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巻第14(索引)万葉集(掲載歌の索引)古典に親しむ

『万葉集』巻第14-3436~3440

訓読

3436
しらとほふ小新田山(をにひたやま)の守(も)る山のうら枯(が)れせなな常葉(とこは)にもがも
3437
陸奥(みちのく)の安達太良(あだたら)真弓(まゆみ)はじき置きて反(せ)らしめきなば弦(つら)はかめかも
3438
都武賀野(つむがの)に鈴(すず)が音(おと)聞こゆ可牟思太(かみしだ)の殿(との)の仲子(なかち)し鳥猟(とがり)すらしも
[或本の歌に曰く、美都我野に、また曰く、若子し]
3439
鈴が音(ね)の早馬駅家(はゆまうまや)の堤井(つつみゐ)の水を賜(たま)へな妹(いも)が直手(ただて)よ
3440
この川に朝菜(あさな)洗ふ子 汝(な)れも我(あ)れもよちをぞ持てるいで子 給(たば)りに [一云に汝( まし)も我れも]

意味

〈3436〉
 新田山の山守に大切に守られている木々のように、梢が枯れることなく、ずっと青葉でいてほしい。
〈3437〉
 陸奥の安達太良山の真弓の弦をはずして反らせたまにして来たら、もう二度と弦は張れません。
〈3438〉
 都武賀の野から鈴の音が聞こえる。可牟思太のお屋敷に住む若様が鷹狩りをなさっているらしい。
〈3439〉
 駅鈴(えきれい)の音が聞こえる早馬のいる駅家の、湧き井戸の水を下さい、娘さん、あなたの素手で直接に。
〈3440〉
 この川で朝菜を洗う娘さん、あなたも私も互いによちを持っていますよね。私にあなたのよちを下さいな。

鑑賞

 3436は、上野の国の歌。「しらとほふ」は語義、掛かり方とも未詳ながら、「小新田山」の枕詞。一説には白い布が外に現れる意から「白(しら)外(と)ふ」とし、新鮮さや明るいイメージを導くとされます。「小新田山」の「小」は、親愛の意を込めた美称。「新田山」は、現在の太田市北方の金山(かなやま)。「守る山の」の「守る」は、山番が守っている、あるいは神が守っている。「末枯れせなな」の「末枯れ」は、枝先が枯れること。転じて、人が衰えたり、元気がなくなったりすることの比喩。「せなな」は、動詞「す」の未然形+希望の助詞「な」+禁止(あるいは強い願望)の「な」。衰えたり枯れたりしないでほしい。「常葉にもがも」の「常葉」は、常に青々としている葉で、不変、永遠の象徴。「もがも」は、願望。男女いずれの歌か不明で、また夫婦間の相聞、あるいは親、子どもに対して言っているようにも受け取れます。

 3437は、陸奥の国(福島、宮城、岩手、秋田、青森の各県)の歌。「安達太良」は、現在の福島県二本松市の安達太良山。「真弓」は、マユミの木で作った強靭な弓。「はじき置きて」は、弓の用が済んで弦をはずした状態で放置して。「弦はかめかも」の「はかめ」は、「張る(はく)」の可能形「はける」の未然形+推量の助動詞「む」の已然形。「かも」は、疑問を含む反語。(もう一度)弦を張ることができるだろうか、いや、もうできないだろう。弓は、通常、使用しない時は弦をはずして弾力を弱らせないようにするものの、あまりに長く放置すると弓が反ったままになり弦が張れなくなる、と言っており、これを男女の関係に置き換えると、一度心が離れ、互いへの気遣いを忘れて放置してしまえば、相手の心は頑なになり、二度と元の円満な関係には戻れない、との嘆きになります。安達太良真弓を自身に喩え、男から甚だしく疎遠にされている女の訴えの歌です。

 3438から、未勘国歌(国名のない歌)140首(或本歌を除く)が並びます。3438の「都武賀野」は、所在未詳。「鈴が音」は、鷹狩の際に鷹の尾羽に付けた鈴が鳴る音。「可牟思太」は、所在未詳。「殿」は、邸宅、あるいはその主である有力者(地方官や豪族)。「仲子し」の「仲子」は、次男、あるいは長男・末子以外の男子。「し」は、強意の副助詞。「鳥猟すらしも」は、鷹狩をしているらしい。「らしも」の「らし」は、強い推量、「も」は、感動の助詞。鷹狩りは、当時の貴族や有力者の高度な遊興であり、権威の象徴でもありました。作者は、まだうら若い乙女でしょうか、その土地の豪族か、都から赴任した地方官の御曹子が鷹狩を楽しんでいる様子に、そこはかとない羨望と憧憬を感じている歌です。

 3439の「鈴が音の」は、公用の時に馬に鈴を付けたところから「早馬」に掛かる枕詞。「早馬(はゆま)」は「はやうま」の約。「早馬駅家」は、官吏が利用する公用の馬を置く駅舎で、宮道のおよそ30里(約16km:江戸時代に定められた1里=約4kmとは異なる)ごとに設けられ、官人の宿所と食糧を提供する施設も兼ねていました。「堤井」は、湧水の周りを石や木で囲った井。「賜へな」の「な」は、願望の終助詞。「直手」は、手でじかにの意。「よ」は、手段・方法を示す格助詞。~から。この歌は、駅家にあって、食事その他の雑用で働く若い女性、つまり駅家の娘さんに声をかけた形の歌、あるいは宿場の宴での戯れ歌と見られますが、作家の大嶽洋子は、「鈴の音、早馬、つつみ井、水を渡す美少女の白い手と言葉の躍動感とともに視覚的にも美しい」と評しています。

 3440の「朝菜洗ふ子」は、朝方の川門などで菜を洗っている娘に呼びかけた語。「よち」は、似合いの物、同じ年頃の子。ここでは互いの性器を隠喩しているといわれ、俗に男性器をムスコ、女性器をムスメと言うのになぞらえて、「あなたの娘と私の息子はお似合いだ」と戯れて言っています。「いで」は、相手を誘う気持ちを表す感動詞。宿場の女に声をかけた歌のようですが、このようなあからさまな歌も堂々と収録されているのが『万葉集』です。ただし、全く異なる解釈もあり、男の子を持っている母親が、川門で朝菜を洗っている娘を見かけて、その母親に、自分の息子と似合いの年頃だ、あの娘を息子の妻にください、と申込みをしている歌と見るものもあります。
 


駅家(うまや)

 古代の五畿七道の駅道に置かれた、駅使(朝廷から駅鈴を下付され、駅馬や駅家を利用することを許された公用の使者)の通行、宿泊のための施設のこと。原則として30里(約16km)ごとに置かれ、駅長の管理のもと、駅使が使用する駅馬、乗員、駅子、駅馬を飼育するための厩舎、水飲場、駅長や馬子が業務するための部屋、駅使が休憩や宿泊するための部屋、食事をするための給湯室や調理場、秣・馬具・駅稲・酒・塩などを収納する倉庫などを備えていました。

 各駅には、駅長と少なくても駅馬の数だけの駅子(えきし)がいて、駅馬の飼育、駅使(駅馬を供給される官使)の逓送、接待、駅田の耕作に従事しました。駅馬の数は、一応、大路20疋、中路10疋、小路5疋と定められていましたが、例外もあったようです。 

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巻第14の編纂者

 巻第14の編纂者が誰かについては諸説あり、佐佐木信綱は、藤原宇合(不比等の第3子)が常陸守だった時に属官として仕え、東国で多くの歌を詠んだ高橋虫麻呂だとしています。ただ、東歌の編纂は、虫麻呂一人の仕事ではなく、のちにそれに手を加えた人のあることが推量され、その人を大伴家持とする説もあります。一方、この巻に常陸の作の多いことも認められるが、上野の国の歌はさらに多く、その他多くの国々の作を、常陸に在任したというだけで虫麻呂の編纂と断ずることはできないとの反論もあり、その上野国に関連して、和銅元年(708年)に上野国守となった田口益人(たぐちのますひと:『万葉集』に短歌2首)と見る説もあります。さらには、これら個人の仕事ではなく、東国から朝廷に献じた「歌舞の詞章」だという説もあります。 

古典に親しむ

万葉集・竹取物語・枕草子などの原文と現代語訳。