| 訓読 |
3426
会津嶺(あひづね)の国をさ遠(とほ)み逢(あ)はなはば偲(しの)ひにせもと紐(ひも)結ばさね
3427
筑紫(つくし)なるにほふ子ゆゑに陸奥(みちのく)の可刀利娘子(かとりをとめ)の結(ゆ)ひし紐(ひも)解く
3428
安達太良(あだたら)の嶺(ね)に臥(ふ)す鹿猪(しし)のありつつも我(あ)れは至らむ寝処(ねど)な去りそね
3429
遠江(とほつあふみ)引佐細江(いなさほそえ)の水脈(みを)つくし我(あ)れを頼(たの)めてあさましものを
3430
志太(しだ)の浦を朝(あさ)漕(こ)ぐ船は由(よし)なしに漕ぐらめかもよ由(よし)こさるらめ
| 意味 |
〈3426〉
会津嶺のある、この国が遠くなってしまえば簡単に逢えなくなる。お前を偲ぶよすがにしたいので、着物の紐をしっかり結んでおくれ。
〈3427〉
筑紫の国の匂うばかりの美しい娘のおかげで、陸奥の可刀利の娘が結んだ着物の紐を解いてしまったよ。
〈3428〉
安達太良山の鹿猪(しし)がいつも同じねぐらに帰って寝るように、私もいつまでも変わらず通ってきて共寝をしようと思うから、そのまま寝床を変えないでいてほしい。
〈3429〉
遠江の引佐細江に作られたみおつくしのように、私に頼りにさせておいて、でも 本当は浅い気持ちだったのですね。
〈3430〉
志太の浦を朝早く漕いで行く舟は、わけもなくあんなに急いで漕いでいるのだろうか。そんな筈はない、きっとわけがあって漕いでいるに違いない。
| 鑑賞 |
3426~3428は、陸奥(みちのく)の国の歌。陸奥は東山道・東海道の奥の国というので、大和朝廷の時代には「道奥(みちのおく)」と呼ばれました。ほぼ今の福島県にあたります。ここの3首が万葉歌のほぼ北限と考えられます。これより北の「陸奥の小田なる山(宮城県涌谷町)」(巻第18-4094)と歌った歌も見えますが、これは大伴家持によって越中国(富山県)で詠まれたものです。
3426の「会津嶺」は、福島県の磐梯山。「国をさ遠み」の「さ」は、接頭語。「遠み」は「遠し」のミ語法で、遠いので。「逢はなはば」の「なは」は、打消しの助動詞「ぬ」の東語「なふ」の未然形。逢わないならば。「偲ひにせもと」の「せも」は「せむ」の東語。(あなたを)思い出すよすがにしようとして。「紐結ばさね」の「紐」は、夫の下着を結ぶ紐。「ね」は、希求の終助詞。当時、恋人同士が紐を結び合うことは、再会を期する、あるいは相手の魂を繋ぎ止めるという「魂結び(たまむすび)」の信仰に基づく行為でした。遠い国へ旅立つ(あるいは離れて暮らす)ことになった作者が、愛する人に対して、せめてもの絆を求める情景を描いています。
3427の「筑紫なる」は、筑紫(九州北部)にいる。「にほふ」は、美しい、色っぽい。「可刀利娘子」の「可刀利」は、東国の地名とみられるものの所在未詳、あるいは縑(かとり)、すなわち固織りの意味で、織物の一種のこととして、「可刀利娘子」はこれを織る乙女と見る説もあります。いずれにせよ、紐を結ぶ関係にあるので、この男の恋人と見られます。「結ひし紐解く」は、再会するまで他の女とは接触しないと誓って結んだ下着の紐を解くこと。この歌は、防人あるいは俘囚の部領使(ことりづかい)などとして筑紫に行った男の歌とされますが、心変わりをした男を恨んで作った女の歌とする解釈もあります。大宰府が置かれた筑紫は、東国から見ればいわば先進地域であり、洗練された女性に目を奪われたことでしょう。
3428の「安達太良の嶺」は、福島県の中部、二本松市の西方に位置する安達太良山。現在では日本百名山の一つに数えられている、標高1700mの美しい山です。「臥す鹿猪の」は、そこを臥所としている鹿猪のように、で、猪鹿は一たび臥所と定めたところは決して他に移さない習性を持っているところから、ここまでの2句が譬喩として「ありつつ」を導く序詞になっています。「ありつつも」は、いつまでも変わらずに、そのままの状態で。「我れは至らむ」の「む」は強い意志を表す助動詞で、私は(あなたのところへ)行き着こう、辿り着いてみせる。「な去りそね」の「な~そね」は懇願的な禁止で、離れないでくれ。男が女に対し、自分の変わらぬ愛を誓い、女にもそうあってほしいと言っています。安達太良山の厳しい環境で伏している獣の姿は、当時の東国びとの力強い生命力を象徴しています。作者は、自分もその獣のように泥臭く、しかし執拗に、険しい山を越えてあなたの寝床へ辿り着くのだと宣言しています。洗練された都の歌にはない、剥き出しの情熱が「鹿猪」という言葉に凝縮されています。序詞の内容から、作者は狩猟を生業にしていた人ではないかとされ、その僕実さが窺える歌となっています。
3429は遠江の国(静岡県西部)の歌。古代、浜名湖を「遠つ淡海」、琵琶湖を「近つ淡海」と呼んでいました。「遠つ」「近つ」は、都から遠い、近いの意で、その後それぞれ国名になったものです。「引佐細江」は、浜名湖東北部にある細長い入江(現在の引佐細江)。「水脈つくし」は、水路の目印として立てた杭(澪標)。身を捧げる、命をかけるという意味の「身を尽くし」を掛けています。「我れを頼めて」は、私を頼りにさせておいて。「あさましものを」の「あさまし」は、浅いだろう。「ものを」は、詠嘆的な感情や逆接を表す終助詞。女が薄情な男を恨んでいる歌であり、現代の恋愛にも通じるリアルな嘆きが伝わってきます。また、東歌は一般的に素朴なものが多いのですが、この歌は「澪標」という語を使い、「身を尽くし」という高度な掛詞を組み込んでいます。これは、遠江という土地が都(中央)との交流が盛んな交通の要衝であったことも関係しているかもしれません。
3430は駿河の国(静岡県中部)の歌。「志太の浦」は、静岡県中南部の大井川の河口とされ、当時はかなり奥まで湾入していたといいます。「由なしに」は、理由なしに。「漕ぐらめかもよ」の「らめ」は、現在推量の助動詞「らむ」の已然形で、疑問の「かも」が付いて反語となっているもの。わけもなく漕いでいるのだろうか、いや、そんなはずはない。「こさるらめ」は、「こそあるらめ」の約音で、係結び(こそ~め)による強い強調。男が、朝早くから、何処へ行くともなく舟を漕ぎ回っているのは、そこに好きな女の家があるからで、その不自然な動きを見て、「由こさるらめ(きっとわけがあるのだろう)」と言ってからかっている、あるいは、大発見のごとく女の許からの朝帰りであろうと想像している歌です。

万葉時代の幹線道路
大化改新の詔によって、畿内および山陽道で駅路や駅家(うまや)が整備され、680年までには、筑紫の大宰府から関東に至るまでの広範囲にわたって、幹線道路が敷設されました。『大宝令』には、大路として山陽道、中路として東海道、東山道、その他小路が、また『延喜式』には、七道駅路、すなわち、東海道、東山道、北陸道、山陰道、山陽道、南海道、西国道が記されています。天平18年(746年)に大伴家持が越中国守として、現在の富山県高岡市に赴任していることから、この頃までには、北陸道も整備されていたとみられます。
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安達太良山
福島県のほぼ中央に位置する円錐状の活火山。狭義には標高1700メートルの安達太良山(乳首山・甑明神)をさすが、広義にはこれを主峰として連なる連山の総称。切頭円錐形の成層火山で、山頂に西壁の欠けた火口があり、火口湖になっている。日本百名山の一つで、『万葉集』にも歌われ、また高村光太郎の『智恵子抄』の「樹下の二人」や「あどけない話」の節にも「阿多多羅山」の名が見える。
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古典に親しむ
万葉集・竹取物語・枕草子などの原文と現代語訳。 |