| 訓読 |
3386
にほ鳥の葛飾(かづしか)早稲(わせ)を饗(にへ)すともその愛(かな)しきを外(と)に立てめやも
3387
足(あ)の音せず行かむ駒(こま)もが葛飾(かづしか)の真間(まま)の継橋(つぎはし)やまず通はむ
3388
筑波嶺(つくはね)の嶺(ね)ろに霞(かすみ)居(ゐ)過ぎかてに息づく君を率寝(ゐね)て遣(や)らさね
3389
妹(いも)が門(かど)いや遠(とほ)そきぬ筑波山(つくはやま)隠れぬ程(ほど)に袖(そで)は振りてな
| 意味 |
〈3386〉
葛飾の早稲を神に捧げる新嘗祭の夜であっても、愛しいあの人を外に立たせておくことなどできない。
〈3387〉
足音を立てずに行く、そんな馬がいたらなあ。葛飾の真間の継橋を渡って、いつも彼女のもとへ通うことができるのに。
〈3388〉
筑波嶺の嶺にかかった霞が動かないように門前を立ち去れず、ため息をついているあの人を、さあ連れて来て一緒に寝て帰してやりなさいよ。
〈3389〉
彼女の家がますます遠ざかっていく。あの筑波山に隠れないうちに、この袖を振っていたいものだ。
| 鑑賞 |
3386・3387は、下総の国の歌。3386の「にほ鳥の」の「にほ鳥」はカイツブリで、魚を獲るために水に潜(かず)くことから同音の「葛飾」にかかる枕詞。「葛飾」の地名は、東京都葛飾区、埼玉県北葛飾郡、またかつて千葉県東葛飾郡とあったように、江戸川流域の広大な地域を言い、東歌では「かづしか」とにごっています。「葛飾早稲」とあるのは、当時葛飾の新米が良品とされたのでしょう。「饗すとも」の「饗す」は、神に新物を捧げることで、ここでは秋の新嘗祭。「とも」は、逆接の仮定・確定条件。神を祭るのは選ばれた未婚の娘の役目とされ、家を清浄にし、家族でも家の内に入れるのを禁じたといいます。そこへ恋人が忍んでやって来たので、禁忌を犯すことになっても、空しく外に立たしておかれようか、と言っています。「愛しき」は、愛しい人、大切なあの人を指す体言的な用法。「外に立てめやも」の「めやも」は反語で、外に立たせておくだろうか、いや、決してそんなことはしない。
斎藤茂吉は、自分の恋しいあのお方というのを「その愛しきを」といっているのは、簡潔でぞくぞくさせる程の情味もこもりいる、まことに旨い言葉であると評しており、作家の田辺聖子は、「放胆で無邪気な歌である。長い世々の男たちはそういう女の放胆な、むきだしの本音を愛してきたにちがいない。いったい『万葉集』の女人は、それ以後の女人が失ってしまったような強烈な自己主張を発揮していて、それもこの歌集を魅力的にしている理由の一つである」と言っています。
3387は「真間の手児名」の伝説(巻第9-1807~1808参照)にかかわって歌われた歌といわれ、秘密の恋人のもとへひそかに通って行きたいと願う歌、あるいは、しばらく女性を訪ねなかった言い訳の歌とも読めます。東歌らしいのは後者の方でしょう。「足の音せず行かむ駒」は、足音を立てずに走る馬。「〜もが」は、〜があればなあという強い願望を表します。「葛飾」の地名は、東京都葛飾区、埼玉県北葛飾郡、またかつて千葉県東葛飾郡とあったように、江戸川流域の広大な地域を言い、東歌では「かづしか」とにごっています。「真間」は、市川市に真間町がありますが、そこも含めた国府台(こうのだい)一帯を指した地名。「継橋」は、川幅の広い中に何本かの柱を立てて板を渡し、複数の橋を継いだように見える橋。続いて通う意を含んでいます。川の増水時には取り外せるように釘などを打ちつけていないため、馬が渡るとガタガタと大きな音を立てたと見えます。「やまず通はむ」の「やまず」は絶え間なく。「通はむ」は通い続けたいという意志。
現在の真間から東京湾岸までは、近いところでも7キロありますが、近世以前は、今の利根川は中川(古利根川)、江戸川などを経て東京湾に注いでおり、この水流がつくる沖積平野が、次第に海を遠くしました。万葉のころには真間付近が海岸であったことは、東歌に「真間のおすひに波もとどろ」「真間の浦廻を漕ぐ船」などあることから分かります。真間は、江戸川河口付近に入江をなしていて、入江の一部あるいは川に、板を連ねた継橋があったと見えます。
3388・3389は、常陸の国(茨城県)の歌。3388の「筑波嶺」は、筑波山。「嶺ろ」の「ろ」は、接尾語。上2句は、霞がいつまでもかかっている様から「過ぎかてに」を導く譬喩式序詞。「過ぎかてに」は、過ぎ難くして、通り過ぎることができないで。「率寝て遣らさね」の「率寝」は、連れ込んで寝る意の複合動詞。「遣る」は、行かせる。「ね」は、希求の終助詞で、一緒に寝て帰してやりなさいよ。筑波山の麓あたりに住んでいる女の家の辺りへ、関係のある男が来て、家の中に入り難くしているのを、女の傍らにいる年長の女が見て言った形の歌です。あたかも年少の女に情事の指導をしているかのようで、なかなか露骨な表現ですが、不思議と嫌味は感じられません。歌人で文学者の森本治吉は、「『あれほど惚れてんだから、満足させてやんなさい』という歌意は、どうも日本和歌史に類例の見出せぬ題材で、内容にも表現にも野性が満ち溢れていて、さすが東歌である」と評しています。
3389の「妹が門」は、別れて来た妻の家。「門」は家の入口ですが、家全体をも言います。「いや遠そきぬ」の「いや」は、いよいよ、ますます。「遠そきぬ」は、遠ざかってしまったという動詞「遠そく」の完了形。「筑波山隠れぬ程に」は、筑波山が隠れないうちに、見えなくなってしまう前に。「袖は振りてな」の「袖を振る」は、親愛の情や別れの挨拶、あるいは相手の魂を呼び寄せる(魂振り)呪術的な意味を持つ行為。「な」は、願望、決意の終助詞。旅立つ男が何度も後ろを振り返りながら、愛する人との物理的な距離が広がっていく不安と寂しさを詠んだ歌とされます。
なお、筑波山は、常陸国の東歌12首中11首、防人歌10首中3首に歌われています。「東歌」の山と言えば、富士山、榛名山、箱根山、磐梯山、安達太良山、子持山、赤城山などがありますが、そのどれよりも筑波山は多く登場します。しかも景観を主題とするものではなくて、あくまで生活と結びついた親しい郷土の山として歌われています。古代には、筑波山の深い信仰に結ばれて農村の集落が展開していたのでしょう。

筑波山
茨城県中央部、つくば市北端にある標高877mの山。山頂は男体(なんたい)山と女体(にょたい)山の二峰に分かれる。それぞれの峰に男女2神がまつられ、中腹にその2神をまつる筑波山神社がある。関東平野の東部に遠く裾野をひいてそびえ、関東の名山として「西の富士、東の筑波」と、富士山と並び称される。この山にちなむ古い史実や伝説も豊かで、万葉の時代から多く歌に詠まれ、歌垣(うたがき)の行われた所としても知られる。
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