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巻第15(索引)万葉集(掲載歌の索引)古典に親しむ

『万葉集』巻第15-3704~3707

訓読

3704
黄葉(もみちば)の散らふ山辺(やまへ)ゆ漕ぐ船のにほひにめでて出(い)でて来(き)にけり
3705
竹敷(たかしき)の玉藻(たまも)靡(なび)かし漕ぎ出(で)なむ君がみ船をいつとか待たむ
3706
玉敷ける清き渚(なぎさ)を潮(しほ)満(み)てば飽(あ)かず我(わ)れ行く帰るさに見む
3707
秋山の黄葉(もみち)をかざし我(わ)が居(を)れば浦潮(うらしほ)満ち来(く)いまだ飽(あ)かなくに

意味

〈3704〉
 黄葉がしきりに舞い散る山裾を漕いでくる船の、あまりに見事な色どりに心惹かれて、私は参上いたしました。
〈3705〉
 竹敷の玉藻を靡かせながら、新羅へと漕ぎ出して行かれるあなた様の御船、お帰りになるのはいつとお待ちしたらよいのでしょうか。
〈3706〉
 玉を敷きつめたような、こんなにきれいな渚なのに、潮が満ちたので心を残して私は行く。しかし、早く帰ってきてまた見ようではないか。
〈3707〉
 秋山の黄葉をかざして楽しんでいると、浦に潮が満ちてきた。まだ思う存分興を尽くしていないというのに。

鑑賞

 遣新羅使人の歌。対馬に着いた使節団一行は、竹敷の浦に停泊し、そこで宴会を催しました。ここの歌はその折に余興として詠まれた18首のうちの4首で、3704・3705は、宴会に陪席した「対馬娘子、名は玉槻(たまつき)」が詠んだ歌です。玉槻は、地元の遊行女婦とされますが、そうではなく、対馬の下県(しもあがた)郡の郡司か玉槻郷の郷長級の者の娘だったとの見方があります。歌にすぐれた娘がいるというので、宴に加えられたのでしょうか。いずれにせよ、対馬在住の若い女の作った歌として貴重です。玉槻を加え、新羅を目前にした一行の気持ちも高ぶり、ずいぶん盛り上がったことでしょう。

 
3704の「散らふ」は「散る」の連続。「山辺ゆ漕ぐ船」の「ゆ」は起点・経由点を示す格助詞。浅茅湾といっても運河のような感じなので、このように表現しています。「船のにほひにめでて」の「にほひ」は視覚的な美しさ、照り映える色彩を指します。「めでて」は賞賛する、心酔するの意。一行の官船の朱色が、もみじにいっそう照り映えるさまをこのように表現しています。「出でて来にけり」は、出て来てしまったのだなあ。

 
3705の「玉藻靡かし」は、船が進むにつれて藻を靡かせて、の意。「漕ぎ出なむ」は、漕ぎ出して行こうとしている。「なむ」は、強い意志や、これからの動作への確信を含みます。「君がみ船を」の「み」は尊敬の接頭辞で、あなたの乗る立派な船を。一行の乗船はさぞ美しい彩色だったとみえ、その船の美しさに心惹かれるように言い、それを序歌風にして、転じて、主賓である大使を賛美しています。窪田空穂は「繊細な、美しい形容」と言っており、こうした地にも、歌才のある遊行女婦または娘が住んでいたのです。国文学者の池田彌三郎は、「宴会の登場者として、主賓が神だとすれば、こういう女性の参加者は土地の精霊の資格であり、主賓の枕席に侍することによって、饗宴は完結する。玉槻にはそういう儀礼の役割を見なければならぬ」と延べています。

 
3706は大使の歌、3707は副使の歌。3706の「玉敷ける」は、美しい小石や真珠を敷き詰めたような。「潮満てば」は、満潮になったので。「飽かず我れ行く」は、十分に満足することなく(名残惜しいままに)私は出発する。「帰るさ」は、帰る時。伊藤博は、「結句の『帰るさに見む』は、表面では『清き渚』にかかわってはいるものの、背後には『玉槻』の映像があるのだと思う。玉槻が惜別の歌を詠んでくれたのに対し、暗に玉槻への愛惜の情を述べているものと考えられる」と述べています。

 
3707の「秋山の黄葉をかざし」は、秋の山の紅葉を髪や冠に挿して(髪飾りにして)。「かざす(挿頭す)」は、植物の生命力を取り込もうとする、古来の儀礼的な行為でもあります。「浦潮満ち来」は、浦の潮が満ちてくる。出発の時が近づいていることを物理的に示しています。「いまだ飽かなくに」の「飽かなく」は「飽かず」のク語法で名詞形。手元にある「紅葉の赤」と、迫りくる「海の青」のコントラストが、出発直前の緊張感と美しさを際立たせています。



もみち(黄葉)・もみつ(黄葉つ)

 秋に、樹木や草の葉が黄色に色づくこと。また、その葉。特に葉を指してモミチバ(黄葉)ともいう。葉が色づく意の動詞にモミツ(黄葉つ。黄変つ・黄色つ)がある。上代には清音モミチであり、中古以降に濁音のモミヂとなる。『万葉集』では、春の花(桜)の対となる秋の景物として好んで歌われ、モミチ・モミチバ・モミツの用例は100例を超える。その大多数が「黄葉」の表記を用いており、赤系統の色で表記したのは、「紅葉」「赤葉」が各1例と、動詞モミツを「赤」と表記した2例のみである。その理由は、盛唐頃までの漢籍の影響を受けたためとされるが、大和地方では、実際に赤い葉よりも黄色い葉に親しむ機会が多かったためとも言われる。上代の黄葉は、現代のように楓(かえで)の葉のみを指すわけではなく、萩など他の樹木全般に対してもいう。『万葉集』には、山全体が色づく様を歌う例も見られる。なお、モミチ、モミツの語を用いる他に、「したふ(赤く照り映える)」「色づく」「にほふ」等の語で黄葉を表現することも多い。 

~『万葉語誌』から引用

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