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巻第15(索引)万葉集(掲載歌の索引)古典に親しむ

『万葉集』巻第15-3610~3614

訓読

3610
安胡(あご)の浦に舟乗りすらむ娘子(をとめ)らが赤裳(あかも)の裾(すそ)に潮(しほ)満つらむか
3611
大船(おほぶね)に真楫(まかぢ)しじ貫(ぬ)き海原(うなはら)を漕ぎ出て渡る月人壮士(つきひとをとこ)
3612
あをによし奈良の都に行く人もがも 草枕(くさまくら)旅行く船の泊(とま)り告(つ)げむに
3613
海原(うなはら)を八十島(やそしま)隠(がく)り来(き)ぬれども奈良の都は忘れかねつも
3614
帰るさに妹(いも)に見せむにわたつみの沖つ白玉(しらたま)拾(ひり)ひて行かな

意味

〈3610〉
 安胡の浦で舟遊びをしている乙女たちの赤裳の裾が濡れているが、今しも潮が満ちてきたようだ。
〈3611〉
 大船に多くの櫂を取りつけて、海原を漕ぎ出して夜空を渡っていく月の若者よ。
〈3612〉
 あの懐かしい奈良の都へ行く人がいてほしい。そしたら、苦しい船旅の泊まりどころを知らせることができるのに。
〈3613〉
 海原を、多くの島々の間を縫いながらはるばるやってきたけれど、奈良の都は忘れようにも忘れられない。
〈3614〉
 帰った時に愛しい妻に見せたいから、海の沖で取れる真珠を拾っていきたい。

鑑賞

 遣新羅使人の歌で、3610~3611は、前に続き、題詞に「所にありて誦詠(しょうえい)する古歌」とある歌群のなかの2首。3610は、3606~3609と同様に人麻呂の歌「嗚呼見(あみ)の浦に船乗りすらむ娘子(をとめ)らが玉裳(たまも)の裾(すそ)に潮(しほ)満つらむか」(巻第1-40)を変化させて作っています。「安胡の浦」は、所在未詳。3611は、左注に七夕を詠んだ人麻呂の歌とあるものの、巻第10にある『人麻呂歌集』の七夕の歌38首の中には見えません。「真楫」の「真」は接頭語で、船を漕ぐための道具の総称。「しじ貫き」は、たくさん取り付けて。「月人壮士」は、月を擬人化した語。使人である作者は自分たちの姿を月人壮士に擬し、逢会を待ち望む秋に思いを馳せたのでしょうか。

 なお、難波津を出航して備後の国に至るまでの先の8首(3594~3601)は、3602からここまでの古歌10首が存在しなくても、次の同じ備後の国長井の浦の歌にまっすぐつながるものであり、その間に古歌10首が割って入った形になっています。その理由について
伊藤博は次のような見解を示しています。すなわち、かの8首が、たったの8首だけで難波津から備後鞆の浦までの5か国にわたる長い行程を示しているのは、あまりに簡便で手薄であり、その行程における叙情を補うために、敢えて古歌10首をこの位置に据えたものと考えられる、と。

 3612~3614は、備後国の水調郡(みつきのこおり)長井の浦(広島県三原市糸崎の海岸)に停泊した夜に作った歌。
3612は、大判官(副使の次の位)壬生使主宇太麻呂(みぶのおみうだまろ)が作った旋頭歌(5・7・7・5・7・7)。「あをによし」「草枕」はそれぞれ「奈良」「旅」の枕詞。「行く人もがも」の「もがも」は、強い願望を表す終助詞。〜があればいいなあ、〜がいてくれたらなあ、という、実現困難なことへの切望を指します。「告げむに」は、告げるだろうに(告げたいものだ)。「に」は接続助詞で、あとに続く「~のに(できない)」という無念さを余韻に残しています。これまでの順調な航路を家人に告げてやりたいという歌です。

 続く2首は無記名歌。
3613の「海原」は、広々とした海。「八十島隠り」は、多くの島の陰に隠れながら。「八十」は数が多いことを示す語です。「忘れかねつも」は、忘れることができないよ。瀬戸内海を西へ進むと、船は多くの島々の間を通り抜けます。一つ島を越えるたびに、都のある東の空は島影に隠れ、物理的な距離以上に「遠くへ来てしまった」という心理的な圧迫感が増していきます。「八十島隠り」という言葉には、故郷との絆が物理的に断ち切られていく不安が込められています。前歌の「奈良の都」を承けて、望郷の念をよりあらわに述べている歌です。

 
3614の「帰るさ」の「さ」は、時の意の接尾語で、帰る時。「わたつみ」は、海の神で、海を神格化した表現。「沖つ白玉」は、沖の白玉(真珠)。「つ」は、上代のみに用いられた古い連体格助詞。「拾ひ(ひりひ)」は「ひろう」の古語。「行かな」の「な」は、自己に対する願望。伊藤博は、「家づと(家への土産)を手中にしようとうたうことで望郷の昂ぶりを鎮め、以上3首の結びとしている。その白玉を持って進めば旅も安全で、約束どおり奈良の都に帰ることができると考えたのであろう」と述べています。
 


わたつみ(海神・海若)

 ワタ(海)+ツ(格助詞)+ミ(霊格を示す接尾語)で、『万葉集』では海の神、あるいは海そのものとして詠まれる。ウミ(海)が「近江の海」「伊勢の海」のように、「地名+ウミ」と表現されるのに対し、ワタツミには地名は冠されない。これはワタツミが、元来「海の神」をあらわす語であることを示していよう。

 「わたつみの」は、オキ・オク(沖・奥)の枕詞でもある。これは海神が、遠く離れた沖の宮に居るとされたことによる。またワタツミのいる沖は「海界(うなさか)」と称されるように、異界とつながっていた。ワタツミは、「神代記」一書ではトヨタマビコのこととされ、その娘たちもトヨタマビメ、タマヨリビメと呼ばれているように、玉との結びつきが強い。 

~『万葉語誌』から抜粋引用

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伊藤博と『万葉集』

 万葉学における伊藤博(いとう はく:1925~2003年)は、戦後の『万葉集』研究において画期的な金字塔を打ち立てた偉大な万葉学者です。単に一首ごとの言葉を注釈するにとどまらず、「歌群」や「配列」の文脈から『万葉集』全体の構造と物語性を捉え直した点で、近代以降の万葉学史に極めて大きな足跡を残しました。伊藤博の万葉研究における主要な業績と特徴は以下の通りです。

  1. 全首釈注の金字塔『萬葉集釋注』
     師である澤瀉久孝(おもだか ひさたか)博士の『萬葉集注釋』以来、約40年ぶりに個人として『万葉集』全20巻・4500余首の全歌に詳細な注釈を施した大著『萬葉集釋注』(集英社・全10巻/文庫版など)を完結させました。 斎藤茂吉短歌文学賞を受賞(2000年) 伝統的な語釈・校訂の正確さを基盤にしつつ、歌の背景にある人間ドラマや情念の動きまでを端正かつドラマチックな文章で解き明かしており、専門家から一般の万葉ファンまで幅広く愛読されています。
  2. 独自の研究手法「歌群論」と「生体としての万葉集」
     伊藤学説の最大の特徴は、「万葉集は単なる歌のアンソロジー(集録)ではなく、緻密に構成された一つの大きな構造体である」と捉えた点にあります。一首を単体で切断して鑑賞するのではなく、前後にある歌との繋がりや配列の意図(「なぜこの歌がこの順番で並んでいるのか」)を徹底的に追及しました。歌の配列を読み解くことで、額田王や宮廷の歌人たち、さらには大伴家持が編纂において込めた隠された意図や人間関係の葛藤(物語)を立体的に浮き彫りにしました。
  3. 手軽に親しめる著書(文庫・選書)
     研究者向けの専門書(『古代和歌史研究』全8巻など)だけでなく、一般読者が万葉集の魅力に触れられる注釈文庫の監修・執筆も数多く手がけています。『新版 万葉集 現代語訳付き』(角川ソフィア文庫・全4巻)は、現在最も手に入りやすく、かつ学術的信頼度が高い文庫版万葉集の一つです。わかりやすい現代語訳と的確な解説が付されています。 『萬葉集』(角川文庫・上下巻)は、「新編国歌大観」に準拠したテキストで、長年万葉学習者の標準テキストとして親しまれました。
古典に親しむ

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