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巻第15(索引)万葉集(掲載歌の索引)古典に親しむ

『万葉集』巻第15-3750~3753

訓読

3750
天地(あめつち)の底(そこ)ひの裏(うら)に我(あ)がごとく君に恋ふらむ人は実(さね)あらじ
3751
白たへの我(あ)が下衣(したごろも)失はず持てれ我(わ)が背子(せこ)直(ただ)に逢ふまでに
3752
春の日のうら悲(がな)しきに後(おく)れ居(ゐ)て君に恋ひつつ現(うつ)しけめやも
3753
逢はむ日の形見(かたみ)にせよとたわや女(め)の思ひ乱れて縫へる衣(ころも)そ

意味

〈3750〉
 天地の底の裏まで探したところで、私ほどあなたに恋い焦がれている人は本当にいないでしょう。
〈3751〉
 私が差し上げた真っ白な下着を、肌身離さず持っていて下さい、あなた。じかにお逢いできる日が来るまで。
〈3752〉
 春の日のもの悲しい上に、一人取り残されて、あなたを恋い焦がれてばかりいて、どうして正気でいられるものでしょうか。
〈3753〉
 再び逢える日までの形見にしてほしいと、か弱い女の身のこの私が、思い乱れつつ縫った着物なのです、これは。

鑑賞

 前に続き、狭野弟上娘子が、都に留まって悲しんで作った歌9首のうちの4首。3750の「天地の底ひの裏に」は、宅守が「天地の神なきものに」(3740)と言っているのを承けたもので、他に類のない表現です。天地の底のまた裏まで探したところで、の意、あるいは「天地のどん底にあって」のように解するものもあります。伊藤博は、「この2句、創意に富み、いかにも『焼き滅ぼさむ天の火もがも』(3724)を口にした人の言葉らしい」と言っています。「我がごとく」は、私のように、私と同じくらいに。「君に恋ふらむ人は」は、あなたを恋い慕っているであろう人は。「実あらじ」の「実」は、本当に、決して、の意の副詞。本当にあるまい。

 
3751の「白たへの」は「下衣」の枕詞、あるいは状態を言ったもの。楮(こうぞ)などの樹皮の繊維で織った白い布を指し、清潔さや神聖さを象徴します。「失はず」は一般に「無くさず」の意に解されていますが、窪田空穂は、「絶えず身に着けていよということを婉曲に言ったもので、わが魂を身に添わしめよの意」と述べています。「持てれ」は「持てり」の命令形。単なる命令よりも「ずっと持ち続けていて」という状態の継続を強く願う響きがあります。「直に逢ふまでに」は、直接に逢うまでは。

 
3752の「春の日の」は、うららかな春の光が降り注ぐ日のこと。通常は喜びや生命力を象徴しますが、ここでは逆の感情を引き出す背景となっています。「うら悲しきに」の「うら」は心の内、あるいは何となくという接頭辞。なんとなく心悲しいところに、心細く感じられる折に。「後れ居て」は、後に残されていて。「現しけめやも」の「現し」は、正気、現実感があること。「め」は推量の助動詞、「やも」は反語で、確かな心でいられようか、いられはしないの意の慣用句。

 
3753の「逢はむ日の」は、(いつか再び)逢うことができる日の。「たわや女」は、弱い女としての謙遜の語で、撓(たわ)む意から生じた語といわれます。「手弱女」と書くのは当て字。「縫へる衣そ」は、縫い上げた、この衣なのです。「この衣の一針一針には、私の乱れるほどの想いがすべて込められているのですよ」という強い断定です。この歌から、娘子は、形見の衣として元からあったものを贈ったのではなく、配流となった宅守のためにわざわざ縫ったことが分かります。衣服や下着を贈ることは、自分の魂を相手の身の近くに置く呪術の一つでありました。

 なお、3752で「春の日のうら悲しきに」と、春を物悲しい季節とする感覚を前提に歌っているのは、万葉の時代が下ると、春は物悲しい気分を感じさせる季節として捉えられるようになってきたことによります。これは中国文学の影響と見る説があり、春は甦りと喜びの季節であるものの、同時にその悲哀を歌うことは、六朝時代以降の文学伝統だったといいます。春を彩る花の「盛り」の裏には、やがて散りゆく「うつろひ」の悲しさが予想されるからだ、とされます。
家持の歌にも「春まけてもの悲しきに・・・」(巻第19-4141)とあります。
 


かたみ(形見)

 カタミは、現在では、もっぱら故人の遺愛の品を指すことが多いが、古代では、死者に限らず、離れて逢えない人、とりわけ恋する相手にゆかりのある事物を意味した。カタミのカタとは、カタチ(形)のカタであり、ある事物の象形、すなわちその輪郭を指す。その外形といってもよい。ただし、大事なのは、そのカタが、霊力・霊魂を宿すことができるものであったことである。カタミとは、それを見ることによって、そこに宿る故人や逢えない人の霊力・霊魂に触れあうことのできるような対象を意味した。

 カタミとされるものは、実にさまざまである。鏡、子供、衣(着物)、さらには植物や土地なども「形見」とされた。

~『万葉語誌』から引用

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古典に親しむ

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