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巻第15(索引)万葉集(掲載歌の索引)古典に親しむ

『万葉集』巻第15-3708~3712

訓読

3708
物思(ものも)ふと人には見えじ下紐(したびも)の下(した)ゆ恋ふるに月ぞ経(へ)にける
3709
家づとに貝を拾(ひり)ふと沖辺(おきへ)より寄せ来る波に衣手(ころもで)濡(ぬ)れぬ
3710
潮干(しほひ)なばまたも我(わ)れ来(こ)むいざ行かむ沖つ潮騒(しほさゐ)高く立ち来(き)ぬ
3711
わが袖(そで)は手本(たもと)通りて濡れぬとも恋忘れ貝(がひ)取らずは行かじ
3712
ぬばたまの妹(いも)が干(ほ)すべくあらなくに我(わ)が衣手(ころもで)を濡(ぬ)れていかにせむ

意味

〈3708〉
 物思いをしているとは人には知れないだろうが、この下紐のように心の下で妻に恋続けているうちに、ずいぶん月が経ってしまった。
〈3709〉
 家への土産に貝を拾おうとしたら、沖から寄せてきた波に、衣の袖が濡れてしまった。
〈3710〉
 潮が干いたらまたこの海岸にやって来よう。しかし今は、さあ行こう。沖の潮騒が高くなってきた。
〈3711〉
 私の衣の袖口が波に濡れたとしても 恋しさを忘れさせるという忘れ貝を拾わないまま行くことはできない。
〈3712〉
 夜、妻が干してくれることもないのに、私は着物の袖を濡らしてしまって、どうしたらよいだろう。

鑑賞

 遣新羅使人の歌。対馬に着いた使節団一行は、竹敷の浦に停泊し、そこで宴会を催しました。ここの歌はその折に余興として詠まれた18首のうちの5首。前の3首が発船直前の歌であるのに対し、以下はすべて望郷の念の歌であることから、改めて配列し直したものと見えます。3708は、大使の歌。「人には見えじ」は、人には見られないだろう、知れないだろう。「下紐の」は、同音で「下」にかかる枕詞。「下ゆ」は、心の中では。「恋ふるに」は、恋い慕っているうちに。「月ぞ経にける」は、月日が経ってしまったのだなあ。強調の「ぞ」+連体形の「ける」による係り結びになっています。上2句で大使としての矜持を示しながらも、下2句では部下たちの妻恋しさの心情を代弁しており、いかにも大使らしい思いやりが込められています。

 3709以下は、無記名歌。
3709の「家づと」は、妻へのみやげ。「貝を拾ふと」は、貝殻を拾おうとして。「衣手濡れぬ」の「衣手」は、衣の袖。「ぬ」は完了の助動詞で、不意に濡れてしまったという事態の発生を表します。当時、濡れた衣は妻が干していましたから、妻のいない旅先で衣が濡れるのを嫌っていました。従って、結句の「衣手濡れぬ」には望郷の念が宿されています。

 
3710の「またも我れ来む」は、私はまた(ここへ)来よう。「む」は意志の助動詞。「いざ行かむ」は、さあ出発しよう。仲間たちを鼓舞する呼びかけの言葉です。「沖つ潮騒」の「沖つ」は、沖の。「潮騒」は、潮が満ちてくるときに起こる波の騒ぎ。「高く立ち来ぬ」の「ぬ」は完了の助動詞で、潮が満ち、出発に最適な、あるいは出発を急かす状況になったことを示します。前歌の立場を慰撫しつつ、「いざ行かむ」と言って大使の意識に立ち戻っています。

 
3711の「わが袖は手本通りて」は、私の袖は、手首(手本)まで水が通り抜けて。「手本」は手首のあたり。袖口から水が入って、腕全体がびしょ濡れになる様子を指します。「恋忘れ貝」は、それを手に持てば恋の苦しみを忘れることができるという、伝説上の貝。「取らずは行かじ」は、拾わないうちは行くまい。前向きの前歌に対し、いわば後ろ向きの姿勢を示してるものですが、望郷の念が逆に高められる仕組みとなっています。

 
3712の「ぬばたまの」は「夜」「黒」などの枕詞ですが、ここでは「妹」に掛かっており、異例です。夜あるいは黒髪の連想から妹に転じたものと見えます。「妹が干すべくあらなくに」は、妻が(濡れた衣を)乾かしてくれるはずもないのに。「我が衣手を」は、私の袖を。「濡れていかにせむ」は、濡らしてしまって、一体どうしようというのか。前の歌に和したもののようです。



遣新羅使の足取り

天平8年2月28日
 従五位下阿倍朝臣継麻呂を遣新羅大使とする(続日本紀)
4月17日
 遣新羅使阿倍朝臣継麻呂らが拝朝する(続日本紀)
6月
 遺新羅使人船、難波から出航
・・・・・・
 備後国水調郡長井浦に停泊(3612~3614題詞)
 安芸国豊田郡風速浦に停泊(3615~3616題詞)
 安芸国安芸郡長門島に停泊(3617~3621題詞)
 周防国玖河郡麻里布浦を通過(3630~3637題詞)
 周防国大島の鳴門を通過(3638~3639題詞)
 周防国熊毛郡熊毛浦に停泊(3640~3643題詞)
 周防国佐婆海にて漂流し、豊前国下毛郡分間浦に停泊(3644~3651題詞)
7月初旬
 筑紫館に到着(3652~3655題詞)
7月7日
 筑紫館で七夕を迎える(3656~3658題詞)
・・・・・・
 筑前国志麻郡韓亭に停泊(3668~3673題詞)
 筑紫国志麻郡引津亭に停泊(3674~3680題詞)
 肥前国松浦郡狛島亭に停泊(3681~3687題詞)
 壱岐島にて雪連宅満、鬼病により急死(3688~3690題詞)
 対馬島浅茅浦に停泊(3697~3699題詞)
9月
 対馬島竹敷浦に停泊(3700~3717題詞)
・・・・・・
 新羅より帰還し、播磨国飾磨郡家島に至る(3718~3722題詞)
天平9年正月26日
 遣新羅使大判官従六位上壬生使主宇太麻呂、少判官正七位上大蔵忌寸麻呂ら京に入る。大使従五位下阿倍朝臣継麻呂、津島に泊りて卒しぬ。副使従六位下大伴宿祢三中、病に染みて京に入ること得ず(続日本紀)
2月15日
 遣新羅使奏すらく、新羅国、常の礼を失ひて使の旨を受けずとまをす。是に、五位已上併せて六位已下の官人、惣て四十五人を内裏に召して、意見を陳べしむ(続日本紀)
2月22日
 諸司、意見の表を奏す。或は言さく、使を遣してその由を問はしむとまをし、或は兵を発して征伐を加へむとまをす(続日本紀)
3月28日
 遣新羅使副使正六位上大伴宿祢三中ら三十人拝朝す(続日本紀) 

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古典に親しむ

万葉集・竹取物語・枕草子などの原文と現代語訳。