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巻第14(索引)万葉集(掲載歌の索引)古典に親しむ

『万葉集』巻第14-3431~3435

訓読

3431
足柄(あしがり)の安伎奈(あきな)の山に引(ひ)こ船の後(しり)引かしもよここば児(こ)がたに
3432
足柄(あしがり)の吾(わ)を可鶏山(かけやま)のかづの木の吾(わ)をかづさねも門(かづ)さかずとも
3433
薪(たきぎ)伐(こ)る鎌倉山(かまくらやま)の木垂(こだ)る木をまつと汝(な)が言はば恋ひつつやあらむ
3434
上(かみ)つ毛野(けの)阿蘇山(あそやま)つづら野を広み延(は)ひにしものをあぜか絶えせむ
3435
伊香保(いかほ)ろの沿(そ)ひの榛原(はりはら)我(わ)が衣(きぬ)に着(つ)きよらしもよひたへと思へば

意味

〈3431〉
 足柄の安伎奈の山で作った舟を後ろに引きながら下ろすのが難しいように、後ろ髪を引かれるようだ、こんなにひどく、あの子のゆえに。
〈3432〉
 足柄の、私に心を懸けているという可鶏山のように、私をかどわかして下さい、門(かど)を閉ざしていようとも。
〈3433〉
 薪を伐る鎌、その鎌倉山の枝をしならせている木を、松(待つ)とさえお前が言うならば、こんなに恋い焦がれてばかりいずに、すぐに帰って来ようよ。
〈3434〉
 上野の阿蘇山のつづらは、野が広いので伸び放題に広がる。そんな思いで私たちの関係も続いてきたのに、どうして今になって絶えることがありましょう。
〈3435〉
 伊香保の山沿いに広がる榛の実は、私の着物によく染まることだ。一重(ひとえ)で裏がないから。

鑑賞

 3431~3433は、相模の国の歌。3431の「足柄(あしがり)」は「あしがら」の訛音で、神奈川県と静岡県の県境。「安伎奈の山」は、所在未詳。「引こ船」の「引こ」は「引く」の東語で、山で作った舟を、綱を引いて制御しながら川まで運ぶこと。上3句は「跡引かし」を導く譬喩式序詞。「後引かしもよ」の「もよ」は、詠嘆の終助詞で、後ろ髪を引かれるようだ。「ここば」は、たいそう、甚だしく。「児がたに」は、児のために。「来がたに」として、来るのが難しいと解する説もあります。

 3432の「吾を可鶏山」は、所在未詳。「かづの木」は「かぢの木」の東北訛りで、ウルシの一種であるヌレデを指すといわれます。上3句が「かづさねも」を導く同音反復式序詞。「かづさねも」の意味が分からず、「かづさ」は「かづす」の未然形で、誘う意の「かどふ」と同じ意味ともいわれます。「門(かづ)」は「かど」の東語。あるいは「殻(かづ)割かずとも」として「殻を割かなくても」と解する説もあります。難解な歌ですが、女が男を口説き、自分を盗み出してくれと訴えている歌と解するほかないようです。

 3433の「薪伐る」は、鎌を用いるところから「鎌倉」の枕詞。「鎌倉山」は、今の鎌倉市の背後にある丘陵地帯。「木垂る木」は、枝葉が垂れるほどに繁った木。上3句は、「まつ」を導く序詞で、「まつ」は「松」と「待つ」を掛けています。「恋ひつつやあらむ」の「や」は反語で、何でこんなに恋い焦がれていようか。裏に、すぐにでも飛んで行く意を含んでいます。賀茂真淵は、防人出立の折の男の歌かもしれないとの説を唱えていますが、普通の相聞歌のようでもあります。

 3434・3435は、上野の国の歌。3434の「阿蘇山」は所在未詳ながら、現在の群馬県渋川市付近にある山を指すとされています。「阿蘇山つづら」は、阿蘇山のつづら。「つづら」は、蔓草の総称。長く伸び、粘り強く絡み合う性質から、絶えることのない「縁」や「命」の比喩としてよく用いられます。「野を広み」の「広み」は「広し」のミ語法で、野が広いので。「延ひにしものを」は、延い広がるように、二人の仲もずっと続いてきたのに。「あぜか絶えせむ」の「あぜ」は、どうしての意の東語。「絶えせむ」は、途絶えることがあろうか(いや、ない)。強い反語によって「決して終わることはない」という確信を述べています。

 3435の「伊香保ろ」は、榛名山。「ろ」は、東歌に多用される、親愛や特定の場所を示す接尾辞。「沿ひの榛原」は、山沿いのハンノキが生えている原。「着きよらしもよ」の「よらし」は「よろし」の古形、「もよ」は感動の助詞で、わが衣に着く色のよいことよ。「ひたへと思へば」の「ひたへ」は、一重(裏地のない単衣)の意で、心の「ひたすら(一途)」を掛けています。純粋の意の「ひたたへ」の略とする見方もあります。「と思へば」は、〜と思っているので。窪田空穂はこの歌について次のように述べています。「『榛原』と『衣』とは男女の譬喩で、どちらをどちらにしても意は通じるが、この歌は作者は男で、『榛原』を女に、自身を衣に譬えたものと取れる。作意は、女が我によく親しんで、楽しい仲となっているが、それはわが心が真実だからだと、女を誘えつつも、自身の真実を婉曲に誓い直している心と取れるからである。取材としては野趣のあるものであるが、美しく拡がりをもった歌である」
 


『万葉集』の民謡的世界

犬養孝著『万葉の旅・上』/平凡社から引用

 貴族層の歌が、民謡とともにある世界からはなれて個性化・貴族化の一路をたどっているときに、各地方の民衆のあいだには、民謡乃至民謡的世界が、各期にわたって根強く展開していたとみられる。作者未詳の巻の中には民謡的性格の濃いものが多く、これらは歌謡として民衆のあいだにうたいつがれていた歌であるから、作者も制作年時も明らかでない。巻14の東歌は、多少の例外を除いておおむね、東国の庶民のあいだにうたわれていた歌で、ほとんどが恋の情感をうたっている。いずれも、東国民衆の土の生活に密着した素朴純真な情感が率直にあらわされ、かれらの生活環境や地方色に方言さえまじえて、健康な野趣に満ちている。民衆の共同作業や各種の生活のあいだに非個性的類型的表現を通して共通感情があらわされ、したがって同じような歌が、ところをかえてうたわれてもいる。個人によって作られる歌ではなくて、文芸意識以前の、いわば生活の中から生まれた歌である。

 東歌と同じ地盤に立つ天平勝宝7年(755年)の東国防人の歌(巻20所収)は、防人交替の特殊事情に際しての個人の詠作であるが、中央人の発想とはいちじるしく異なって、東歌にかよう生活に密着した素朴な情感に真情の輝きを見せている。巻13には、古代歌謡にかよう小長歌がある。巻16には、北陸その他の民謡があり、ことに能登の歌謡は、非文化的日常生活における被治者間の愛情の生むところとして注目され、中には能登のわらべ歌とみるべきものがある。『人麻呂歌集』にも民謡的のものは多く、巻11・12にも近畿を中心として民謡的性質のゆたかなものが見られる。

 このような、文芸以前の民謡的世界のものが『万葉集』中にたくさんあることは、貴重な遺産であることはもちろん、万葉貴族和歌が、まだ底流としての民謡的世界と絶縁していない証拠であって、時代がさがるにつれて民謡的世界からはなれながらも、文芸創作の栄養源として学びとられていることは、貴族和歌の民謡的世界とのかかわりあいの在り方をしめしていて注目される。 

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古典に親しむ

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