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巻第16(索引)万葉集(掲載歌の索引)古典に親しむ

『万葉集』巻第16-3819~3821

訓読

3819
夕立(ゆふだち)の雨うち降れば春日野(かすがの)の尾花(をばな)が末(うれ)の白露(しらつゆ)思ほゆ
3820
夕(ゆふ)づく日さすや川辺(かはへ)に作る屋(や)の形(かた)をよろしみうべ寄(よ)そりけり
3821
美麗(うまし)ものいづく飽(あ)かじを坂門(さかと)らが角(つの)のふくれにしぐひ合ひにけむ

意味

〈3819〉
 夕立の雨が降ると、春日野の尾花の先に置く白露が思い出される。
〈3820〉
 西に傾いた夕日、その日が射しこむ川のほとりに造ってあるこの家の形がよいので、なるほど人が引き寄せられて来ることだ。
〈3821〉
 美しい女だったらどんな相手だって結婚できるのに、坂門の娘は、よりによって角の太っちょ男なんかと情交を通じるなんて。

鑑賞

 3819・3820は、左注に「小鯛王(こだいのおほきみ)が、宴席で琴を手にすると、いつもすぐにこの歌を吟唱していた」とある歌。こちらも本人作かどうかは分かりません。小鯛王は系譜未詳ながら、同じく左注に「またの名は、置始多久美(おきそめのたくみ)、この人なり」とあるので、臣籍に下った人。奈良朝風流侍従の一人に置始工(おきそめのたくみ)という人がいたので、同一人物とみられます。

 
3819の「夕立」は、夏の午後に降る急な雨。「雨うち降れば」の「うち」は接頭語で、動作を強調したり整えたりします。「雨がさっと降ると」というニュアンスです。「春日野」は、奈良市の春日山の裾野一帯。現在の奈良公園一帯で、奈良朝の人々が野遊を楽しんだ景勝地です。「尾花が末」は、ススキの穂先。「思ほゆ」は「思ふ」の自発形。「尾花の穂先に置く白露には、王の憧れの美女か評判の遊行女婦などの美しい女性をイメージしつつ吟唱していたのでしょう。

 
3820の「夕づく日」は、夕日、西に傾いた太陽のこと。「作る屋」は、新築された家、あるいは立派に造作された家。「形をよろしみ」は、「形(家の造り)が良いので、形が良いと思って。「うべ」は、なるほど、もっともなことに。「寄そりけり」の「寄そり」は、引き寄せられる。「けり」は、気づき・詠嘆の助動詞。表面的には構えのよい家屋に引き寄せられることを述べた歌ですが、こちらも女性の容姿や心模様の美しさを写し出したものと見られています。

 どちらも夕方に関した歌であり、
伊藤博は、「夕方は男が女を訪れる、心熱きたいせつな時間帯であったことを見のがすべきではない。・・・降れば降ったで籠って思い、晴れれば晴れたで出でて逢うという構図である。男というものは、こうして常時、好きな女とかかわるのだ。2首の恋物語については、『夕立の雨』と『夕づく日』との対比も、きわめて重要で、大きな意味を担っている」と述べています。

 
3821は、題詞に「児部女王(こべのおほきみ)が嗤(わら)ふ歌」とあります。左注に説明があり、「あるとき娘子がいた。姓は坂門氏で、この娘子は、高い身分の家の美男子の求婚を断り、小氏族の家の醜男の求婚を受け入れた。そこで、児部女王はこの歌を作ってその愚かさを嘲笑した」。つまり、美女なのでどんな男とでも結婚できたはずなのに、よりによってあんな身分の低い醜男の求婚に応じるとは、なんと愚かな女だ、と嘲っているというのです。

 「美麗もの」は、美しく立派なもの。「坂門」は氏の名で、「角」も相手の男の氏の名ではないかとされます。「しぐひ合ひ」は語義未詳ながら、『日本国語大辞典』には「男女がくっつきあう、交わるなどの意か」とあります。どうやら、そうした行為を卑猥に呼んだ語のようです。官人たちの世界は、その雅な表面とは裏腹に、噂や揶揄の渦巻く世界であっただろうことは想像に難くなく、この歌は、そうした見えにくい裏側の一端が垣間見えるものとなっています。ただし、題詞に「嗤ふ」とあるものの、歌の内容は、娘子の結婚した相手が実に意外で、その気が知れないということを言っているもので、
窪田空穂は、「嘲笑というよりはむしろ、怪訝というほうに近いものである」と述べています。

 
児部女王は伝未詳ながら、宮廷に重きを置く存在ではなかったと見られます。皇子皇女の名前の付け方に特に定まりはありませんが、その養育氏族名を負うことが少なくなく、児部女王は「児部」という小族に育てられた人だったかもしれません。
 


白露(しらつゆ)

 『万葉集』では秋雑歌に集中して詠まれている語で、葉の上に置いた露が白く見えることからいう。「露」の歌語的表現で、「消ゆ」「起く」などを引き出す序詞に用いられることが多く、はかなさの象徴となっている。また「知ら」に掛けて用いることもある。もともと「しらつゆ」は、漢籍の「白露」によることも指摘されている。

 「白露(はくろ)」は二十四気の1つでもあり、立秋から30日目をさす。太陽暦の9月7日ごろで、それからの15日間、すなわち8月節をもいう。夜中に大気が冷え、草花や木々に美しい朝露が宿りはじめる時期の意。

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古典に親しむ

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