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巻第14(索引)万葉集(掲載歌の索引)古典に親しむ

『万葉集』巻第14-3506~3510

訓読

3506
新室(にひむろ)のこどきに至ればはだすすき穂に出(で)し君が見えぬこのころ
3507
谷(たに)狭(せば)み峰(みね)に延(は)ひたる玉葛(たまかづら)絶えむの心(こころ)我(わ)が思(も)はなくに
3508
芝付(しばつき)の御宇良崎(みうらさき)なるねつこ草(ぐさ)相(あひ)見ずあらば我(あ)れ恋ひめやも
3509
栲衾(たくぶすま)白山風(しらやまかぜ)の寝(ね)なへども子ろが襲着(おそき)のあろこそ良(え)しも
3510
み空(そら)行く雲にもがもな今日(けふ)行きて妹(いも)に言問(ことど)ひ明日(あす)帰り来(こ)む

意味

〈3506〉
 蚕の部屋にこもって忙しく作業する時期になったのか、私を好きだと言ったあの人に逢えないこのごろよ。
〈3507〉
 谷が狭いので峰に向かって伸びている玉葛の、引けば絶えるような、そんな関係を絶やそうなどという心は持っていません。
〈3508〉
 芝付の御宇良崎のねつこ草、一緒に寝たあの子に逢っていなかったならば、何でこれほどに恋しく思うだろうか。
〈3509〉
 白山から下ろす風が寒くて寝られないけど、愛しい妻が用意してくれた上着があるので 本当に嬉しい。
〈3510〉
 空を流れていく雲であったらいいのに。そしたら、今日にでも行ってあの子と語り合い、明日には帰って来れるのに。

鑑賞

 3506の「新室」は新しく造った家。ここでは養蚕のための小屋。「こどき」は「蚕時」で、蚕を飼う時期。「はだすすき」は、表皮を被ったススキの穂で「穂」の枕詞。「穂に出し」は、好意を表面にあらわしたこと。ススキの花穂の赤みがかった色は、恋心に染まる頬の色に通じています。養蚕は、蚕が上蔟(じょうぞく:成熟した蚕を、繭を作らせるために蔟〈まぶし〉という場所 に移し入れること)の頃になると、新しく建物を作り、女たちはそこにこもって働きました。すると、今までのような戸外での作業がなくなるので、好きな男とも会えなくなる、そういうことを歌っています。女の集団労働の場で歌われた歌かもしれません。ただ、当時の農民の住居が竪穴住居であったとすれば、養蚕のためにわざわざ別の建物を建てたとは考えにくいとの疑問も呈されています。

 3507の「谷狭み」の「狭み」は「狭し」のミ語法で、谷が狭いので。「峰に延ひたる」は、峰の方に延びている。谷が狭いために上へ上へと延びていることを言っています。「玉葛」について窪田空穂は、「蔦の名で、玉のような実のなるところからの称であろう。場合柄、玉は美称ではなかろう」と言っています。上3句は「絶えむ」を導く譬喩式序詞。「絶えむの心」は、二人の仲を絶やそうなどという心。「我が思はなくに」の「に」は、逆接、詠嘆のどちらとも取れます。女が男に対して貞実を誓ったとされます。

 3508の「芝付」は地名と見られますが、所在未詳。「御宇良崎」は、三浦半島のどこかの岬か。「ねつこ草」は未詳ながら、「寝つ子」を掛けており、ここまでの3句が「相見」を導く序詞。「相見ずあらば」は、逢わなかったならば、関係を結ばなかったならば。「恋ひめやも」の「やも」は反語で、恋しく思うだろうか、思わない。

 3509の「栲衾」は、栲すなわち楮(こうぞ)で作った衾(夜具・蒲団)で、その色の白いところから「白」にかかる枕詞。「白山」は、加賀国の白山、あるいは東国の同名の山か。「白山風」は、白山から吹き下ろす冷たい風。独り寝の寒さを強調します。「寝なへども」は、寝られないけれども。「子ろ」は、女の愛称。「襲着」は、重ねて着る服、上着。「あろこそ良しも」の「あろ」は「有る」の東語。「良しも」は、良いなあ、という強い肯定・詠嘆。

 3510の「み空」の「み」は接頭語で、「空」の美称。「雲にもがも」の「もがも」は、願望で、雲であればいいのになあ。「言問ふ」は、ものを言う、訪問する。「明日帰り来む」は、明日には帰って来よう。「む」は意志の助動詞。公務で地方に赴任している男の歌とされます。
 


『万葉集』の民謡的世界

犬養孝著『万葉の旅・上』/平凡社から引用

 貴族層の歌が、民謡とともにある世界からはなれて個性化・貴族化の一路をたどっているときに、各地方の民衆のあいだには、民謡乃至民謡的世界が、各期にわたって根強く展開していたとみられる。作者未詳の巻の中には民謡的性格の濃いものが多く、これらは歌謡として民衆のあいだにうたいつがれていた歌であるから、作者も制作年時も明らかでない。巻14の東歌は、多少の例外を除いておおむね、東国の庶民のあいだにうたわれていた歌で、ほとんどが恋の情感をうたっている。いずれも、東国民衆の土の生活に密着した素朴純真な情感が率直にあらわされ、かれらの生活環境や地方色に方言さえまじえて、健康な野趣に満ちている。民衆の共同作業や各種の生活のあいだに非個性的類型的表現を通して共通感情があらわされ、したがって同じような歌が、ところをかえてうたわれてもいる。個人によって作られる歌ではなくて、文芸意識以前の、いわば生活の中から生まれた歌である。

 東歌と同じ地盤に立つ天平勝宝7年(755年)の東国防人の歌(巻20所収)は、防人交替の特殊事情に際しての個人の詠作であるが、中央人の発想とはいちじるしく異なって、東歌にかよう生活に密着した素朴な情感に真情の輝きを見せている。巻13には、古代歌謡にかよう小長歌がある。巻16には、北陸その他の民謡があり、ことに能登の歌謡は、非文化的日常生活における被治者間の愛情の生むところとして注目され、中には能登のわらべ歌とみるべきものがある。『人麻呂歌集』にも民謡的のものは多く、巻11・12にも近畿を中心として民謡的性質のゆたかなものが見られる。

 このような、文芸以前の民謡的世界のものが『万葉集』中にたくさんあることは、貴重な遺産であることはもちろん、万葉貴族和歌が、まだ底流としての民謡的世界と絶縁していない証拠であって、時代がさがるにつれて民謡的世界からはなれながらも、文芸創作の栄養源として学びとられていることは、貴族和歌の民謡的世界とのかかわりあいの在り方をしめしていて注目される。

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古典に親しむ

万葉集・竹取物語・枕草子などの原文と現代語訳。