| 訓読 |
3408
新田山(にひたやま)嶺(ね)にはつかなな我(わ)に寄そり間(はし)なる子らしあやに愛(かな)しも
3409
伊香保(いかほ)ろに天雲(あまくも)い継(つ)ぎかぬまづく人とおたはふいざ寝(ね)しめとら
3410
伊香保(いかほ)ろの沿(そ)ひの榛原(はりはら)ねもころに奥(おく)をな兼(か)ねそまさかしよかば
| 意味 |
〈3408〉
新田山が他の峰に寄り付かずに一人で立っているように、寝てもいない私との関係を噂されて孤立しているあの子が、本当に愛しく思われる。
〈3409〉
伊香保の峰に天雲が次々にかかるように、いつも騒ぎ立てている連中のお節介も収まった。さあ共寝をしようか、かわいい女よ。
〈3410〉
伊香保の山裾の榛原、その榛(はん)の木の入り組んだ根のように、くよくよと二人の先のことまで心配しなくていい。今の今が幸せならそれでいいではないか。
| 鑑賞 |
上野(かみつけの)の国の歌。3408の「新田山」は、太田市北方の金山(かなやま)。標高236mながら、他から独立しているためよく目立ち、神聖な山とされていたらしいことが、東歌にもう1首ある新田山が出てくる歌(3436)から推測されます。「嶺には着かなな」の「なな」は打消しで、他の嶺に着かないように。同音の「寝」との掛詞になっています。上2句は「我に寄そり」を導く譬喩式序詞。「寄そる」は、関係があると噂になる。「間なる」は、孤立していて。中途半端などちらつかずの気持ちでいる、と解する本が多くありますが、佐佐木幸綱は、それだと「孤立する新田山のイメージが生きない」と言っています。また、素朴な味わいの中にも「この歌にはある華やかさがある。その源泉は何か。私は微塵も退廃の臭いがない、そんな愛の姿がここにあるからだと思う」と。「あやに」は、無性に。「愛しも」の「も」は、詠嘆の終助詞。
3409の「伊香保ろ」は、伊香保の山、ここでは、群馬県のほぼ中央に位置する榛名山。「ろ」は、親しみや調子を整える東歌特有の接尾語。「天雲い継ぎ」の「い」は動詞を強める接頭語で、雲が次々にかかり。「かぬまづく」「おたはふ」はいずれも語義未詳ながら、かまびすしく人が騒ぎ立てる意ではないかとされます。「とら」は「児ら」とも人名とも。ただでさえ難解な東歌の中にあって、語義を決定できないものが3語もあるため、最も難解な歌とされます。
3410の「伊香保ろ」の「伊香保」は、群馬県の榛名山、「ろ」は接尾語。「沿ひの榛原」は、山沿いの榛原。「榛原」は、ハンノキの生えている原。上2句は「ねもころに」を導く序詞。「ねもころに」は、心こまかに、くどくどと。「奥をな兼ねそ」の「奥」は、将来の意。上代の人々が「将来」のことを「奥」といっているのには、将来は向こうにあるものでも、向こうから来るものでもない、現在の奥にあるのが将来だという考え方があったようです。「な兼ねそ」の「兼ぬ」は、先のことを前もって心配すること。「な~そ」は、禁止。(二人の)将来のことまで心配しすぎないでおくれ、という意味になります。「まさかしよかば」の「まさか」は、現在。「し」は強意の副助詞。現在さえよかったならば。
この歌は、男の求婚に対して、将来に不安を抱いていろいろ心配し、返事をためらっている女に対してのものと見られますが、現実主義なのはどちらかというと女性の方だから、女の歌だとする見方もあるようです。また、東歌には「まさか」という言葉がよく登場します。明日の保証がない厳しい生活環境、あるいは身分違いや障害のある恋をしていた東国の人々にとって、今、この一瞬の逢瀬こそが唯一の真実だったのでしょう。結びの「よかば」には、未来への不安を無理やり振り払うような、潔さと切なさが同居しています。

榛の木(ハンノキ)
全国各地の湿地に生える落葉高木。古名を榛(はり)といい、ハンノキの名称はハリノキ(榛の木)が変化したものです。高さは約15m、葉は互生し、長さ6~12cmの先の尖った楕円形。花は葉に先駆けて咲き、雌雄異花。雄花は紫褐色で、ひも状に垂れ下がります。雌花は紅紫色で楕円形。
万葉時代、ハンノキは茜や紫とともに代表的な染料植物だったことから、衣に色をつける情景を詠んだ歌が多くあります。染料の色は墨色。
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