本文へスキップ

巻第15(索引)万葉集(掲載歌の索引)古典に親しむ

『万葉集』巻第15-3700~3703

訓読

3700
あしひきの山下(やました)光る黄葉(もみちば)の散りの乱(まが)ひは今日(けふ)にもあるかも
3701
竹敷(たかしき)の黄葉(もみち)を見れば我妹子(わぎもこ)が待たむと言ひし時そ来にける
3702
竹敷(たかしき)の浦廻(うらみ)の黄葉(もみち)我(わ)れ行きて帰り来(く)るまで散りこすなゆめ
3703
竹敷(たかしき)の宇敝可多山(うへかたやま)は紅(くれなゐ)の八(や)しほの色になりにけるかも

意味

〈3700〉
 もみじ葉が山裾の方まで照り映えており、その散り乱れる真っ盛りは、まさに今日のこの日なのだろう。
〈3701〉
 竹敷のもみじを見ると、愛しい私の妻が帰りを待っていますと言った、約束の時はもう来てしまったのだな。
〈3702〉
 竹敷の浦辺に色づく黄葉よ。我らが新羅に行って帰ってくるまで、散らないでおくれ、決して。
〈3703〉
 竹敷の宇敝可多山(うえかたやま)は、紅葉は何度も染めたように色濃くなったなあ。

鑑賞

 遣新羅使人の歌。対馬に着いた使節団一行は、竹敷(たかしき)の浦に停泊し、そこで宴会を催しました。ここの歌はその折に余興として詠まれた18首のうちの4首で、3700は、大使の阿倍継麻呂(あべのつぐまろ)の歌、3701は、副使の大伴御中(おおとものみなか)の歌、3702は、大判官の壬生使主宇太麻呂(みぶのおみうだまろ)の歌、3703は、小判官の大蔵忌寸麿(おおくらのいみきまろ)の歌。竹敷は往路最後の寄港地で、一行はここから新羅へと向かうことになります。ここの18首は遣新羅使人らの歌の中で最大の歌群となっています。

 
3700の「あしひきの」は「山」の枕詞。「山下光る」は、山の麓までが、照り輝くばかりに明るい。単に色が赤いというだけでなく、山全体が自ら発光しているかのような鮮やかさを捉えています。「散りの乱ひは」は、激しく散り乱れている様子は。「まがふ」は、入り乱れて見分けがつかなくなる、あるいは激しく入り混じるという意味。「今日にもあるかも」は、まさに今日、この時なのだなあ。黄葉讃歌で、「にもあるかも」という詠嘆には、一瞬の美しさ(あるいは盛りの終わり)に立ち会った驚きが込められています。

 
3701の「待たむと言ひし」は、(あなたが帰るのを)待っていましょうと言った。「時そ来にける」は、その時がやって来たのだなあ。「そ(ぞ)」は係助詞で、結びは「ける(連体形)」となっています。帰ると約束した季節である秋がすでにやって来たという嘆きで、出発の際、「山が色づく頃には帰ってきてね」「ああ、待っていてくれ」といったような会話があったのでしょう。しかし、新羅に向けての船旅はこれから始まろうとしています。

 
3702の「浦廻」は、海岸が湾曲して入り組んだところ。「我れ行きて帰り来るまで」は、私が(新羅へ)行って帰ってくる時まで。「散りこすな」は、散ってくれるな。「こす」は、相手に動作を促す、または自分に対して〜してほしいという願望を含む添え言葉です。「ゆめ」は、決して。もみじを惜しむ心に寄せて、新羅への往還が短期間ですむことを祈っています。

 
3703の「宇敝可多山」は、竹敷西方の城山かといわれます。「紅」は、紅花を絞って作った染料で、鮮やかな赤色。「八しほの色」は、何度も染めたような濃い色。「しほ(入)」は染汁に浸す回数を数える単位、「八」は数が多いことを意味し、これ以上ないほど深い赤色を指します。「なりにけるかも」は、なってしまったのだなあ。完了の助動詞「ぬ」+過去・詠嘆の助動詞「けり」+詠嘆の終助詞「かも」。

 なお、もみじは、現代では「紅葉」と書くのが一般的ですが、『万葉集』では殆どの場合「黄葉」となっています。これは、古代には黄色く変色する植物が多かったということではなく、中国文学に倣った書き方だと考えられています。さらに「もみじ」ではなく「もみち」と濁らずに発音していたようで、葉が紅や黄に変色する意味の動詞「もみつ」から生まれた名だといいます。



もみち(黄葉)・もみつ(黄葉つ)

 秋に、樹木や草の葉が黄色に色づくこと。また、その葉。特に葉を指してモミチバ(黄葉)ともいう。葉が色づく意の動詞にモミツ(黄葉つ。黄変つ・黄色つ)がある。上代には清音モミチであり、中古以降に濁音のモミヂとなる。『万葉集』では、春の花(桜)の対となる秋の景物として好んで歌われ、モミチ・モミチバ・モミツの用例は100例を超える。その大多数が「黄葉」の表記を用いており、赤系統の色で表記したのは、「紅葉」「赤葉」が各1例と、動詞モミツを「赤」と表記した2例のみである。その理由は、盛唐頃までの漢籍の影響を受けたためとされるが、大和地方では、実際に赤い葉よりも黄色い葉に親しむ機会が多かったためとも言われる。上代の黄葉は、現代のように楓(かえで)の葉のみを指すわけではなく、萩など他の樹木全般に対してもいう。『万葉集』には、山全体が色づく様を歌う例も見られる。なお、モミチ、モミツの語を用いる他に、「したふ(赤く照り映える)」「色づく」「にほふ」等の語で黄葉を表現することも多い。 

~『万葉語誌』から引用

【PR】

古典に親しむ

万葉集・竹取物語・枕草子などの原文と現代語訳。