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巻第14(索引)万葉集(掲載歌の索引)古典に親しむ

『万葉集』巻第14-3352~3354

訓読

3352
信濃(しなの)なる須我(すが)の荒野(あらの)にほととぎす鳴く声聞けは時(とき)過ぎにけり
3353
麁玉(あらたま)の伎倍(きへ)の林に汝(な)を立てて行きかつましじ寐(い)を先立(さきだ)たね
3354
伎倍人(きへひと)の斑衾(まだらぶすま)に綿(わた)さはだ入りなましもの妹(いも)が小床(をどこ)に

意味

〈3352〉
 信濃の須我の寂しい野原で、ホトトギスの鳴く声が聞こえる。時はずいぶん過ぎ去っていったのだな。
〈3353〉
 麁玉のこの伎倍の林に見送るお前さんを立たせたまま行くことなどできない。まずはその前に共寝をしようではないか。
〈3354〉
 伎倍人のまだら模様の布団には、綿がいっぱい入っている。その綿のように、私も彼女の床の中に入ることができたらなあ。

鑑賞

 3352は信濃の国(長野県)の歌。国府はもと上田市にありましたが、のちに松本市に移りました。「信濃なる」は、信濃にある。「須我」は、上田市菅平あたりとされます。東歌の中で、風雅の鳥とされるホトトギスを詠んでいるのはこの1首のみで、また「時過ぎにけり」と旅の時間の経過を言っているところから、国司など都人の歌ではないかともいわれます。ただ、この時が過ぎたとはどんな時が過ぎたのか、について諸説あり、京に帰るべき時や、ホトトギスがやって来て農作業を始める時、人と会う約束をしていてその時、などと説明されます。また、「時過ぎにけり」は、ホトトギスの声を「トキスギニケリ」と聞きなしたものと捉える説もあります。

 3353・3354は遠江(とおつおうみ)の国(静岡県西部)の歌。古代、浜名湖を「遠つ淡海」、琵琶湖を「近つ淡海」と呼んでいました。「遠つ」「近つ」は都から遠い、近いの意で、その後それぞれ国名になったものです。

 
3353の「麁玉」は、静岡県浜松市北部から浜北市にかけての地。「伎倍」の所在は未詳ながら、古代帰化人の機織り職人が住む集落「伎戸(きへ)」を意味したともいわれます。「汝を立てて」は、おまえを立たせて。「行きかつましじ」は、とても行くことには堪えられない。「寐を先立たね」は、寝ることをまず先にしよう。旅立つ男を妻が見送り、伎倍の林まで来たところで男が言った歌、あるいは、元々歌垣で詠われたものが山野の下草刈りなどの作業歌になったのではないかとされます。しかし、上掲の解釈ではどうも釈然としないところがあり、伎倍の林まで送って来て、別れ際に「寝ることを先にしよう」とはどういうことなのか。林の中で共寝をすることは有り得るものの、むしろ林の中に女がいた、男はそのまま素通りなどできない、何はともあれ一緒に寝たいと思い、それを女に言ったというふうな解釈もできます。ずいぶん乱暴な言い方ではあるものの、一応の納得感はあるように感じられます。

 
3354の「斑衾」は、種々の色をまだら模様に染めた掛け布団。この時代に敷布団はなく、蓆(むしろ)などを敷いて寝ていました。「綿さはだ」は、綿がたくさん入っている。ここまでの上3句は「入り」を導く譬喩式序詞。「入りなましもの」は、入ることができたらなあ。「小床」の「小」は、親しみの気持ちを込め、併せて語調を整える接頭語。伎倍人の斑衾は、当時のわが国にはない珍しい物だったとみえ、その暖かそうなのを見て、恋しい女の床を連想しています。
 


『万葉集』に詠まれた鳥

1位 霍公鳥(ほととぎす) 153首
2位 雁(かり) 66首
3位 鶯(うぐいす) 51首
4位 鶴(つる:歌語としては「たづ」) 45首
5位 鴨(かも) 29首
6位 千鳥(ちどり) 22首
7位 鶏(にわとり)・庭つ鳥 16首
8位 鵜(う) 12首

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東歌について

犬養孝『万葉の旅・中』/平凡社から引用

 万葉集巻14に「東歌」として短歌のみ230首(他に或本歌・一本歌8首)がある。「あづま」の範囲は広くいえば不破・鈴鹿以東、東海・東山の諸国だが、巻14では国名のわかっているもの(90首)を、遠江以東の旧東海道諸国、信濃以東の旧東山道諸国にわけ、国名不明のもの(140首)を次に一括してあり、右の範囲外の土地のものも若干まざっている。一言でいえば「あづまうた」は東方諸国(東国)関係の歌といえよう。

 ほとんどが恋の歌で、作者は未詳。大部分は東国の庶民の間でうたわれた民謡ないし民謡的世界のものとみられるが、中には中央人の作も若干はいっているとみられる。これらの歌も、巻14の編纂をみるまでには、中央人による変改や加工も若干あることは考えておかなければならない。歌がいつごろのものかは明らかでないが、大要、第2期から第3期にかけてのころとみられる。

 巻14の編纂の時期について、もと東山道に属していた武蔵国を宝亀2年(771年)10月に東海道に編入したことから、巻14の配列では武蔵が東海道筋の相模と上総の間におかれていることに着目して、編纂は宝亀2年10月以後とする(山田孝雄博士説)。この説は動かしがたいが、その前にすでに編纂されていたものの改編とみられ、はじめの編纂の時期は明らかでない。

 編纂にいたる前の原資料としての東歌がどのようにして集められたかについては、こんにちまでのところ確定説はない。高橋虫麻呂や大伴家持その他中央の個人の採集を考える説、国庁の官人らの採集を考える説、東国の国々から朝貢とともに年を追うて宮廷に進上された歌が大歌所に記録されていたものとする説など諸説があるが、この解決は将来にのこされている。

古典に親しむ

万葉集・竹取物語・枕草子などの原文と現代語訳。