| 訓読 |
3496
橘(たちばな)の古婆(こば)の放髪(はなり)が思ふなむ心愛(うつく)しいで吾(あれ)は行かな
3497
川上(かはかみ)の根白高萱(ねじろたかがや)あやにあやにさ寝(ね)さ寝てこそ言(こと)に出(で)にしか
3498
海原(うなはら)の根(ね)柔(やは)ら小菅(こすげ)あまたあれば君は忘らす我(わ)れ忘るれや
3499
岡に寄せ我(わ)が刈る萱(かや)のさね萱(かや)のまことなごやは寝(ね)ろとへなかも
3500
紫草(むらさき)は根をかも終(を)ふる人の子のうら愛(がな)しけを寝(ね)を終(を)へなくに
| 意味 |
〈3496〉
橘の古婆にいるおさげ髪の少女の、私を思っているらしい心がかわいい。さあ、今から私は逢いに行こう。
〈3497〉
川上の根の白くあらわれている高い丈の萱のように、すらりとした色白の女、無我夢中で何度も繰り返し寝たからこそ、人の噂にのぼってしまった。
〈3498〉
海辺に生える根の柔らかい菅のような、しなやかで美しい女が多いので、あなたは私のことはお忘れでしょうが、私はあなたを忘れるものですか。
〈3499〉
陸の方に引き寄せながら刈っている萱ではないが、ほんに柔らかい肌のあの娘は、一緒に寝ようとは言ってくれないことだ。
〈3500〉
紫草は根を染料に使い果たすという。が、私は可愛いあの子とは、まだ共寝を果たすことができないでいることだ。
| 鑑賞 |
3496の「橘の古婆」は、地名と見られますが所在未詳(「橘」を枕詞とする説もある)。「放髪」は、結い上げずに頭上で左右に分けて垂らす「振り分け髪」のことで、その髪型から15、6歳以下ぐらいの少女を指します。この時代の女性の髪型は、8歳ごろまでは現在のおかっぱと同じで、すそを切り揃え、その後が振り分け髪の時代で、肩のあたりまで髪を伸ばします。そして、結婚するか結婚適齢期になると、もっと伸ばして髪を結い上げたとされます。「思ふなむ」の「なむ」は「らむ」の東語。「心愛し」は、心根が愛しい。「いで我は行かな」の「いで」は、感動詞の「さあ」、「な」は、自分の意志・決意を表す終助詞。。若い恋人を持った男の歌ですが、この歌の解釈について、窪田空穂は、「この男は、放髪の女と関係していることを不自然に感じていたとみえ、『心愛し』と、その女の許へ行くことに理由をつけ、また、『いで吾は行かな』と、我と自身を誘う心を持っている」として、若すぎる女のところへ通うので心が咎めていると解釈していますが、佐佐木幸綱は、男がのろけているように読めると言っています。
3497の「根白高萱」は、水に洗われて根が白く、丈の高い萱。上2句は「あや」を導く序詞。「たかかや」が「あやにあやに」を類音で呼び起こしています。「あやにあやに」は、何とも言えないほど、ほんにほんに。「さ寝さ寝てこそ」の「さ」は接頭語で、「こそ」は強調の係助詞。何度も繰り返し寝て。水に洗われた真っ白な萱の茎は女性の肌を暗示しているのでしょう。その白さに無我夢中になって共寝を重ねたというのです。「言に出にしか」は、人の噂にのぼってしまった。「しか」は過去の助動詞「き」の已然形で、「こそ」の結び。「あやにあやに」「さ寝さ寝て」と、言葉を畳み掛けるリズムは、抑えきれない情熱の昂ぶりを表現しており、後悔しているようでいて、どこか誇らしげな響きのある歌です。
3498の「海原」は、本来は広々とした海の意ですが、ここは海辺、海岸のこと。「根柔小菅」は、根の柔らかな小菅。「根柔」は、寝るのに柔らかな、つまり寝やすい「寝柔」(「柔」は、若い女性の暗示)を掛け、相手の男と関係のある女性を喩えています。「あまたあれば」は、たくさんあるので。「忘らす」は「忘る」の尊敬語。「我忘るれや」の「や」は反語で、私は忘れるだろうか、いや忘れない。他の女性に心を奪われて疎遠になった夫を恨む女の歌とされますが、「根柔小菅」を遊行女婦の譬喩とする見方もあります。
3499の「岡に寄せ」は、岡(陸地)の方に寄せて。「さね萱」は、カヤの一種。ここでは「さね」という音から、男女が共に寝ることを意味する「さ寝」を導き出す掛詞になっています。「まことなごやは」の「まこと」は、本当に。「なごや」は、柔らかいもの。ここは柔肌の女性の比喩。「寝ろとへなかも」は、一緒に寝ようとは言ってくれないことだ。「へな」は「言はぬ」の訛り。「かも」は、詠嘆。いくら口説いても応じようとしない女のことを思い、嘆息している歌とされますが、「へなかも」は、「言へるかも」「言ふにかもあらむ」として、寝ようと言うのかな、と解するものもあります。窪田空穂はこの歌について、「男が岡に生えているさね茅を刈りながら、くどいても応じない女のことを思い出して歎息している形の歌である。刈っている茅の靡きやすいところからの連想で、心理的のつながりがある。・・・この種の歌としては、心細かい、語のこなれた、すぐれたものである」と述べています。
3500の「紫草」は、山地や草原に生え、その根から紫色の染料を採る多年草。夏の頃に小さな五弁の白い花を咲かせます。「根をかも終ふる」は、根を終わりにするだろうか、その根の用を果たすのだろうか。「人の子」の「人の」は、女の愛称の「子」を強調するために冠したもの。「うら愛しけ」は「うら愛しき」の東語で、「うら」は心を指す接頭語。心の底から愛おしいあの子。「終へなくに」の「終へ」は完了させる意、「なくに」は詠嘆的終止で、まだ共寝を果たすことができないでいることだ。懸想している女を我が物にできずにいるのを嘆き、「根」と「寝」を語呂合わせにした歌です。窪田空穂はこの歌について、「紫草は染料中の最も貴い物になっていたので、おのずから『人の子』の美しさ貴さを暗示するものとなって、含蓄あるものとなっている。したがってこの序詞は、一首を単純化し、気分化している、巧妙なものである。序詞から見て、東国の歌とは取れるが、上品で、気が利いていて、奈良朝時代を思わせる歌である」と述べています。

東歌について
犬養孝『万葉の旅・中』/平凡社から引用
万葉集巻14に「東歌」として短歌のみ230首(他に或本歌・一本歌8首)がある。「あづま」の範囲は広くいえば不破・鈴鹿以東、東海・東山の諸国だが、巻14では国名のわかっているもの(90首)を、遠江以東の旧東海道諸国、信濃以東の旧東山道諸国にわけ、国名不明のもの(140首)を次に一括してあり、右の範囲外の土地のものも若干まざっている。一言でいえば「あづまうた」は東方諸国(東国)関係の歌といえよう。
ほとんどが恋の歌で、作者は未詳。大部分は東国の庶民の間でうたわれた民謡ないし民謡的世界のものとみられるが、中には中央人の作も若干はいっているとみられる。これらの歌も、巻14の編纂をみるまでには、中央人による変改や加工も若干あることは考えておかなければならない。歌がいつごろのものかは明らかでないが、大要、第2期から第3期にかけてのころとみられる。
巻14の編纂の時期について、もと東山道に属していた武蔵国を宝亀2年(771年)10月に東海道に編入したことから、巻14の配列では武蔵が東海道筋の相模と上総の間におかれていることに着目して、編纂は宝亀2年10月以後とする(山田孝雄博士説)。この説は動かしがたいが、その前にすでに編纂されていたものの改編とみられ、はじめの編纂の時期は明らかでない。
編纂にいたる前の原資料としての東歌がどのようにして集められたかについては、こんにちまでのところ確定説はない。高橋虫麻呂や大伴家持その他中央の個人の採集を考える説、国庁の官人らの採集を考える説、東国の国々から朝貢とともに年を追うて宮廷に進上された歌が大歌所に記録されていたものとする説など諸説があるが、この解決は将来にのこされている。
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