| 訓読 |
3540
左和多里(さわたり)の手児(てご)にい行き逢ひ赤駒(あかごま)が足掻(あが)きを速み言(こと)問はず来ぬ
3541
崩岸辺(あずへ)から駒の行(ゆ)ごのす危(あや)はとも人妻(ひとづま)子ろを目ま行(まゆ)かせらふも
3542
細石(さざれいし)に駒を馳(は)させて心痛み我(あ)が思(も)ふ妹(いも)が家のあたりかも
3543
むろがやの都留(つる)の堤(つつみ)の成りぬがに子ろは言へども未(いま)だ寝(ね)なくに
3544
阿須可川(あすかがは)下(した)濁(にご)れるを知らずして背(せ)ななと二人さ寝(ね)て悔しも
| 意味 |
〈3540〉
評判の左和多里(さわたり)の美少女にたまたま行き合ったが、乗る馬の足が速かったので、声もかけずに通りすぎてしまった。
〈3541〉
崖っぷちを馬が行くのは危なっかしいように、人妻のあの人に近づくのは危なっかしいが、だからといって目で見るだけではいられない。
〈3542〉
小石が続く河原の上に馬を駆けさせて、その蹄が痛むように、心痛いまでに思っている妻の家のあたりだ、ここは。
〈3543〉
むろがやを流れる都留川の堤が出来上がったと、まるで二人の仲ができあがったかのようにあの子は言うけれど、まだ一度も寝ていないんだ。
〈3544〉
阿須可川の底が濁っていること、そう、心が濁っているのを知らずに、あんな人と寝てしまって、なんて悔しい。
| 鑑賞 |
3540の「左和多里」の所在は未詳ながら、群馬県吾妻郡の沢渡温泉、茨城県水戸市の佐渡、福島県いわき市の沢渡などの地名があります。「手児」は、美少女の愛称。「い行き」の「い」は接頭語で、ばったり出逢ったが。「足掻き」は、蹴立てるような馬の足の運び。「速み」は「速し」のミ語法で、速いので。「言問はず来ぬ」は、物を言わずに来た。男性集団の戯笑歌とされますが、窪田空穂は、「手児に関係をもっている男の心残りの歌である。叙事的な歌なので、淡いながらもその際の情景を浮かばせる歌である。こうした些事を詠んだ歌が、広く謡われていたということは、健康で、明るく、日常生活をたのしんでいたことを示していることである」と述べています。
3541の「崩岸辺」は、崩れやすい崖っぷち。原文「安受倍」で、崖の上とも取れます。「駒の行ごのす」の「行ごのす」は「行くなす」の訛りで、馬が行くように。上2句は「危はとも」を導く譬喩式序詞。「危はとも」は、危ういけれども。「人妻子ろ」は、人妻である女。「目行かせらふも」は語義不詳で、関心を示さずにはいられない、目で見るだけではいられない、の意か。ほかに「まばゆく思う」「いい加減にしておけない」「行かせることだ」「こっそり逢う」などと解する説がさまざまあります。「も」は、詠嘆の終助詞。この歌と3539の歌は類想歌です。
3542の「細石」は、河原の小石、砂利石。「駒を馳させて」は、馬を駆けさせて。上2句は、小石の多い河原を走らせて馬の蹄が痛む意で「心痛み」を導く譬喩式序詞。「心痛み我が思ふ妹」は、心が痛いまでに思っている妻。「家の辺かも」は、家の辺りであるよ。「かも」は詠嘆の終助詞で、女の家の近くまで来て、あっ、ここは妻の家の辺りだと気づいた時の感動。ここの序詞について窪田空穂は、「馬を深く愛している心持を無意識にあらわしているもので、生活の実際に即した心である。一首、日常生活の上のいささかの実感で、構えては捉えられないもので、そこに特色がある」と述べています。
3543の「むろがや」は地名とされますが、未詳。「都留の堤」は、山梨県都留郡を流れる都留川の堤か。他の意味とする説もあり、解釈が定まっていない部分です。「成りぬがに」は、出来あがったかのように。堤防工事の完成と求婚の成就を掛けています。「子ろ」は、女の愛称。「未だ寝なくに」は、まだ一緒に寝てもいないのに。「に」は、詠嘆の終助詞。「私たちはもう夫婦同然よ」と彼女は言うけれど、まだ肉体関係は許さない、それを嘆き、不安に思う男の歌です。
3544の「阿須可川」は、大和の明日香川か東国のいずれかの地に存した川か未詳。「下濁れるを知らずして」は、底の方が濁っているのを知らないで。男の本心が不誠実だったのを知らないで、の喩え。「背なな」の「背な」は「背子」の東語で、女性から男性を親しんでいう語。「背な」の「な」がすでに親愛の接尾語なのに、語調を重んじて「な」を重ねています。「悔しも」の「も」は、詠嘆の終助詞。相手の内面をよく知らないまま関係を持ってしまったことを後悔している女の歌とされます。

『万葉集』の歌番号
『万葉集』の歌に歌番号が付されたのは、明治34~36年にかけて『国歌大観歌集部』(正編)が松下大三郎・渡辺文雄によって編纂されてからです。「正編」には、万葉集・新葉和歌集・二十一代集・歴史歌集・日記草紙歌集・物語歌集を収め、集ごとに歌に番号が付されました。これによって、国文学者らは、いずれの国書にでている和歌なのかをたちどころに知ることができるようになりました。『万葉集』の歌には、1から4516までの番号が付されています。ただ、当時のテキストとなった底本は流布本であり、またそれまでの研究が不十分だったために、一首の長歌を二分して二つの番号を付す誤りや、「或本歌」の取り扱いなどの問題もあり、4516という数字が『万葉集』の歌の正確な総数というわけではありません。しかし、ただ番号を付すというそれだけのことで、その後の国文学研究は大きく進展したのです。
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ミ語法
「ミ語法」とは、形容詞の語幹に語尾「み」を接続した語形を用いる語法。その意味は、「を」を伴うものは「を」が主格を表わし、「み」が原因や理由を表わすと考えられています。現存する文献の用例の大部分は『万葉集』であり、 上代以前に広く用いられたと考えられています。 中古以降は、擬古的表現として和歌にわずかに用いられました。
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万葉集・竹取物語・枕草子などの原文と現代語訳。 |