| 訓読 |
3644
大君(おほきみ)の命(みこと)畏(かしこ)み大船(おほぶね)の行きのまにまに宿りするかも
3645
我妹子(わぎもこ)は早も来(こ)ぬかと待つらむを沖にや住まむ家つかずして
3646
浦廻(うらみ)より漕ぎ来(こ)し船を風(かぜ)早(はや)み沖つ御浦(みうら)に宿りするかも
3647
我妹子(わぎもこ)がいかに思へかぬばたまの一夜(ひとよ)もおちず夢(いめ)にし見ゆる
| 意味 |
〈3644〉
帝の仰せを恐れ畏み、大船の漂い行くのにまかせ、旅の宿りをしていることだ。
〈3645〉
愛しい妻は、早く帰ってこないかと待っているだろうに、長く沖合にとどまり続けなければならないのか、家から遠く離れたまま。
〈3646〉
浦伝い漕いで来た船であるのに、風が激しくて、遠く離れた沖合で夜を過ごすというのか。
〈3647〉
愛しい妻が、どのように私のことを思っているからだろうか、毎晩毎晩夢に現れる。
| 鑑賞 |
遣新羅使人の歌で、佐婆(さば)の海でにわかに暴風にあい、一夜を揺られて南方に流され、豊前国(大分県)の沖合に流れ着いた時の歌。「佐婆の海」は、周防灘で、本来なら本州の海岸沿いに西へ行くのですが、九州の大分県の中津まで流されてしまったのでした。ここの歌は、その苦難の一夜を顧みて詠んだ8首のうちの4首。3644は、左注に雪宅麻呂(ゆきのやかまろ)の作とある歌。「大君の命畏み」は、天皇の仰せを承って。国民が国事に服するときに強くその身を意識して用いた成句。「行きのまにまに」は、進んで行くがままに。「宿りするかも」の「かも」は、疑問的詠嘆。船中で仮眠する身を漂流に任せ、堪え忍んでいる歌です。雪宅麻呂は伝未詳。往路の壱岐で病死したことが3688の題詞に見え、そこには雪連宅満とあります。
3645の「早も来ぬかと」の「も~ぬか」は願望で、早く帰って来ないかと。「待つらむを」は、「待つらむ(待っているだろう)」という推量に、助詞「を」が付くことで、待っているだろうに、現実は・・・、という強い対比が生まれています。「沖にや住まむ」の「や~む」は、こんなにも~していることか。「家つかずして」は、家に近づかないで、家にたどり着くこともできずに。
3646の「浦廻」は、海岸が湾曲して入り組んだところ。「風早み」の「早み」は「早し」のミ語法で、風が強いので。「沖つ御浦」は、沖にある御浦。「つ」は、上代のみに用いられた古い連体格助詞。「御浦」は、他に例のない難解な語ながら、続きから見て、漂流して夜を明かした海上のことで、「御」は、海を支配する神への恐れを示したものと見られます。「宿りするかも」の「かも」は詠嘆で、旅寝をすることだなあ。
3647の「いかに思へか」は、どのように(深く)私のことを思っているからだろうか。「ぬばたまの」は「夜」の枕詞。「一夜もおちず」は、一夜も漏れずに、毎晩。「夢にし見ゆる」の「し」は、強意の副助詞。相手がこちらを思っていると夢に見えるという信仰の上に立っての歌ですが、漂流の不安にかられている時に、さらに望郷の苦しみを付加するのか、という心です。

遣新羅使の航路
遣新羅使のとった航路については正史にはほとんど記載がないものの、『万葉集』の巻第15に収められている歌によって、天平8年(736年))の阿倍継麻呂大使率いる遣新羅使一行の行程がある程度分かっています。
難波を出航し、瀬戸内海を西進 →敏馬浦(神戸市)→玉の浦(倉敷市)→鞆の浦(福山市)→長井の浦(三原市)→風早浦(東広島市)→倉橋島(呉市)→分間浦(中津市)→筑紫館(福岡市)→韓亭(能古島)→引津亭(糸島市)→神集島(唐津市)→壱岐島
→浅茅浦(対馬市)→竹敷浦(対馬市)→新羅へ
【PR】
|
古典に親しむ
万葉集・竹取物語・枕草子などの原文と現代語訳。 |