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巻第15(索引)万葉集(掲載歌の索引)古典に親しむ

『万葉集』巻第15-3727~3730

訓読

3727
塵泥(ちりひぢ)の数にもあらぬ我(わ)れゆゑに思ひわぶらむ妹(いも)がかなしさ
3728
あをによし奈良の大路(おほち)は行き良(よ)けどこの山道(やまみち)は行き悪(あ)しかりけり
3729
愛(うるは)しと我(あ)が思(も)ふ妹(いも)を思ひつつ行けばかもとな行き悪(あ)しかるらむ
3730
恐(かしこ)みと告(の)らずありしをみ越路(こしぢ)の手向(たむ)けに立ちて妹(いも)が名 告(の)りつ

意味

〈3727〉
 塵や泥のようにものの数にも入らない私のために、わびしい思いをして悩んでいる、そんな彼女がいとおしくてならない。
〈3728〉
 あの立派な奈良の都大路は通り易いけれども、遠い国へのこの山道は、何と通り難いことか。
〈3729〉
 素敵な人だとが思っている彼女を恋い慕いつつ行くから、この山道はこうもやたらと行き難いのだろうか。
〈3730〉
 恐れ多いからと口に出さずにきたが、越の国へ越えていく峠のこの手向けの山に立ち、とうとう彼女の名を口に出してしまった。

鑑賞

 ここの4首は、越前国へ配流となった中臣宅守が、旅路についたときに弟上娘子への返歌として作った歌で、畿内と北の国境である逢坂山での詠と見られています。弟上娘子から贈られた歌(3723~3726)は「心に持ちて」「天の火」などの非凡な詞遣いにとどまらず、歌の心が躍動しており、とても情の豊かな女性でした。それに驚き喜んだ宅守は彼女の歌才に及ばないものの、遠く離れて初めて歌というものの有効性を知ったのか、懸命になって歌を作り上げます。

 
3727の「塵泥も」は、塵や泥のごとくの意で、全く価値がない、取るに足らないものの譬え。「数にもあらぬ」は、物の数ではない、存在意義がない、という意味。「思ひわぶらむ」の「思いわぶ」は、どうしようもなく思い悩む、途方に暮れる、悲嘆にくれるという意味。「らむ」は、現在の推量の助動詞。「妹がかなしさ」の「かなし」は、単なる悲哀だけでなく、身に沁みて愛おしい、守ってあげたいという深い情愛を指します。

 
3728の「あをによし」は「奈良」の枕詞。「奈良の大路は行き良けど」は、奈良の広い道は歩きやすいけれど。整備された都の平坦な道を指し、かつての平穏で華やかな生活の象徴でもあります。「この山道は」は、今まさに自分が歩いている、越前へと続く険しい山道のこと。物理的な険しさだけでなく、配流という過酷な運命そのものを暗示しています。「行き悪しかりけり」は、なんて歩きにくいことだろう。「悪し」は道が悪いことと、状況が不幸であることを重ねています。「けり」は、実際に歩いてみて初めて実感した驚きや嘆きを表す助動詞です。

 
3729の「愛しと」は、端正で美しい、いとおしい、完璧に整っているという意味。ここでは心からいとおしいという深い愛情を指します。「思ひつ行けばかもとな」は、思い続けながら行くからだろうか。「つつ」は動作の継続、「か」は疑問、「もとな」は、わけもなく、やたらに。「行き悪しかるらむ」は、(こんなにも)道が歩きにくいのは。「らむ」は現在の原因推量で、今、道が険しく感じられるのは、あなたのことを思って後ろ髪を引かれているせいなのだろうという、内面的な理由を導き出しています。

 
3730の「恐みと」は、恐れ多いこととして、恐縮して。「告らずありしを」は、(これまでずっと)口に出さずにいたけれど。「み越路」の「み」は、美称。「越路」は、近江国から越前国へ越える道。「手向け」は、峠の神に旅の安全を祈って供え物をすること、あるいはその場所(峠)を指します。道祖神や山の神に対し、旅の無事を祈願する儀式を行っている場面です。「妹が名告りつ」は、(ついに)あなたの名前を口にしてしまった。「つ」は完了・強調の助動詞であり、「ああ、言ってしまった」という、禁忌を破ったことへの驚きと、そうせざるを得なかった情念の強さを表しています。謹慎の身であったため、それまで女の名を口にするのを憚っていたのでした。

 
窪田空穂はこれらの歌について、3727は「純情ではあるが、気魄に乏しく、その上では娘子に圧せられる趣がある、3728は「単純に、他意なく詠んでいるところに、その人柄を思わせるものがある」、3729は「やや手腕ある作者なら、二首(3728と3729)を一首にしたであろう。宅守の正直な、よい歌をなどとは思わなかった人柄を思わせる」と述べ、3730に対しては、「宅守の歌は、その感性も鋭くはなく、詠み方も大体説明的で、線の細いものであるが、この歌は、感情の昂揚した自然の成行きとして、一首叙事的で、調べも張っており、宅守としては特異な趣を持ったものとなっている」と評しています。

 また、作家の
田辺聖子は、「宅守の歌は娘子にくらべると地味で、ごつごつとしており、口ごもるような真率味がある。女問題で罪に問われるというには似合わしからぬ、誠実で几帳面な男、それゆえにこそ、いったん恋したら、一途で純粋だったのだろう。・・・『塵泥』の歌(3727)は、地味な中に男の深い愛情があり、これは宅守の卑下ではない、彼がいかに男らしかったかということの証しで、恋をしている最中も、自分を客観視できるところがある」と述べています。

 さらに
伊藤博は、3729で「愛(うるは)し」という男性から女性に対して用いるのは稀な語を用いている(3755でも)ことや、敬語を用いているのが目立つ(3736・3764・3765・3766)ことなどから、二人について次のように言っています。「娘子を限りなくいとおしむがゆえに、あやすかのように相手を持ち上げた結果だと思われる。案ずるに、娘子はいかにも邪気のない愛くるしい女性だったのであろう。そして、宅守とはずいぶん年の差があったのではないか。この娘子を残して遠く配所に日を送るにあたって、宅守は娘子がけなげでならず、掌中にも包みこみたい思いだっただろう。宅守は、妻に向かって『おい』とか『おまえ』とか言わない人であったように思う」。
 


たむけ(手向け)

 タムクは神仏に供物を捧げて祈願する行為のこと。タムケはその名詞形である。「峠(とうげ)」はタムケの転じた語だが、室町時代以降に生じた語であり、『万葉集』には見られない。

 タムケに用いた幣帛(へいはく)を「手向草(たむけぐさ)」という。「草」は材料の意。木の枝に布をかけた物や、剣を模した小型石に曲玉(まがだま)・菅玉(くだだま)などを付けた物が使用された。手向草は捧げられたまま年月が経ち、後の人が、かつて同地を訪れた人を偲ぶよすがにもなった。

~『万葉語誌』から抜粋引用

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『続日本紀』に記されている流刑地

  • 近流(こんる)
    越前(福井県)・安芸(広島県)
  • 中流(ちゅうる)
    信濃(長野県)・伊予(愛媛県)
  • 遠流(おんる)
    伊豆(静岡県)・安房(千葉県)・常陸(茨城県)・佐渡(新潟県)・隠岐(島根県)・土佐(高知県)

     日本の律令は唐の律令をまねたものですが、流刑地については、唐は本人の居住地からの距離を基準に定めているのに対し、日本の場合は都からの距離によって定められていました。中臣宅守の越中配流は、近流に当たります。 
古典に親しむ

万葉集・竹取物語・枕草子などの原文と現代語訳。