的な表現。「高々に」は、爪先立って待ち望むさま。「来むと」は、(こちらへ)帰って来るだろうと。「待つらむ」の「らむ」は、現在推量。「人の悲しさ」の「人」は、倒れている当事者(旅人)と、その家族の両方の悲劇性を包摂しています。体言止めにより、詠み手の胸に迫る感情が余韻をもって表現されています。

 3341の「家人」は、家にいる人たち、家族。「待つらむものを」は、待っているだろうに、待っているだろうものを。「つれも無き」は、何の縁もない。「巻きて」は、枕にして。古代の表現で、衣服の袖などを枕にすることを「袖まく」と言いますが、ここでは「荒磯(岩石)を枕にして」という痛ましい状況を指します。「君かも」は、あなたであることよ。目の前の死者に対する、詠み手の深い詠嘆と悲しみの呼びかけ。

 3342の「浦ぶちに」は、入り江の縁に。「こやせる」は、横たわっている、ひれ伏して倒れている。「待つらむ」は、待っているだろう。「妻し悲しも」の上の「し」は、強意の副助詞。「悲しも」は、なんと愛おしく、悲しいことか。3343の「浦波」は、海岸に打ち寄せる波。「家道知らずも」は、家へと続く道が分からないことよ。
 


つま(妻・夫)

 ツマとは、本体に対して添えられている物の意である。現代語では、母屋に対してその脇にある建物を「妻屋」といい、刺身に添えられている大根の千切りを「刺身のつま」ということなどに、その意味が受け継がれている。夫婦関係の呼称としては、男性を主体とする場合には、今言うところの「妻」を、女性を主体とする場合には、今言うところの「夫」を指す呼称であった。つまり「配偶者」という言葉が最もよく当てはまる。

 類義語であるイモ・セが当事者同士の愛情の上に成り立つ呼称であるのと比べると、ツマは夫婦関係であることが社会的に認知されている男女をいうのが基本である。

 『万葉集』の用例では、現代と同じく女性の妻を指すものがやはり多いが、女性から夫を指す例もしばしば見られる。

~『万葉語誌』から引用

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