| 訓読 |
3402
日の暮(ぐれ)に碓氷(うすひ)の山を越ゆる日は背(せ)なのが袖(そで)もさやに振らしつ
3403
我(あ)が恋はまさかも愛(かな)し草枕(くさまくら)多胡(たご)の入野(いりの)の奥も愛(かな)しも
3404
上つ毛野(かみつけの)安蘇(あそ)の真麻群(まそむら)かき抱(むだ)き寝(ぬ)れど飽(あ)かぬをあどか我(あ)がせむ
| 意味 |
〈3402〉
あの方が碓氷の山を越えて行かれたあの日には、遠くからお振りになった袖までがはっきり見えました。
〈3403〉
私は今も恋しくて切ないけれど、多胡の入野の奥ほど、将来もずっと切ないことだろう。
〈3404〉
上野の安蘇の群れ立つ麻、その麻を束ねてかかえるようにしっかりと抱いて寝るけれど、それでもまだ満たされない、私はどうしたらいいのか。
| 鑑賞 |
上野(かみつけの)の国(群馬県)の歌。古代関東には「毛野(けの/けぬ)」および「那須(なす)」と呼ばれる地域と、それぞれを拠点とする政治勢力が存在し、前者の毛野が上・下に二分されて「上毛野(かみつけの/かみつけぬ)」「下毛野(しもつけの/しもつけぬ)」に分かれ、奈良時代に上野(こうづけ)、下野(しもつけ)になったといわれます。
3402の「碓氷の山」は、群馬県と長野県の境界にある碓氷峠付近の山。原文では「宇須比乃夜麻」と表記されています。国境の碓氷の山を越える旅は容易ならぬ旅であり、防人か京の衛士として赴くためだったかもしれません。冒頭の「日の暮に」は、賀茂真淵は、日暮れの薄日が同音で「碓氷」にかかる枕詞であるとし、他が実景であると解しています。当時は、早朝に旅立つのが習いでしたから、「日の暮れ」どきとは無関係ということになります。「背なの」の「な」も「の」も、夫に対する親愛の意の接尾語。「さやに」は、はっきりと、明瞭に。「振らしつ」の「振らし」は「振り」の敬語、「つ」は現在完了。旅行く夫の振る袖が、妻の心に焼きついて離れなかったようです。
3403の「まさか」は、現在、今。「愛し」は、切ないほどにいとおしい。「草枕」は「旅」の枕詞であるのを「多」の一音にかけたもので異例。夫が旅に出行くというような、旅のイメージがあるのかもしれません。「多胡」は、上野の郡名。「入野」は、山間に入り込んだ野原。「草枕多胡の入野の」は「入」と同意語の「奥」に続けた序詞。「奥」は「まさか(現在)」に対して「将来」の意。上からの空間的「奥」を、時間的「奥」に転換させて下に続けています。目の前に広がる「野の奥行き」を、自分たちの「恋の行く末」に重ね合わせており、将来は向こうにあるのではなく、現在の奥にあるのだ、と考えた古代日本人のリアリズムです。
この歌は、「東歌」中で秀歌の評判が高く、斎藤茂吉は、「『まさかも』、それから『おくも』と続いており、『かなし』を繰り返しているが、このカナシという音は何ともいえぬ響きを伝えている。民謡的に誰がうたってもいい。多胡郡に働く人々の口から口へと伝わったものと見えるが、甘美でもあり切実の悲哀もあり、不思議にも身に沁みるいい歌である」、窪田空穂は、「さわやかな歌で、特色のあるものである」、土屋文明は、「調子の調った清々しい一首である」などと評しています。 また、文学者の中西進は、「恋の心を語る表現はきわめて多いだろうが、この東国の人間は、恋を切ないとしかいっていない。それでいて、これほどに恋の心を雄弁に物語ることばは、ほかにあるだろうか。『
万葉集』の歌は、凝った技巧を使ったり、複雑な表現はけっしてしないかわりに、このように単純・率直に表現される。飾りはないかわりに偽りのない、この純粋さは、人間の真実の一点だけを言いあらわしていて、気高くも美しい」と述べています。
3404の「安蘇」は、下毛野の郡名で、今の栃木県佐野市にあたります。「真麻群」は、麻の群生または刈り取った麻の束。上2句は「かき抱き」を導く譬喩式序詞。高さが2メートルにも及ぶ麻を収穫するときは、一抱えを両手で胸に抱き、後ろに反り返るようにして引き抜きます。そのようすを女性を抱擁する姿にたとえ、いくら抱いても満たされないとノロけている歌ですが、実際は、麻の収穫時に題材をとった労働歌とみられています。「あどか」は、いかが、どうしたら、の意の東国なまり。あ音の繰り返しで、流れるような調子を出しています。 いずれにしても、「寝」という直接的な描写を用い、性愛の歓びをここまであけすけに表現した例は、中央の歌には見られません。このような歌は東歌の中には少なくなく、東国の異なる風俗(性風俗)を一種のエキゾチシズムとして都人に伝えようとする意図があったのかもしれません。言い換えると、中央の人々から見た東国理解のあり方が察せられるようでもあります。
窪田空穂はこの歌を、「言いやすいようで言い難い感情を、素朴に、健康に、厭味なくあらわしている」と評しており、田辺聖子は、「こうずばっと歌いきってしまわれると、近代人は、しんそこ『まいった』と思う」とも述べています。ところでこの歌は、ひらがなで書くとよくわかりますが、「かみつけの
あそのまそむら かきむだき ぬれどあかぬを あどかあがせむ」と、似た音が繰り返し使われていて、流れるようなリズムを醸す上に、一種の言葉遊びのようにもなっています。まさに『万葉集』のユーモア精神ここにあり!というような歌であります。

『万葉集』の民謡的世界
犬養孝著『万葉の旅・上』/平凡社から引用
貴族層の歌が、民謡とともにある世界からはなれて個性化・貴族化の一路をたどっているときに、各地方の民衆のあいだには、民謡乃至民謡的世界が、各期にわたって根強く展開していたとみられる。作者未詳の巻の中には民謡的性格の濃いものが多く、これらは歌謡として民衆のあいだにうたいつがれていた歌であるから、作者も制作年時も明らかでない。巻14の東歌は、多少の例外を除いておおむね、東国の庶民のあいだにうたわれていた歌で、ほとんどが恋の情感をうたっている。いずれも、東国民衆の土の生活に密着した素朴純真な情感が率直にあらわされ、かれらの生活環境や地方色に方言さえまじえて、健康な野趣に満ちている。民衆の共同作業や各種の生活のあいだに非個性的類型的表現を通して共通感情があらわされ、したがって同じような歌が、ところをかえてうたわれてもいる。個人によって作られる歌ではなくて、文芸意識以前の、いわば生活の中から生まれた歌である。
東歌と同じ地盤に立つ天平勝宝7年(755年)の東国防人の歌(巻20所収)は、防人交替の特殊事情に際しての個人の詠作であるが、中央人の発想とはいちじるしく異なって、東歌にかよう生活に密着した素朴な情感に真情の輝きを見せている。巻13には、古代歌謡にかよう小長歌がある。巻16には、北陸その他の民謡があり、ことに能登の歌謡は、非文化的日常生活における被治者間の愛情の生むところとして注目され、中には能登のわらべ歌とみるべきものがある。『人麻呂歌集』にも民謡的のものは多く、巻11・12にも近畿を中心として民謡的性質のゆたかなものが見られる。
このような、文芸以前の民謡的世界のものが『万葉集』中にたくさんあることは、貴重な遺産であることはもちろん、万葉貴族和歌が、まだ底流としての民謡的世界と絶縁していない証拠であって、時代がさがるにつれて民謡的世界からはなれながらも、文芸創作の栄養源として学びとられていることは、貴族和歌の民謡的世界とのかかわりあいの在り方をしめしていて注目される。
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