| 訓読 |
3779
我(わ)が宿(やど)の花橘(はなたちばな)はいたづらに散りか過ぐらむ見る人なしに
3780
恋ひ死なば恋ひも死ねとや霍公鳥(ほととぎす)物思(ものも)ふ時に来(き)鳴き響(とよ)むる
3781
旅にして物思(ものも)ふ時に霍公鳥(ほととぎす)もとなな鳴きそ我(あ)が恋まさる
3782
雨隠(あまごも)り物思(ものも)ふ時に霍公鳥(ほととぎす)我(わ)が住む里に来(き)鳴き響(とよ)もす
3783
旅にして妹(いも)に恋ふれば霍公鳥(ほととぎす)我(わ)が住む里にこよ鳴き渡る
3784
心なき鳥にぞありける霍公鳥(ほととぎす)物思(ものも)ふ時に鳴くべきものか
3785
霍公鳥(ほととぎす)間(あひだ)しまし置け汝(な)が鳴けば我(あ)が思(も)ふ心いたもすべなし
| 意味 |
〈3779〉
家の庭の花橘は、いたずらに散っていくままになっているのだろうか、誰も見る人もなく。
〈3780〉
恋い死にしたいなら、そのまま死んでしまったらとでもいうのか、ホトトギスよ。物思いに沈んでいる時にやってきて鳴き立てるとは。
〈3781〉
旅先にあって物思う時に、ホトトギスよ。わけもなくそんなに鳴かないでおくれ。わが恋が増すではないか。
〈3782〉
雨のために家にこもって物思いをしていると、ホトトギスが私の住む里にやって来て鳴き立てる。
〈3783〉
旅先にあってあの人に恋い焦がれていると、ホトトギスが、この里に一人住む私の目の前を通って、鳴きながら飛んでいった。
〈3784〉
心ない鳥だよ、ホトトギス。お前は、私が物思いに沈んでいるこんな時にやってきて鳴いたりしてよいものか。
〈3785〉
ホトトギスよ、しばらく間を置いて鳴いてくれないか。お前が鳴くたびに、思い悩んでいる私の心が苦しくてしかたがない。
| 鑑賞 |
越前武生の配所で、中臣宅守が花鳥に寄せて思いを述べて作った歌7首。ここの歌は3754~3766と同じ時期に作ったものの都へ送るタイミングを逃したものか、あるいは独泳歌であるのであえて送らなかったものか、はたまた1年後の詠草の故かなどの事情が考えられており、さらには、編者によって付加されたものとする見方もあります。娘子の返歌2首の最後の歌3778にいう「直に逢ふ」日を願いつつ歌った作とも見られます。3779の「我が宿」は、京にある宅守の家の庭前。「花橘」は、花が咲いている時の橘の称で、初夏に白い香りの高い花を咲かせます。「散りか過ぐらむ」は、散っていくのだろうか。「らむ」は現在推量の助動詞。「見る人なしに」は、(主である私という)見る人もいないのに。
3780の「恋ひ死なば」は、恋い焦がれて死ぬのなら。「恋いひも死ねとや」の「や」は疑問の係助詞で、恋い死にしろというのだろうか。「霍公鳥」は、初夏に飛来する渡り鳥。古来、その鳴き声は「聞きつる」ものとして愛でられる一方、死出の山から来るとも信じられ、物思いを助長させる存在でもありました。「来鳴き響むる」は、やって来て大きな声で騒ぐ。「や」の結の連体形で、詠嘆の意があります。
3781の「旅にして」は、旅の途上にあって。ここでは単なる旅ではなく、罪人として都を離れ、越前へと向かう過酷な配流の道中を指します。「もとな」は、わけもなく、いたずらに。「な鳴きそ」の「な~そ」は、懇願的な禁止。「我が恋まさる」は、私の(あなたへの)恋心がさらに募ってしまう。
3782の「雨隠り」は、雨のために家にこもっていること。3783の「我が住む里」は、味真野。「こよ」は。ここを通って。3784の「鳴くべきものか」の「か」は、反語。3785の「しまし」は、しばらく。「いたもすべなし」は、非常に苦しい、辛い。3780からの6首は、すべてホトトギスが詠み込まれ、恋に生き恋に死ぬという生と死の極限にある寂しく悲しい心情と強い望郷の思いを、その鳴き声に託しています。そして、ここの歌をもって、約2年にわたっての巻第15後半の歌群は閉じられます。
宅守は結局、配流された翌年の天平13年(741年)9月の大赦で帰京することができました。その後また位を得るものの、天平宝字8年(764年)の藤原仲麻呂の乱に連座して除名され、以後消息不明となっています。不遇な一生だったといえましょう。また、宅守の帰京後に弟上娘子との関係がどうなったかも分かりません。もしかしたら、再会を待たず、娘子は亡くなってしまったのかもしれません。歌群の最後が花鳥を歌う宅守の独泳歌で終わっているのは、それを暗示していると感じられなくもないところです。しかし、ここはやはり、宅守の帰京後の二人は前に倍して幸せな夫婦生活を送ったものと見たいところです。
これらの贈答歌は、まるで愛の私小説であるかのような歌の流れとなっており、また、人間の真実な魂の絶唱と評価されています。さらにその結末がどうなったかよく分からないのも、想像を大いにたくましくするところです。一方では、あまりにも巧みな歌物語的な構成であるため、後人の創作ではないかとする見方や、実録を基に編者が手を加えて成ったとする考え方があります。しかし、二人の歌の調子が異なっているので、原歌は、やはり2人によって詠まれたのでしょう。とくに娘子の他の特徴として、①四句切れが多い、②「君」「我が背子」の呼称が多い、③強い呼びかけや命令口調が多い、④特異な語句が多い、などが指摘されています。
『新万葉考』『万葉幻視考』などを著した大浜厳比古氏は、この歌群と遣新羅使人の歌群について、諸説を列挙した上で次のように述べています。「諸説の向かうに、やはり一人の創作詩人の姿――それは新しい意味での創作意識に目醒めた一人の教養文人――と、彼の創作材料となるべき事件および若干の歌稿ないし記録とが浮かんでくる。この二つが相俟って出来た『実録風な創作(ドキュメンタリ・フィクション)』と見るのであり、その創作詩人は誰かといえば、やはり家持を置いて他には考えられない」。これに対し、伊藤博は次のように述べています。「家持の手がいかに加わっているにしても、読者は、『六十三首』として『万葉集』が与えてくれたものを、二人の詠歌による悲話として味わえばよい。近代の時代小説について、歴史的事実とは異なって、作者の脚色がどこまで入っているかということを追究するのがほとんど意味がないことが、巻十五の両歌群の上にも存するはずだからである」

『万葉集』の代表的歌人
第1期(~壬申の乱)
磐姫皇后/雄略天皇/舒明天皇/有馬皇子/中大兄皇子(天智天皇)/大海人皇子(天武天皇)/藤原鎌足/鏡王女/額田王
第2期(白鳳時代)
持統天皇/柿本人麻呂/長意吉麻呂/高市黒人/志貴皇子/弓削皇子/大伯皇女/大津皇子/穂積皇子/但馬皇女/石川郎女
第3期(奈良時代初期)
大伴旅人/大伴坂上郎女/山上憶良/山部赤人/笠金村/高橋虫麻呂
第4期(奈良時代中期)
大伴家持/大伴池主/田辺福麻呂/笠郎女/紀郎女/狭野芽娘子/中臣宅守/湯原王
【PR】
|
古典に親しむ
万葉集・竹取物語・枕草子などの原文と現代語訳。 |