| 訓読 |
勝間田(かつまた)の池は我(わ)れ知る蓮(はちす)なししか言ふ君が鬚(ひげ)なきごとし
| 意味 |
勝間田の池は私はよく知っておりますが、蓮(はす)はありません。蓮があるとおっしゃるあなたに髭がないのと同じです。
| 鑑賞 |
題詞に「新田部親王(にひたべのみこ)に献れる歌」とあり、左注に次のような説明があります。ある人が聞いて言うには、新田部親王が、都の中にお出ましになり、勝間田の池をご覧になって深く感動なさった。その池から戻っても、喜びを隠しておけなかった。そこで、側近の婦人に語って言うには、「今日遊びに出て、勝間田の池を見ると、水の影は波に揺れ動き、蓮の花が盛りとばかりに咲いていた。その素晴らしさは腸(はらわた)を断つばかりで、とても言葉にできないほどだった」。すると婦人が、この戯れの歌を作って口ずさんだという。
「勝間田の池」は所在未詳ながら、唐招提寺、薬師寺近傍にあった池とされます。「我れ知る」は、私は知っている。あるいは、私の知る限りでは。「蓮なし」は、蓮の花など咲いていない。実際は蓮の多い所であるのに、戯れとして逆にいったものとされます。「しか言ふ」は、そのように(蓮があるなどと嘘を)言う。「君が鬚なきごとし」は、あなたの髭がないのと同じことだ。
新田部親王は、天武天皇の皇子。「婦人」は親王の寵愛を受けていた愛人とみられ、当時の一人前の男が当たり前に蓄えている髭が親王にないのをからかっています。さらに「蓮(れん)」には同音の「恋」が掛けられており、「蓮なし」には「私への愛情が近ごろはめっきり薄いではありませんか」との、媚態とも訴えともとれる意味が込められています。親王の身体的欠陥をあげつらった歌ではありますが、軽く明るい揶揄であり、親王は苦笑するより他なかったかもしれません。題詞に「新田部親王に献れる歌」とあるので、親王を中心とする宴席の場での詠だったかもしれません。揶揄の歌ではありますが、こうした高度な文芸的表現を織り交ぜて社交の具としても用いられているありようには、天平期の爛熟した宮廷文化が大いに窺えるところです。

各巻の主な作者
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