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巻第16(索引)万葉集(掲載歌の索引)古典に親しむ

『万葉集』巻第16-3803~3805

訓読

3803
隠(こも)りのみ恋(こ)ふれば苦し山の端(は)ゆ出(い)でくる月の顕(あらは)さばいかに
3804
かくのみにありけるものを猪名川(ゐながは)の奥(おき)を深めて我(あ)が思(おも)へりける
3805
ぬばたまの黒髪(くろかみ)濡れて沫雪(あわゆき)の降るにや来ます幾許(ここだ)恋ふれば

意味

〈3803〉
 隠れて恋仲でいるのは辛いのです。山の端から出てくる月のように、そろそろ表沙汰にしてはどうかしら。
〈3804〉
 こんなにやつれ果てているとも知らず、猪名川の深い川底のように、心の底深く私はそなたのことを思い続けていた。
〈3805〉
 黒髪も濡れて沫雪が降るのにおいでになったのですか。ひどく私が恋しく思っていたので。

鑑賞

 3803は、前文に次のような説明があり、「昔、一人の男とたいへん美しくて立派な女がいた。素性や名前はわからない。二人は、両親に告げずに密かに契りを結んでしまった。その美女は、心の中で二人の仲を親に知らせたいと思った。そこで歌を作って自分の夫の許に送り与えた。その歌に曰く」とある歌です。「隠りのみ」の「隠り」は、秘密の意の名詞形。人目を忍んでばかり、心の中に隠してばかり。「山の端ゆ」の「ゆ」は、動作の起点または通過点を示す格助詞。「山の端ゆ出でくる月の」は「顕す」を導く譬喩式序詞。「顕さばいかに」は、明らかにしてしまったら、どうであろうか。

 親に秘密の恋愛に悩む歌は、集中の相聞歌に数多くありますが、その男女間にこのようなやり取りがあったという状況を告げた歌は他に例がないものです。世の男女の間に当たり前に存在しながら、歌われることがなく、そのことこそが、ここに歌物語として楽しむ引き金になったのだろうといいます。また、前文に「その夫に送り与ふ」とあり、「与ふ」は上位者から下位者へ向けての行為であることから、この場合、女の方が男より身分が高かったことが窺えます。女が親に身分の低い男との密事を告げたとしても、承認されることはまずなかったでしょう。女から送られた歌を見て、男としては答えに窮したのではないでしょうか。なお、左注に、この歌には男の答歌があったともいうが、まだ探し求めることができていない旨の記載があります。

 3804・3805については、前文に次のような説明があります。―― 昔、一人の男がいた。結婚早々まだそれほど時が経っていないときに、突然、駅使として遠い国に遣わされることになった。公の務めなので自由がなく、今度逢えるのはいつの日ともかわからない。妻は深い悲しみに心を痛め、とうとう病の床に臥してしまった。幾年か年を重ね、男が帰って来て役所に報告を終え、すぐさま妻の許にやって来て顔を合わせると、妻の容姿はやつれて変わり果てていて、言葉さえしどろもどろであった。男は嘆き悲しんで涙を流し、歌を作って口ずさんだ。――。「駅使」というのは、駅馬を利用して情報伝達を行う使者のこと。

 
3804の「かくのみにありけるものを」は、このようになってしまっていたのに。「猪名川」は、兵庫県東部を流れる川で、ここでは「奥」の枕詞として使われています。「奥」には「沖」のほかに「将来」の意味もあるので、「将来をかけて」の比喩と解するものもあります。夫の出張先は播磨の国だったのでしょうか。そして、帰ってきた夫の歌を、横になりながら聞いた妻が、枕から頭をあげて返歌をしたのが3805です。「ぬばたまの」は「黒髪」の枕詞。若い夫の黒髪の描写は、集中特異です。「沫雪」は、沫のように消えやすい雪。「ここだ」は、ひどく、甚だしく。ただこの歌は、「雪が降るのにわざわざ来てくれた」と歌っているのが不自然であり、語りと歌としっくり合わない面があります。編者も疑問を感じたらしく、左注に「今考えてみると、この歌は、夫が派遣されてすでに何年も経ってから帰って来たとき、ちょうど雪の降る冬だったので、それで女は沫雪の句を作ったものか」との記述があります。
 


巻第16について

 「由縁(ゆゑよし)有る雑歌」との題目があり、いわれのあるさまざまな歌が収められています。題詞や左注に作歌事情や縁起が記されており、また格式・形式にとらわれない愉快な歌が多くあります。収録歌数は104首で、巻第1に次いで少なく、第一次の成立時から次々に追補が行われて、最終的に独立した巻となったようです。
 なお、この題目については、ある本に「有由縁幷雑歌」とあり、「有由縁幷せて雑歌」と読む説もあります。後半には由縁を欠く歌が並ぶため、後者の方が巻全体の内容をよく表しているようです。
 また、和歌は和語で歌われるとを原則とし、漢語は排除されているのですが、巻第16は例外で、仏教語などの漢語が意識的に用いられた歌が何首か見られます。 

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古典に親しむ

万葉集・竹取物語・枕草子などの原文と現代語訳。