| 訓読 |
愛(かな)し妹(いも)をいづち行かめと山菅(やますげ)の背向(そがひ)に寝(ね)しく今し悔(くや)しも
| 意味 |
愛しい妻が死んでしまうとは思わないで、山菅の葉のように背を向け合って寝たことが、今となっては悔やまれてならない。
| 鑑賞 |
「挽歌」とある1首。「愛し妹」は、愛しいわが妻。「何処行かめと」は、どこへ行くのか、どこへも行くまい。「山菅の」は、類音の繰り返しで「背向」に掛かる枕詞。「背向」は、背中合わせ。「寝しく」の「し」は過去の助動詞で、「く」を添えて名詞形にしたもの。「今し悔しも」の「し」は強意の副助詞で、今こそ悔やまれるよ。妻が亡くなった後、生前の愛が足らなかったこと反省している夫の歌で、ささいなことでケンカした夜のことを思い出して悔やんでいます。「挽歌」とされていますが、妻と別れて旅に出た場合の歌とも解し得ます。
この歌と男女の立場を変えたものに、「吾が背子を何処行かめとさき竹の背向に寝しく今し悔しも」(巻第7-1412)があり、東歌はこの歌を歌い替えたもの、またはこれに拠ったものと見られています。ここの歌が、東歌らしくないとの評があるのも頷けるところです。この歌が巻第14の最終歌であり、左注に「以前の歌詞は、いまだ国土山川の名を勘(かむが)へ知ることを得ず」とあり、3438から3577までの140首が、国名地名を特定できない、としています。

そがひ(背向)
『万葉集』で「背向」と書かれることから、「背後」「後ろの方」の意味で取られることが多いが、「遥か彼方」「遠く離れゆくイメージ」という意味合いも指摘され、万葉集の用例すべてに適用できる現代語を当てることは難しい。
語構成については、「背向」という表記との関係で「ソ(背)+ムカヒ(向)」とされる。ただし「ムキ+アヒ」がムカヒとなるように、ソガヒを「ソキ(退)+アヒ」の約とする説も見られる。
万葉集の用法には、「背向に見ゆる」「背向に見つつ」「背向に寝しく」という三種類の形式が見られる。なかで最も意味が取りやすいのは「背向に寝しく」という形式であり、「背を向け合って」の意であると容易に理解できる。「背向に見ゆる」「背向に見つつ」という形式の場合は、「背を向ける」といった意味から離れて、物理的あるいは心理的距離感が表される。
~『万葉語誌』から抜粋引用
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挽歌について
死は人間が避けることのできない事象の一つであり、古来、身近な人の死や敬愛する人の死、そして、やがて訪れる自らの死を、どのように捉え克服していくのかが、文学に託された一つの課題であったといえます。平安時代から現代に至るまでの、日本人の死葬儀礼や死生観に深く結びついてきたのは主に仏教ですが、仏教が伝わる以前の上代には、わが国独自の古い死生観に基づく儀礼がとり行われ、それらを反映する神話や歴史叙述、歌謡や和歌が記されました。
『万葉集』にも、人の死に関わる歌が多く収載されています。『万葉集』は、雑歌・相聞・挽歌という三大部立を基本構造として持ち、人の死に関わる歌は主に「挽歌」の部に収められています。つまり『万葉集』における「挽歌」は、天皇や宮廷に関わる公的儀礼歌である「雑歌」や、恋の歌である「相聞」と並ぶ重要な位置を占めていたのです。ここから、当時の人々が死や死葬文化をいかに重要視していたかが分かります。ただ、平安期以降の勅撰和歌集では、人の死に関わる歌は哀傷(または哀傷歌)の部に収められ、挽歌という部立名は使われなくなりました。従って、挽歌は多くの和歌集のうち『万葉集』だけにしか見えない呼称となっています。
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古典に親しむ
万葉集・竹取物語・枕草子などの原文と現代語訳。 |