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巻第14(索引)<万葉集(掲載歌の索引)<古典に親しむ

『万葉集』巻第14-3540~3544

訓読

3540
左和多里(さわたり)の手児(てご)にい行き逢ひ赤駒(あかごま)が足掻(あが)きを速み言(こと)問はず来ぬ
3541
崩岸辺(あずへ)から駒の行(ゆ)ごのす危(あや)はとも人妻(ひとづま)子ろを目ま行(まゆ)かせらふも
3542
細石(さざれいし)に駒を馳(は)させて心痛み我(あ)が思(も)ふ妹(いも)が家のあたりかも
3543
むろがやの都留(つる)の堤(つつみ)の成りぬがに子ろは言へども未(いま)だ寝(ね)なくに
3544
阿須可川(あすかがは)下(した)濁(にご)れるを知らずして背(せ)ななと二人さ寝(ね)て悔しも

意味

〈3540〉
 評判の左和多里(さわたり)の美少女にたまたま行き合ったが、乗る馬の足が速かったので、声もかけずに通りすぎてしまった。
〈3541〉
 崖っぷちを馬が行くのは危なっかしいように、人妻のあの人に近づくのは危なっかしいが、だからといって目で見るだけではいられない。
〈3542〉
 小石が続く河原の上に馬を駆けさせて、その蹄が痛むように、心痛いまでに思っている妻の家のあたりだ、ここは。
〈3543〉
 むろがやを流れる都留川の堤が出来上がったと、まるで二人の仲ができあがったかのようにあの子は言うけれど、まだ一度も寝ていないんだ。
〈3544〉
 阿須可川の底が濁っていること、そう、心が濁っているのを知らずに、あんな人と寝てしまって、なんて悔しい。

鑑賞

 3540の「左和多里」の所在は未詳ながら、群馬県吾妻郡の沢渡温泉、茨城県水戸市の佐渡、福島県いわき市の沢渡などの地名があります。「手児」は、美少女の愛称。「い行き」の「い」は接頭語で、ばったり出逢ったが。「足掻き」は、蹴立てるような馬の足の運び。「速み」は「速し」のミ語法で、速いので。「言問はず来ぬ」は、物を言わずに来た。男性集団の戯笑歌とされ、伊藤博は、「過ぎたる想像かもしれないが、駒の足搔きの速かったのは駒のせいではなくて、若者自身の手綱捌きから起こったのではないかという気がしてくる。評判の美女に出逢ってすっかり上がってしまい、若者は思わず知らず馬をけしかけてしまったのではあるまいか」と述べており、窪田空穂は、「手児に関係をもっている男の心残りの歌である。叙事的な歌なので、淡いながらもその際の情景を浮かばせる歌である。こうした些事を詠んだ歌が、広く謡われていたということは、健康で、明るく、日常生活をたのしんでいたことを示していることである」と述べています。

 3541の「崩岸辺」は、崩れやすい崖っぷち。原文「安受倍」で、崖の上とも取れます。「駒の行ごのす」の「行ごのす」は「行くなす」の訛りで、馬が行くように。上2句は「危はとも」を導く譬喩式序詞。「危はとも」は、危ういけれども。「人妻子ろ」は、人妻である女。「目行かせらふも」は語義不詳で、関心を示さずにはいられない、目で見るだけではいられない、の意か。ほかに「まばゆく思う」「いい加減にしておけない」「行かせることだ」「こっそり逢う」と解するなど様々な説があります。「も」は、詠嘆の終助詞。いずれにしても人妻に心惹かれる内容であるとされ、この歌と3539の歌は類想歌です。

 なお、東歌における人妻に関する歌(3472・3539・3541・3557)について、国文学者の大久保正は、すべて、歌垣・若者衆の集いなどの集団の場で、笑いをこめて唱われたと見るべきだとし、「この歌も男女相集う集団の場で歌われたのが本来の姿であり、中には人妻も混る広場で、多勢の男女が互いに目で見交わしながら、歌い交わされた、蟠りのない明るい歌であったと考える」と論じています。

 3542の「細石」は、河原の小石、砂利石。「駒を馳させて」は、馬を駆けさせて。上2句は、小石の多い河原を走らせて馬の蹄が痛む意で「心痛み」を導く譬喩式序詞。「心痛み我が思ふ妹」は、心が痛いまでに思っている妻。「家の辺かも」は、家の辺りであるよ。「かも」は詠嘆の終助詞で、女の家の近くまで来て、あっ、ここは妻の家の辺りだと気づいた時の感動。なお、馬の蹄の裏には窪みが左右にあって、馬が小石を踏みつけて入り込むことがあり、馬の痛がり方は尋常ではないといいます。馬をいとおしむ人が河原をわざわざ駆けるはずはなく、第3句の「心痛み」は馬のそういう激しい痛みを表しているものです。そこに至る序詞について窪田空穂は、「馬を深く愛している心持を無意識にあらわしているもので、生活の実際に即した心である。一首、日常生活の上のいささかの実感で、構えては捉えられないもので、そこに特色がある」と述べています。

 3543の「むろがや」は地名とされますが、未詳。「都留の堤」は、山梨県都留郡を流れる都留川の堤か。他の意味とする説もあり、解釈が定まっていない部分です。「成りぬがに」は、出来あがったかのように。堤防工事の完成と求婚の成就を掛けています。「子ろ」は、女の愛称。「未だ寝なくに」は、まだ一緒に寝てもいないのに。「に」は、詠嘆の終助詞。「私たちはもう夫婦同然よ」と彼女は言うけれど、まだ肉体関係は許さない、それを嘆き、不安に思う男の歌です。窪田空穂は、「女が拒みはしないが、進んで男に逢う機会を与えないというのは、心理的に自然なことである」とにべもなく述べています。

 3544の「阿須可川」は、大和の明日香川か東国のいずれかの地に存した川か未詳。下2句は東国の言葉遣いとなっているものの、かりに大和の明日香川だとしたら、東国人がそれを取り込んで詠んだとも、都人の歌が東国に伝わったとも考えられます。「下濁れるを知らずして」は、底の方が濁っているのを知らないで。男の本心が不誠実だったのを知らないで、の喩え。「背なな」の「背な」は「背子」の東語で、女性から男性を親しんでいう語。「背な」の「な」がすでに親愛の接尾語なのに、語調を重んじて「な」を重ねています。「悔しも」の「も」は、詠嘆の終助詞。相手の内面をよく知らないまま関係を持ってしまったことを後悔している女の歌とされます。
 


『万葉集』の歌番号

 『万葉集』の歌に歌番号が付されたのは、明治34~36年にかけて『国歌大観歌集部』(正編)が松下大三郎・渡辺文雄によって編纂されてからです。「正編」には、万葉集・新葉和歌集・二十一代集・歴史歌集・日記草紙歌集・物語歌集を収め、集ごとに歌に番号が付されました。これによって、国文学者らは、いずれの国書にでている和歌なのかをたちどころに知ることができるようになりました。『万葉集』の歌には、1から4516までの番号が付されています。ただ、当時のテキストとなった底本は流布本であり、またそれまでの研究が不十分だったために、一首の長歌を二分して二つの番号を付す誤りや、「或本歌」の取り扱いなどの問題もあり、4516という数字が『万葉集』の歌の正確な総数というわけではありません。しかし、ただ番号を付すというそれだけのことで、その後の国文学研究は大きく進展したのです。 

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「未勘国歌」の存在について

窪田空穂の評論から――

 資料としての東歌の保存されていた場所は、宮廷内であったと思われる。それが本巻編集者の手に入った時には、その保存方法の不十分であったために、かなり混乱していたのである。それは、国庁より朝廷に奉った時には、無論国分けがはっきりしていたはずであるのに、それらが一つにされていたために不明になり、東国の地名で、その所在の国の調べうる手がかりのあるものは、国分けができたが、手がかりのないものは手のつけようがなく、「未勘国」として一群とせざるを得なかったのである。その数の多いところから見て、混乱の度の甚しかったことが思われる。

 また、東歌の中に、防人の歌のまじっていることも注意される。防人の歌は、歌としては東歌とは全く別種のもので、同一に扱わるべきものではない。たとい少数であっても、そのまじっていることは不自然である。ある国の防人の歌が、かりにその国の民謡の中に加わったということも、必ずしもありうべからざることではないが、この混同はそうした経路よりのことではなく、双方宮廷内に保存されているうちに、不注意よりおのずから混同を来たしたものであろうと思われる。 

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