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巻第16(索引)万葉集(掲載歌の索引)古典に親しむ

『万葉集』巻第16-3786・3787

訓読

3786
春さらばかざしにせむと我(あ)が思(も)ひし桜の花は散り行(ゆ)けるかも
3787
妹(いも)が名に懸けたる桜(さくら)花咲かば常(つね)にや恋ひむいや年のはに

意味

〈3786〉
 春になったら、その時こそ髪飾りにしようと思っていた、桜の花は散ってしまったのだ、ああ。
〈3787〉
 あの子の名を思い起こす桜、その花が咲く時になったら、いつも恋しさに堪えきれないだろう、年がくるたびにずっと。

鑑賞

 悲劇の乙女「桜児(さくらこ)」を歌った歌です。序文には次のような説明があります。―― 昔、一人の娘子(おとめ)がいた。字(あざな)を桜児といった。二人の若者が、共に桜児に結婚を求めたことから、殴り合って死をも恐れぬ争いとなった。それを見た桜児はすすり泣きながら言った。「昔から今に至るまで 一人の女の身で二人の男に嫁ぐなど聞いたことも見たこともありません。もうあの人たちを仲直りさせることはできない。私が死んで二人が傷つけ合うのを止めるしかありません」と。そして林の中に深く分け入り、首を吊って死んでしまった。二人の若者は悲しみをこらえきれず、溢れる血の涙を衣の襟に流した。そして、それぞれが思いを述べて歌を作った。――

 
3786の「春さらば」は、春になったら。「かざしにせむと」は、頭髪や冠に花の枝を挿そうということですが、ここでは妻にしようとしていたことの譬え。「桜」は、桜児の名を掛けており、「散りにけるかも」は、その死を喩えたもの。3787の「名に懸けたる」は、名と関係した、名を負い持った。「花咲かば」は、来る年の春ごとに咲いたならその時にはいつも、の意。「花散らば」となっている本もあります。「いや」は、いよいよ。「年のは」は、毎年の意の熟語。3786と3787の関係は、今年の花は散ってしまったけれども、これから毎年咲く花を見るごとに亡き桜児を思い偲ぶという意味が連合して言い表されており、結局は二人しての永遠の思慕を述べたものになっています。

 いずれの歌も、歌だけ読めば叙景の歌のようですが、「題詞」に「由縁」となる物語を記述し、その登場人物の歌を併せて収録している、すなわち「題詞(由縁)」+「歌」で一つの歌物語をなす形になっています。また、『万葉集』にはこの伝説がどこの地のものとは書かれていませんが、畝傍山の東北方にある娘子塚に関係しているといわれます。ここの歌の成立過程としては、まず「桜児」の昔話があり、それが享受される段階で、二人の壮士の言葉として2つの歌が加えられたと考えられています。
 


巻第16について

 「由縁(ゆゑよし)有る雑歌」との題目があり、いわれのあるさまざまな歌が収められています。題詞や左注に作歌事情や縁起が記されており、また格式・形式にとらわれない愉快な歌が多くあります。収録歌数は104首で、巻第1に次いで少なく、第一次の成立時から次々に追補が行われて、最終的に独立した巻となったようです。
 なお、この題目については、ある本に「有由縁幷雑歌」とあり、「有由縁幷せて雑歌」と読む説もあります。後半には由縁を欠く歌が並ぶため、後者の方が巻全体の内容をよく表しているようです。
 また、和歌は和語で歌われるとを原則とし、漢語は排除されているのですが、巻第16は例外で、仏教語などの漢語が意識的に用いられた歌が何首か見られます。

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『万葉集』各巻の部立て(巻第11~20)

  • 巻第11・巻第12
    部立てなし
  • 巻第13
    ① 雑歌 (3221番~3247番)
    ② 相聞 (3248番~3304番)
    ③ 問答 (3305番~3322番)
    ④ 譬喩歌 (3323番)
    ⑤ 挽歌 (3324番~3347番)
  • 巻第14(東歌)
    ① 雑歌 (3348番~3352番)
    ② 相聞 (3353番~3428番)
    ③ 譬喩歌 (3429番~3437番)
    ④ 雑歌 (3438番~3454番)
    ⑤ 相聞 (3455番~3566番)
    ⑥ 防人歌 (3567番~3571番)
    ⑦ 譬喩歌 (3572番~3576番)
    ⑧ 挽歌 (3577番)
  • 巻第15
    部立てなし
  • 巻第16
    由縁有る雑歌
  • 巻第17~20
    部立てなし
古典に親しむ

万葉集・竹取物語・枕草子などの原文と現代語訳。