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巻第14(索引)万葉集(掲載歌の索引)古典に親しむ

『万葉集』巻第14-3382~3385

訓読

3382
馬来田(うまぐた)の嶺(ね)ろの笹葉(ささは)の露霜(つゆしも)の濡(ぬ)れて我(わ)来(き)なば汝(な)は恋(こ)ふばぞも
3383
馬来田(うまぐた)の嶺(ね)ろに隠(かく)り居(ゐ)かくだにも国の遠かば汝(な)が目(め)欲(ほ)りせむ
3384
葛飾(かづしか)の真間(まま)の手児奈(てごな)をまことかも我(われ)に寄(よ)すとふ真間の手児奈を
3385
葛飾(かづしか)の真間(まま)の手児奈(てごな)がありしかば真間のおすひに波もとどろに

意味

〈3382〉
 馬来田の山々の笹葉に置く露霜に、濡れながら私が行ってしまったら、お前はひとり寂しく恋しがるのだろう。
〈3383〉
 馬来田の山々に遮られただけでもこんなに寂しいのに、さらに故郷が遠く隔たったならば、ますますお前に逢いたくて仕方がない。
〈3384〉
 葛飾の真間の手児奈、あの美少女がこの私に寄っているという、本当かな、あの真間の手児奈が。
〈3385〉
 葛飾の真間のあの美少女がいたものだから、この真間の磯辺に寄せる波がとどろきわたるように、人々が大騒ぎしたことだろう。

鑑賞

 3382・3383は上総の国(千葉県南部)の歌。3382の「馬来田」は、千葉県君津市から木更津市にかけての一帯。「嶺ろ」は、その周辺の山ながら、所在不詳。「ろ」は、親愛の接尾語。「露霜」は、露と霜、または露が凍って霜のようになったもので、冷え冷えとした露を表現する歌語。上3句は「濡れて」を導く序詞とする見方がありますが、ここでは実叙として解しています。序詞と見るなら、「露霜に濡れているように、私が涙に濡れて」のような解釈になります。「来なば」の原文「伎奈婆」で、「来れば」と解せますが、万葉学者の伊藤博によれば「行先を起点にして言った方言」とのことで、ここでは「行ってしまったら」と解しています。「別きなば」として、別れて行ったならばと解するものもあります。「汝は恋ふばぞも」の「汝」は、親愛を込めた「おまえ」。「恋ふば」は「恋ひむ」の訛り。「ぞも」は、強調・感動の終助詞。おまえは(私を)恋しく思うだろうなあ。

 
3383の「隠り居」は、山々に遮られて妻の家が見えない意。「かくだにも」は、これほどまでに。「だに」は、せめて~だけでも、~までも、~でさえ、などの意を表す副助詞。「国」は、故郷。「遠かば」は「遠けば」の東語。「汝が目欲りせむ」は、おまえ(の姿)が見たくてたまらなくなるだろう。「目欲り」は「目」+「欲り(欲する)」で、逢いたい、姿を見たいという強い願望を表します。山の向こうに妻を置く男の嘆きの歌であり、おそらく防人などとして妻と別れて馬来田の嶺の彼方を行く折の感慨なのでしょう。

 3384・3385は下総の国(千葉県北部と茨城県南西部)の歌で、いずれも「葛飾の真間の手児奈」を詠んだ歌。「葛飾の真間の手児奈」は、伝説上の美女(巻第9-1807~1808を参照)。あまりに美しいために多くの男たちに言い寄られ、彼らが争うのを心苦しく思って海に身を投げた・・・という悲劇として語られます。「手児奈」は、中央語の「をとめ」に当たる東国語。「葛飾」の地名は、東京都葛飾区、埼玉県北葛飾郡、またかつて千葉県東葛飾郡とあったように、江戸川流域の広大な地域を言い、東歌では「かづしか」とにごっています。「真間」は、市川市に真間町がありますが、そこも含めた国府台(こうのだい)一帯を指した地名。

 
3384の「まことかも」は、「本当だろうか」という疑念と期待が混じった表現。「寄す」は、関係があるといって他人が噂すること。「とふ」は「と言ふ」の約。上の「かも」の「か」を受けた係り結びで連体形。真間の手児奈への憧れを歌ったものであり、高嶺の花である彼女が、なぜか「自分と結ばれるらしい」という突拍子もない噂を聞いた男の驚きと、どこか浮き足立った様子を描いています。

 
3385の「ありしかば」は、いたものだから。「おすひ」は「磯辺」の東語。「波もとどろに」の「とどろ」は、大きく鳴り響く音を形容する副詞。なお、「波も」とあることから、上掲の解釈とは別に、人ばかりでなく波までもが大騒ぎした、のように解するものもあります。いずれにせよ、手児奈がいた頃は、この海辺も活気に満ち、波の音さえも彼女の生命力に共鳴するように激しく響いていたという、一種の神格化された追憶が込められています。

 現在の真間から東京湾岸までは、近いところでも7キロありますが、近世以前は、今の利根川は中川(古利根川)、江戸川などを経て東京湾に注いでおり、この水流がつくる沖積平野が、次第に海を遠くしました。万葉のころには真間付近が海岸であったことは、3385の「真間のおすひに波もとどろ」や、他の東歌に「真間の浦廻を漕ぐ船」とあることから分かります。
 


万葉集ゆかりの地(東国)

  • 足柄の御坂
    「足柄の御坂畏み曇り夜の我が下ばへをこち出つるかも」(巻第14-3371)
    相模国から駿河国へ越える足柄峠。急峻な坂として恐れられ、そのため神のいます坂とされたようです。
  • 伊香保嶺
    「伊香保嶺に雷な鳴りそね我が上には故はなけども子らによりてぞ」(巻第14-3421)
    群馬県の榛名山(1448m)。この時代、「伊香保」は現在の伊香保温泉周辺だけでなく、榛名山一帯を指す地名でした。
  • 鹿島の神
    「霰降り鹿島の神を祈りつつ皇御軍に我れは来にしを」(巻第20-4370)
    茨城県鹿島郡鹿島町にある鹿島神宮。建御雷(たけみかずち)の神を祀っています。
  • 子持山
    「子持山若かへるでのもみつまで寝もと我は思ふ汝はあどか思ふ」(巻第14-3494)
    群馬県渋川市北方の子持山(1296m)。
  • 佐野の舟橋
    「上つ毛野佐野の舟橋取り離し親は放くれど我は離るがへ」(巻第14-3420)
    『枕草子』第65段に「橋は」とある中に、当時有名だった橋の名が18列挙されており、その6番目に「佐野の舟橋」が出てきます。「舟橋」というのは、舟を何艘か横に並べ、その上に丸太や板を渡した橋のこと。その所在は、群馬県高崎市の烏川(からすがわ)流域または栃木県佐野市などとする説があります。
  • 手綱の浜
    「遠妻し多珂にありせば知らずとも手綱の浜の尋ね来なまし」(巻第9-1746)
    茨城県高萩市高戸の北の海岸。一説に高戸の南の関根川河口付近の浜。
  • 千曲の川
    「信濃なる千曲の川の細石も君し踏みてば玉と拾はむ」(巻第14-3400)
    現在の千曲川。原文では「知具麻能河」と表記されており、「ちぐま」と濁って発音されたようです。長野県南佐久郡に流れを発し、長野市の犀川で合流し、新潟県に入ると信濃川と呼ばれます。
  • 筑波嶺
    「筑波嶺に雪かも降らる否をかも愛しき児ろが布乾さるかも」(巻第14-3351)
    現在の筑波山(876m)で、男岳・女岳の2峰を持つ名山として著名です。
  • 真間の井
    「勝鹿の真間の井を見れば立ち平し水汲ましけむ手児奈し思ほゆ」(巻第9-1808)
    千葉県市川市真間付近の地にあった井。今、手児奈堂の北側の亀井院に真間の井と称する古井戸を伝えています。
  • 見越の崎
    「鎌倉の見越の崎の岩崩えの君が悔ゆべき心は持たじ」(巻第14-3365)
    鎌倉の海岸にある突き出した岬の名称。現在の稲村ヶ崎あるいは由比ヶ浜周辺の突出部とする説がありますが、未詳。

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古典に親しむ

万葉集・竹取物語・枕草子などの原文と現代語訳。