本文へスキップ

巻第14(索引)万葉集(掲載歌の索引)古典に親しむ

『万葉集』巻第14-3471~3475

訓読

3471
しまらくは寝(ね)つつもあらむを夢(いめ)のみにもとな見えつつ我(あ)を音(ね)し泣くる
3472
人妻(ひとづま)とあぜかそを言はむ然(しか)らばか隣(となり)の衣(きぬ)を借りて着なはも
3473
左努山(さのやま)に打つや斧音(をのと)の遠(とほ)かども寝(ね)もとか子ろが面(おも)に見えつる
3474
植ゑ竹(だけ)の本(もと)さへ響(とよ)み出(い)でて去(い)なばいづし向きてか妹(いも)が嘆かむ
3475
恋ひつつも居(を)らむとすれど遊布麻山(ゆふやま)隠(かく)れし君を思ひかねつも

意味

〈3471〉
 しばらくの間だけでもぐっすり寝たいのに、あなたの姿が夢にばかり出てきては、私を泣かせる。
〈3472〉
 人妻には何で手出しするなと言うのか。それならば、隣の人の着物を借りて着ることだってあるではないか。
〈3473〉
 佐野山で打つ斧の音のように遠いけれど、共寝してもいいわよとあの子が言うのか、はっきりと面影に見えたことだ。 
〈3474〉
 竹の林の根元さえ鳴り響くほど騒ぎ立てて旅に出たなら、私の妻はどちらを向いて嘆くだろう。
〈3475〉
 恋い焦がれながらも、このままじっと待っていようと思うけれど、遊布麻山の向こう側に隠れていったあの方を思うと、堪え切れません。

鑑賞

 3471の「しまらく」は、しばらくの間は。少しの間だけでも。「寝つつもあらむを」は、このまま寝ていたいのに。「夢のみに」は、夢の中にばかり。「もとな」は、わけもなく、やたらに。「見えつつ」の「つつ」は、動作の反復・継続を表す接続助詞。「音し泣くる」の「し」は強意の副助詞、「くる」は連体形による詠嘆的な終止。寝たかと思うとすぐにあなたの姿が夢に見える。現実に逢えない悲しさに声をあげて泣かれる、という、待っても来ない男を待つ女の悲しみの歌です。

 3472の「あぜかそを言はむ」は、どうしてそんなことを言うのか。「あぜ」は「なぜ」の東国訛り。「そを」は、「人妻と」を承けたもの。「然らばか」は、それなら~か。「借りて着なはも」は、借りて着なかろうか、着ているではないか。人妻に言い寄った男が、女から人妻だからといって断られたのに対し押し返した歌ととれ、理屈よりも感情を優先させる、東国人の血気の良さが伝わります。しかし、実際、このような言葉で真面目に人妻を誘うはずもなく、男同士の酒宴のような場で哄笑とともに詠まれた歌と思われます。「然らばか」という、歌の世界にはふさわしくない言葉で、いかにも理屈めいて言っているのが利いています。またこの歌からは、当時は隣の着物を借りることが普通に行われていたことが察せられます。

 3473の「左努山」は、所在未詳。「打つや斧音の」は、打つ斧の音のように。「や」は、間投助詞。上2句は「遠かども」を導く譬喩式序詞。「遠かども」は「遠けども」の東語。「寝もとか」の「も」は「む」の東国語形で、寝たいというので~か。「面に見えつる」は、面影に見えたことだ。3474の「植ゑ竹」は、植えた竹。野の竹に対比させた語で、門のあたりにある竹。「本」は、根元。「いぢし向きて」の「いづし」は「いづち」の東語で、どちらを向いて。「妹が嘆かむ」の「む」は連体形で、上の「か」の係り結び。防人などに出立の時の歌であろうとされます。

 3475の「恋ひつつも」は、(じっと耐えて)恋い慕いながらも。「居らむとすれど」は、このままじっと待っていようと思うけれど。「遊布麻山」は、所在未詳。「隠れし君を」は、(山の向こうに姿が)隠れてしまったあなたを。「思ひかねつも」は、思うと堪えられないことだ。「も」は、詠嘆。前の歌が、旅立つ夫の妻を思う歌であるのに対して、こちらは、夫を旅立たせた妻の、夫を恋うる歌です。視覚的な遮断がもたらす絶望的なまでの孤独感が歌われています。
 


勘国歌と未勘国歌

 巻第14の「東歌」230首(或本歌を除く)のうち、国名を明らかにするものが前半に、不明の歌が後半に置かれており、後半を「未勘国歌」と呼んでいます。この呼び名は、目録に「未勘国雑歌」などとあるのによりますが、元々は、巻末に「以前の歌詞は、未だ国土山川の名を勘へ知ることを得ず」とあることに発しているものです。そこから、前半を「勘国歌」とも呼んでいます。

【PR】

『万葉集』の民謡的世界

犬養孝著『万葉の旅・上』/平凡社から引用

 貴族層の歌が、民謡とともにある世界からはなれて個性化・貴族化の一路をたどっているときに、各地方の民衆のあいだには、民謡乃至民謡的世界が、各期にわたって根強く展開していたとみられる。作者未詳の巻の中には民謡的性格の濃いものが多く、これらは歌謡として民衆のあいだにうたいつがれていた歌であるから、作者も制作年時も明らかでない。巻14の東歌は、多少の例外を除いておおむね、東国の庶民のあいだにうたわれていた歌で、ほとんどが恋の情感をうたっている。いずれも、東国民衆の土の生活に密着した素朴純真な情感が率直にあらわされ、かれらの生活環境や地方色に方言さえまじえて、健康な野趣に満ちている。民衆の共同作業や各種の生活のあいだに非個性的類型的表現を通して共通感情があらわされ、したがって同じような歌が、ところをかえてうたわれてもいる。個人によって作られる歌ではなくて、文芸意識以前の、いわば生活の中から生まれた歌である。

 東歌と同じ地盤に立つ天平勝宝7年(755年)の東国防人の歌(巻20所収)は、防人交替の特殊事情に際しての個人の詠作であるが、中央人の発想とはいちじるしく異なって、東歌にかよう生活に密着した素朴な情感に真情の輝きを見せている。巻13には、古代歌謡にかよう小長歌がある。巻16には、北陸その他の民謡があり、ことに能登の歌謡は、非文化的日常生活における被治者間の愛情の生むところとして注目され、中には能登のわらべ歌とみるべきものがある。『人麻呂歌集』にも民謡的のものは多く、巻11・12にも近畿を中心として民謡的性質のゆたかなものが見られる。

 このような、文芸以前の民謡的世界のものが『万葉集』中にたくさんあることは、貴重な遺産であることはもちろん、万葉貴族和歌が、まだ底流としての民謡的世界と絶縁していない証拠であって、時代がさがるにつれて民謡的世界からはなれながらも、文芸創作の栄養源として学びとられていることは、貴族和歌の民謡的世界とのかかわりあいの在り方をしめしていて注目される。 

古典に親しむ

万葉集・竹取物語・枕草子などの原文と現代語訳。