| 訓読 |
3674
草枕(くさまくら)旅を苦しみ恋ひ居(を)れば可也(かや)の山辺(やまへ)にさを鹿(しか)鳴くも
3675
沖つ波高く立つ日に逢(あ)へりきと都の人は聞きてけむかも
| 意味 |
〈3674〉
旅の苦しさに故郷を恋しく思い出していると、可也の山辺で牡鹿が、妻を呼んで鳴きたてている。
〈3675〉
沖の波が高く立つ、あんな恐ろしい日に遭遇したと、都の人々は聞き及んでいるであろうか。
| 鑑賞 |
遣新羅使人の歌で、引津に停泊した時に、大判官の壬生使主宇太麻呂(みぶのおみうだまろ)が作った歌。「引津」は、福岡県糸島市の引津で、糸島半島の西海岸、前の韓亭の裏側にあたる入海。ここでも幾日か風待ちをしたと見られます。
3674の「草枕」は、草を枕に寝る意で「旅」に掛かる枕詞。「可也の山」は、糸島市の可也の山で、その美しい山容から筑紫富士、糸島富士などと呼ばれています。可也郷は、弥生時代の拠点集落だったとみられ、楽浪や伽耶との交流を思わせる中国漢代の貨幣が多く出土しています。可也の地名も伽耶を意識したものとみられます。「さを鹿」の「さ」は、接頭語。接頭語の「さ」は、名詞や動詞・形容詞に付いて語調を整えるものですが、これを冠すると詩的な表現になり、特別な意味はなくとも、愛すべきといった一種の情感を伴います。妻を呼ぶ鹿に自分の心を思い見ているもので、窪田空穂はこの歌を評し、「秋の旅愁がしみじみとあらわされている。『さを鹿鳴くも』と平叙して、それにつけては何事もいっていないのであるが、自身の心を代弁しているのだという心は十分に通じ、それが余情となっている」と述べています。
3675の「沖つ波」は、沖の波。「沖つ波高く立つ日に」は、1か月余り前の周防国佐婆の海上での遭難の出来事を指しています。「逢へりきと」の「き」は、過去の助動詞「き」の終止形。「聞きてけむかも」の「けむ」は過去推量、「かも」は詠嘆で、聞き及んでいるだろうか。筑紫の館で、大宰府を通して一行の状況を伝える公使が都に向けられていたのでしょう。伊藤博は、「第4句の『都の人』は妻を中心に言っているものと見えるが、個に傾かないところに期せずして大判官の姿勢をうかがわせる」と述べ、窪田空穂も「落ちついた余裕ある態度」と述べています。

遣新羅使人の歌について
窪田空穂の評論から――
この一行は、その事の準備された時から発船までの間にすでに時の狂いがあったが、発船して対馬国竹敷の浦に着くまでの内海の航路でも、時を空費しなければならなかった。それは一に天候が定まらず、航路の見とおしのつかなかったためである。作歌数の多いのはそのためである。
歌そのものについて見ると、作歌はほとんどすべて陸上においてしていて、海上でのものは例外の観がある。これは当時の風として、夜は可能な限り陸上に宿ったからであり、それよりも大きい理由は、天候の見定めのつくまでを滞在していたからである。
歌の内容をなしているものは、すべて旅愁であり、旅愁は一に、京の妻を恋うるもので、それ以外にわたったものはきわめて少数である。その少数も、一行中の代表的な責任者が、たまたま使命に触れての感をいっているものと、他の人の初見の土地の風光に対しての感を陳べているものであって、それ以外にわたってのものは一首もない。もっとも、随員の一人雪連宅満の壱岐で病没したのに対しての挽歌の一連があるが、これは特別のものとする。
一行がなぜそのように一様に、京の妻を恋うる歌を詠んだかについては、推量しやすい理由がある。それは上にいったがように、天候のため滞在する期間が長くなると、自然の成行きとして小酒宴の催されることがきまりのごとくなったと見える。酒宴には歌が無くてはならず、その歌はまた会衆がひとしく興味を感じうるものでなくてはならなかった。したがってその作歌は、勢い相聞歌となったのである。酒宴のことは記してはないが、作歌から見て、それを作った場合が推量される。ついでとしていうと、一行は周防国佐婆の海上で測らずも逆風に逢い、一昼夜を漂流しているのであるが、信仰に触れての歌がじつに少ない。官人という中でも、外国に使臣として遣わされる層に、信仰心が稀薄であったかにみえることも注意される。
この歌群の集録者は、一行中の何びとかであったのだが、その誰であったかは不明である。一人の歌好きの人であったことは、往路の歌は、対馬の竹敷の浦までで打ち切られており、帰路の歌は播磨灘まで来て初めて見えることからも推量される。集録者であった一人の人が、何らかの事情で中止すると、代わる者がなかったのである。集録者は、副使大伴三中ではないかと擬せられている。
この歌群は、いったがごとく主として宴歌を集録したもので、それをしたのは、歌好きの心より、良いと感じた歌の忘却されることを惜しんでのことであって、他の意よりのことではなかったろう。しかしその結果から見ると、一団の人が一定の航路上にあっての作歌で、時の移るとともに所も変わり、その所どころで作った歌であるために、おのずからその間に連絡がついて、一人の人の長期にわたっての紀行文と異ならないものとなっている。否、むしろ多彩な紀行文とさえなっている。歌そのものから見ると、無論一首一首独立したものであるが、時と所の推移はそれを一大連作と見させるものとなって、結局、特殊な紀行文学をなしているのである。それがこの一大歌群の一つの特色である。
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