| 訓読 |
3849
生き死にの二つの海を厭(いと)はしみ潮干(しほひ)の山を偲(しの)ひつるかも
3850
世間(よのなか)の繁(しげ)き仮廬(かりほ)に住み住みて至(いた)らむ国のたづき知らずも
3851
心をし無何有(むがう)の郷(さと)に置きてあらば藐孤射(ばこや)の山を見まく近けむ
3852
鯨魚(いさな)取り海や死にする山や死にする 死ぬれこそ海は潮干(しほひ)て山は枯れすれ
| 意味 |
〈3849〉
生と死の二つの苦えあるこの世が厭わしいので、苦海が干上がっところにあるという山(須弥山)にたどり着きたいと、心から思い続けている。
〈3850〉
世の中という、煩わしいことばかり多い仮の宿に住み続けながら、願い求める浄土に至ろうと思うけれど、手掛かりも知られないことだ。
〈3851〉
心さえ無何有の郷に置いていれば、藐孤射の山を見ることのできる日も近いだろう。
〈3852〉
海は死んだりするだろうか。山は死んだりするだろうか。いや、死ぬからこそ、海は干上がり、山は枯れ山になる。
| 鑑賞 |
3849・3850は「世間の無常を厭う」歌。この2首は、かつて明日香村にあった河原寺の仏堂の中にある倭琴(やまとごと)の面に書かれていたという歌で、『万葉集』には珍しい欣求浄土(ごんぐじょうど)の仏教思想が詠まれています。河原寺の一僧侶が、 本心を託しひそかに願をかけた歌だろうとされます。河原寺は敏達天皇の御代の創建で、飛鳥寺・薬師寺・大官大寺とともに「飛鳥四大寺」に数えられていたといわれます。歌が書かれていたという倭琴は、日本古来の6弦の琴であり、本来は神前の物だったのが、この時代には仏寺の斎会にも用いられるようになったようです。また、『日本書紀』には、686年に新羅からの客をもてなすために河原寺の伎楽団を筑紫に送ったことが記されています。河原寺の僧たちも倭琴を奏でる練習に励んでいたのでしょうか。
3849の「生き死にの二つの海」は現世のことで、この世の苦しみを海に譬えた「苦海(くかい)」という仏教語から来ています。「潮干の山」は、生死を解脱した涅槃の地である須弥山(しゅみせん)のことで、古代インドの世界観のなかで中心にそびえる山。3850の「仮廬」は仮に造った小屋で、現世を具象的に言ったもの。「住み住みて」は「住み」を重ねて、住み続けの意を表したもの。「至らむ国」は至るべき国で、極楽浄土。「たづき知らずも」の「たづき」は、方法、手掛かり。手掛かりが知られないことだ。これらの歌は琴への落書きとはいえ、思いがけぬ場所に先人のこういう歌を発見した時の感慨は一入で、その感慨が口から口へと語り伝えられ、やがて『万葉集』に収録されることになったのでしょう。悟りの境地に達したいと願う真摯な思いが込められており、内容も極めて高度なもので、河原寺での厳しい規律下での修行生活を窺い知ることができます。
3851の「心をし」の「し」は、強意の副助詞。「無何有の郷」は、『荘子』逍遥遊篇に見える、自然のままで何の作為もない理想郷。無心(無念無想)の譬え。「心を置く」というのは、心のよりどころを置く、精神をそこに安置するの意で、ここは「心を俗世から離し、悟りの境地に置く」というニュアンス。「藐孤射の山」は、同じく『荘子』に見える、中国で不老不死の仙人が住んでいるという想像上の山。「見まく」は、見ること。「近けむ」は、近く見ることができるであろう。奈良時代に流行っていた神仙思想につながりがあるもので、『荘子』を読んだことのある奈良朝の知識人が作った歌とされます。窪田空穂は、「国家主義の徹底していたわが国であるが、同時に一方では、漢土の代表的な個人主義思想である荘子をも受け入れようとしていたのである。もっともこの歌は、奈良朝時代に盛行していた神仙道につながりを持っているもので、荘子の思想としても表面的のものといえる」と述べています。
3852は旋頭歌形式(5・7・7・5・7・7)の歌で、問答を1首にしたもの。「鯨魚取り」は、鯨(くじら)を獲る所の意から「海」にかかる枕詞。「海や死にする」の「や」は、疑問の係助詞で、反語となるもの。海が死のうか、死にはしない。「山や死にする」も同じ。「死ぬれこそ」は、死ぬからこそ、という強意の表現。「潮干て」は、潮が引いて、干潟になること。常住不変に見える海や山でさえも、衰亡を免れることができないと歌い、もともと常住の存在でない人のはかなさをより際立たせています。非常にスケールの大きな「生と死の哲学」、あるいは「宇宙的な無常観」が窺われる歌であり、『万葉集』の中でも極めて異色とされる作品です。
なお、シンガーソングライターのさだまさしさんの代表曲の一つに『防人の詩』というのがあり、映画『二百三高地』の主題歌にもなりましたが、その詞の原案となったのが、この詠み人知らずの歌です。
さだまさし作詞『防人の詩』から~
おしえてください
この世に生きとし生けるものの
すべての生命に限りがあるのならば
海は死にますか 山は死にますか
風はどうですか 空もそうですか
おしえてください

『荘子』
『荘子(そうじ)』は、中国戦国時代(紀元前4〜3世紀)の思想家・荘周(荘子)またはその思想に共鳴した後代の人々によって書かれたとされる道家(道教思想)の代表的古典であり、老子の『道徳経』と並び、道家思想を理解する上で最重要の書物の一つです。一般に 内篇(7編)・外篇(15編)・雑篇(11編) の33篇から成り、内篇がもっとも純粋な荘子本人の思想が反映されているとされる部分で、外篇・雑篇は、弟子や後代の道家思想家による加筆が多いと考えられています。『荘子』の基本的な思想は、宇宙の根源原理である「道」に従って生きることを理想とし、人間の価値観や制度に縛られず、自然本来のあり方(自然=じねん)に従う自由な生き方を説きます。また、寓話・神話やユーモアあふれる逸話に満ちた文学作品でもあり、中国文学の最高傑作の一つとも言われます。
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『万葉集』と仏教の関係
『万葉集』は神道的な素朴な感性や自然崇拝(万物霊魂)が色濃く残る歌集ですが、受容が進みつつあった仏教の思想や概念も随所に反映されています。日本に伝来して間もない仏教が、万葉歌人たちの「生死観」「人生観」「言語観」にどのような影響を与えたのか、万葉歌人の中で仏教的色彩が特に濃厚なのは、奈良時代中期の山上憶良や大伴旅人らです。
知識人として漢籍・仏典に造詣が深かった山上憶良は、病苦や老い、貧困といった人生の生々しい苦悩を仏教の教理を用いて詠みました。貧窮問答歌(巻第5-892)では、仏教の「四苦八苦(生老病死・愛別離苦など)」を背景に、現実生活の苦痛とそこから逃れられない人間の宿命を描いています。日本挽歌(巻第5-793)では、世間の無常さ、人の命の儚さを仏教用語(「世間は空しきもの」等)を交えて直接的に抒情しました。
太宰府の長官であった旅人は、現地で妻を亡くした哀傷歌や梅花宴の序文において、人生の儚さ(無常)を強く意識しています。「世間は空しきものと知る時しいよよますます悲しかりけり」(巻第5-793)には、諸行無常の念が深まり、現世の価値が「空(くう)」であることを感じ取った嘆きが表れています。
『万葉集』における主な仏教的テーマは、第一に、人は必ず死に、世の営みは移ろい行くという「諸行無常」の観念です。『万葉集』初期の神道的・現世肯定的な歌から、時代が下るにつれて「移ろいやすさ」に対する哀惜が仏教的思考によって言語化されていきました。第二に、業(カルマ)と輪廻という、自らが犯した罪や過去の因縁に関する認識です。例えば、『万葉集』後半には放生会や仏事に関する歌、あるいは仏教的な「罪悪感」や「報い」を意識した表現が見られます。また、国家的な仏教鎮護政策の広がりとともに、寺院や仏像、法会(講説)自体が和歌の題材になりました。
ただし、『万葉集』に仏教そのものを直接的に詠んだ歌は少なく、仏教の影響はむしろ歌の根底に広く浸透していると推測されます。また、全体像としては古代固有の信仰(神道・霊魂観)と受容された仏教観念が同居・交錯している過渡期の姿を示しています。『万葉集』における仏教は、日本人が「目に見えない運命」や「人間の不可避な苦しみ」を抽象言語で表現するための新しい思考のフレームワークとして定着していったプロセスの記録と言えます。
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古典に親しむ
万葉集・竹取物語・枕草子などの原文と現代語訳。 |