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巻第14(索引)万葉集(掲載歌の索引)古典に親しむ

『万葉集』巻第14-3394~3397

訓読

3394
さ衣(ごろも)の小筑波嶺(をづくはね)ろの山の崎(さき)忘(わす)ら来(こ)ばこそ汝(な)を懸(か)けなはめ
3395
小筑波(をづくは)の嶺(ね)ろに月立(つくた)し間(あひだ)夜(よ)はさはだなりぬをまた寝(ね)てむかも
3396
小筑波(をづくは)の茂(しげ)き木(こ)の間(ま)よ立つ鳥の目ゆか汝(な)を見むさ寝(ね)ざらなくに
3397
常陸(ひたち)なる浪逆(なさか)の海の玉藻(たまも)こそ引けば絶(た)えすれあどか絶えせむ

意味

〈3394〉
 小筑波山の山の崎よ、そこを忘れられる時が来たなら、お前のことを心に懸けて思わずにいられよう。
〈3395〉
 小筑波山のてっぺんに月が立つように、あの子に月が経ち、逢えない夜が多く重なったけれど、また共寝ができようかな。
〈3396〉
 小筑波山の茂った木の間から飛び立つ鳥のように、遠くからお前を目で見ているだけでいなければならないのか、共寝をしなかった仲でもないのに。
〈3397〉
 常陸にある浪逆の海の玉藻は引けば切れるだろうが、二人の仲はどうして切れることがあろうか。

鑑賞

 常陸の国の歌。3394の「さ衣の」は、衣の「緒」と続き、同音の「小」にかかる枕詞。「小筑波嶺ろ」の「小」は接頭語で、平素見慣れている筑波山に親しみを込めたものか。「ろ」は、接尾語。「山の崎」は、山の端が突き出た所で、別れ行く妻と見立てて呼びかけています。「忘ら」は「忘れ」の東語。「懸けなはめ」の「懸け」は、心に懸けて思う、または口に出して言う。「なは」は、打消の助動詞「なふ」の未然形、「め」は、推量の助動詞「む」の已然形で「こそ」の係り結び。心に懸けて思わずにいられよう。ただ、その解釈の裏返しとして、忘れられないから心に懸けて思うというのはくどい感じがするという理由から、「忘れられる時が来たならお前の名を口に出したりはしないだろう」と解するものもあります。

 
3395の「小筑波」は、筑波山の二つの峰(男体山・女体山)のうち、低い方を指す、あるいは親愛を込めた接頭辞「小」を冠した呼称。「月立し」の「立し」は「立ち」の東語。新月が出る意で、月が改まる、新しい月になる。また、女に月経が来た意にも用いられるため、ここは女性の月経が始まった意を込めているとされます。「間夜」は、逢わない間の夜。「さはだなりのを」の「さはだ」は、たくさん、いっぱいの意の副詞。「なりのを」は、正しくは「なりぬるを」とあるべきもの。「また寝てむかも」は、また共寝ができようかな。「てむ」は、強意の助動詞「つ」の未然形+推量の助動詞「む」。「かも」は詠嘆・疑問の終助詞。

 
3396の「茂き木の間よ」の「よ」は、動作の起点・通過点を表す格助詞。「立つ鳥の」は、飛び立つ鳥を見るように。上3句は「目」を導く譬喩式序詞。「目ゆか汝を見む」の「ゆ」は「木の間よ」の「よ」と同じ。「か」は疑問の係助詞、「見む」が結びの連体形。目を通して汝を見るだけでいなければならないのか。「さ寝ざらなくに」の「さ」は、接頭語、「ざら(打ち消し)」+「なく(打ち消し)」+「に(接続助詞)」による二重否定。共寝をしなかった仲でもないのに。

 
3397の「常陸なる」は、常陸の国にある。「浪逆の海」は、茨城県の南東部、霞ヶ浦から利根川河口までの湖沼といわれますが、地名ではなく、浪が逆方向に立つ入海をいう一般名詞だとする見方もあります。この時代はまだ、利根川が東京湾に注いでおり、北浦、霞ヶ浦は深い入海だったため、満潮時に浪が逆流したためこの名があるとされます。「玉藻」は、美しい藻。「玉」は、美称。「引けば絶えすれ」は、引くと切れるが。「あどか絶えせむ」の「あどか」は、どうして~かの意の東国語。「か」は、疑問の係助詞で、反語をなしているもの。二人の仲はどうして絶えようか、絶えはしない。

 3394~3396を、 筑波山の嬥歌(かがい:歌垣)の会に関係ある歌と見る向きもあります。3394などは、「筑波嶺の嬥歌における契りを忘れない」と言っているのだろう、と。そして、嬥歌が歌の掛け合いによって婚姻成立に結びつくものであれば、男女ともに歌の習熟に務めたに相違ない。『常陸風土記』にも誦詠された歌の数が非常に多かったことが記されており、相聞歌の始原の一つが、この嬥歌の場にあったと見ることができる。巻第14の東歌や巻第20などの防人歌など、東人が歌作できるのも、嬥歌の経験が基になっていると見られる、と。
 


歌垣について

 歌垣は、もともとは豊作を祈る行事で、春秋の決まった日に男女が山や市(いち)に集まり、歌舞や飲食に興じた後、性の解放、すなわち乱婚が許されました。昔の日本人は性に関してはかなり奔放で、独身者ばかりではなく、夫婦で参加して楽しんでいたようです。歌垣が行われた場所としては、常陸の筑波山や大和の海柘榴市(つばいち)が有名です。東国では嬥歌(かがい)と呼ばれました。

 『常陸風土記』にも筑波山の嬥歌会のことが書かれており、それによると、足柄山以東の諸国から男女が集まり、徒歩の者だけでなく騎馬の者もいたとありますから、遠方からも大層な人数が、胸をわくわくさせて集まる一大行事だったことが窺えます。また、土地の諺も載っており、「筑波峰の会に娉(つまどひ)の財(たから)を得ざる者は、児女(むすめ)と為(せ)ず」、つまり「筑波峰の歌垣で、男から妻問いのしるしの財物を得ずに帰ってくるような娘は、娘として扱わない」というのですから驚きます。 

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古典に親しむ

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