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巻第14(索引)万葉集(掲載歌の索引)古典に親しむ

『万葉集』巻第14-3378~3381

訓読

3378
入間道(いりまぢ)の於保屋(おほや)が原(はら)のいはゐつら引かばぬるぬる我(わ)にな絶(た)えそね
3379
我(わ)が背子(せこ)を何(あ)どかも言はむ武蔵野(むさしの)のうけらが花の時なきものを
3380
埼玉(さきたま)の津に居(を)る船の風をいたみ綱は絶ゆとも言(こと)な絶えそね
3381
夏麻(なつそ)引く宇奈比(うなひ)をさして飛ぶ鳥の至らむとぞよ我(あ)が下延(したは)へし

意味

〈3378〉
 入間の於保屋が原に生える蔓のように、引いたら滑らかに靡いて、私との関係を絶やさないようにしておくれ。
〈3379〉
 あの人に何と言ったらよいのか、武蔵野のおけらの花が時を選ばず咲くように思い続けているのに。
〈3380〉
 風がひどいので、埼玉の船着き場につながれている船の綱が切れるようなことがあっても、あなたの言葉(便り)は絶やさないでください。
〈3381〉
 宇奈比に向かって飛んでいく鳥のように、あなたのもとへ行こうと、心の中で思いを巡らしています。

鑑賞

 武蔵の国(東京都・神奈川県・埼玉県にまたがる地域)の歌。3378の「入間道」は、武蔵国入間郡を通る道。「入間」は、現在の埼玉県入間郡、入間市、川越市、所沢市などの一帯。「於保屋が原」は詳細未詳ながら、入間郡越生町大谷あたりか。「いはゐつら」は、スベリヒユ、ミズギンバイ、ジュンサイなど諸説あるものの未詳。上3句は「引かばぬるぬる」を導く序詞。「ぬるぬる」は、滑らかに靡いて、ほぐれてずるずると繋がり絶えない様。「ぬるぬる」という言葉は、現代では否定的なニュアンスで使われることもありますが、ここでは肯定的な生気を感じさせる表現です。「我にな絶えそね」の「な~そね」は禁止で、私との仲を絶やさないでおくれ。

 
3379の「何(あ)どかも言はむ」の「何ど」は「など」の訛り、どのように、何と。「かも」は、詠嘆を含んだ疑問の係助詞。「言はむ」の「む」は、反語の意を含んだ推量。どうして(悪く)言ったりしましょうか、いや、言いようもありません。「うけら」は、キク科多年草のオケラ。「時なきものを」の「時なき」は、時を選ばず、いつという時がなく常に。「ものを」は、逆接の意を込めた詠嘆。~のになあ、~のだがなあ。季節外れに咲く、あるいは枯れてもなお形を残すといったオケラの特性を、自分の絶え間ない恋心に重ねています。

 
3380の「埼玉の津」は、埼玉県熊谷市・行田市あたりにあったとされる利根川または荒川の渡し場。「居る船の」は、停泊している船のように。「風をいたみ」の「いたみ」は「いたし」のミ語法で、風がひどいので。「綱は絶ゆとも」は、綱が切れることはあっても。たとえどんなことがあってもという気持ち。「言な絶えそね」の「な~そね」は、禁止。男の歌とする見方もあるようですが、風がひどくなって(つまり世間の批判が激しくなって)私のもとへ通ってこられなくなっても、せめて便りだけは絶やさないでくださいと待ちわびている女の歌であると解します。港の遊行女婦たちが歌ったものとの見方もあるようです。


 
3381の「夏麻引く」の「夏麻」は、夏の土用のころに畑から引き抜く麻。夏麻は「績(う)む(つむぐ)」ものであることから、同音で「宇奈比」に掛かる枕詞。「宇奈比をさして」は、宇奈比に向かって。「宇奈比」は未詳で、「海辺」の意の一般名詞ととる説、地名であり世田谷区の宇奈根町かもしれないといった説などがあります。「飛ぶ鳥の」は、飛ぶ鳥のように。上3句は「至らむ」を導く譬喩式序詞。「至らむとぞよ」は、あなたの所へ行こうと。「ぞ」は強意の係助詞、「よ」は整調のための間投助詞。「我が下延へし」の「下延へ」は、心の中で思いめぐらすこと。「し」は、過去の助動詞「き」の連体形で、上の「ぞ」の係り結び。
 


東歌の作者

 『万葉集』に収録された東歌には作者名のある歌は一つもなく、また多くの東国の方言や訛りが含まれています。全体が恋の歌であり、素朴で親しみやすい歌が多いことなどから、かつてこれらの歌は東国の民衆の生の声と見られていましたが、現在では疑問が持たれています。

 そもそも土地に密着したものであれば、民謡的要素に富む歌が多かったはずで、形式も多用な歌があったはずなのに、そうした歌は1首も採られていません。『万葉集』の東歌はすべての歌が完全な短歌形式(5・7・5・7・7)であり、音仮名表記で整理されたあとが窺えることや、方言が実態を直接に反映していないとみられることなどから、中央側が何らかの手を加えて収録したものと見られています。

 従って、もともとの作者は土着の豪族階級の人たちで、都の官人たちが歌を作っているのを模倣した、また彼らから手ほどきを受けたのが始まりだろうとされます。すなわち、郡司となった豪族たちと、中央から派遣された国司らとの交流の中で作られ、それらを中央に持ち帰ったのが東歌だと考えられています。

 なお、「都」と「鄙」という言葉があり、「都」は「宮処」すなわち皇宮の置かれる場所であり、畿内(山城・大和・河内・和泉・摂津)を指します。「鄙」は畿外を意味しましたが、東国は含まれていません。『万葉集』でも東国は決して「鄙」とは呼ばれておらず、東国すなわち「東(あづま)」は、「都・鄙」の秩序から除外された、いわば第三の地域として認識されていたのです。東歌が特立した巻として存在する理由はそこにあります。

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古典に親しむ

万葉集・竹取物語・枕草子などの原文と現代語訳。