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巻第16(索引)万葉集(掲載歌の索引)古典に親しむ

『万葉集』巻第16-3857~3859

訓読

3857
飯(いひ)食(は)めど うまくもあらず 行き行けど 安くもあらず あかねさす 君が心し忘れかねつも
3858
このころの我(あ)が恋力(こひぢから)記(しる)し集め功(くう)に申(まを)さば五位の冠(かがふり)
3859
このころの我(あ)が恋力(こひぢから)給(たま)らずは京兆(みさとづかさ)に出(い)でて訴(うれ)へむ

意味

〈3857〉
 ご飯を食べても美味しくないし、いくら歩き回っても心は落ち着きません。あなたの真心を忘れようにも忘れることができません。
〈3858〉
 近ごろ、私が恋に費やしている労力を記録して集め、功績に換算して願い出たら、五位の冠に匹敵するだろう。
〈3859〉
 このところの恋に費やした私の労力にごほうびを頂けないなら、京の役所に行って訴え出てやる。

鑑賞

 3857は、題詞に「夫君に恋ふる歌」とある『万葉集』最短の長歌で、左注に「伝へて云はく」と、次のような説明があります。「佐為王(さいのおおきみ)のお邸に、お傍近く仕える召使いの女がいた。夜も昼も仕えているので、夫になかなか逢えなかった。心は鬱々として晴れず恋しさに沈みきっていた。すると、宿直の夜に夢の中で夫と逢い、驚いて目覚め、手探りで抱きつこうとしたが、まったく手に触れることができない。そこで涙にむせんですすり泣き、大きな声でこの歌を吟詠した。王はこれを聞いてあわれに思い、それからはずっと宿直を免じた」。佐為王は、葛城王(橘諸兄)の弟で、天平8年に兄とともに臣籍に下り、橘宿禰の姓氏を賜わった人。

 「飯食めど」は、ご飯を食べてみても。「行き行けど」は、どこへ歩いて行っても、どこへ出かけて行っても。「安くもあらず」は、心が安まることもない、落ち着かない。なお、「行き行けど」の原文「雖行往」で、「寝(い)ぬれども」と訓み、「寝ても安らかに眠れない」と解釈するものもあります。「あかねさす」は、血色のよい意で「君」にかかる枕詞。「心し」の「し」は、強意の副助詞。「心」は、原文では「情」という字になっており、それを「こころ」と読ませています。そのような例は『万葉集』には多くあり、情と書いた場合と、心と書いた場合とでは、同じ「こころ」でも、何かニュアンスの広がりの違いが感じられるところです。「忘れかねつも」は、どうしても忘れることができないことよ。

 巻第16はユニークな「戯れ歌(ざれうた)」や逸話を持つ歌が多く集められている巻ですが、この歌は、恋の苦しみによって心身ともに調子を崩してしまった状態を、飾らない言葉でリアルに表現しています。中国古典の恋愛文学『遊仙窟』 を下敷きにしているとされ、伊藤博は次のように述べています。「歌が中国の名句によって操られたという推察は、左注のありようによっても納得がいく。この話は、中国色を背景に据えながら日本の王の慈愛を伝えるものとしてもてはやされたのであろう。この場合、歌は、近習の婢が詠んだという形にしたもので、実作者は別にいることはいうまでもない」。実際の作者は山上憶良、あるいは竹取翁の歌などと同様、下級官人層の某人ではないかとも言われます。

 3858・3859は、恋の苦しさを、労役や位階昇進にたとえ、エリート官僚になり損ねた自身を滑稽に歌っている男の歌です。3858の「恋力」は恋に要した苦労。「功」は、官位昇進の根拠となる功績。「申さば」は、功績として上申したならば。当時の官人の人事制度では、考課令に、官人は年に一回、自らの行跡の功過(功績と過失)を記録して上申することと定められていました。勤務評定の等階は、上上、上中、上下、中上、中中、中下、下上、下中、下下の9つに分かれており、さらに細かい規定がありました。「五位」は、宮中の位階のことで、従五位下以上が勅叙で貴族とされ、およそ150名ばかり。五位以上は殆どが出自によりましたから、下級官人からみればはるかに遠い雲の上の存在でした。

 3859の「給らずば」は、賞をくださらないなら。里に住んでいる者に対し、里長がくれる賞のことを言っています。「京兆」は、本来は都の警察・司法・行政を司る役所のことで、右京と左京に分かれ、左右2人の長官がいました。ただし官人の人事は管轄外でしたから、ここでは広く都の役所の意味で言っているようです。「出でて訴へむ」は、(お役所に)出向いて、直訴してやろう。いずれの歌も、恋と官位の双方に対する憧憬が込められており、多くの下級官人たちの間で折あるごとに誦われたものかもしれません。
 


『遊仙窟』

 中国、初唐時代に、流行詩人の張鷟(ちょうさく)、字(あざな)は文成、によって書かれた恋愛伝奇小説。筋書は、作者と同名の「張文成」なる人物が、黄河上流の河源に使者となって行ったとき、神仙の岩窟に迷い込み、仙女の崔十娘(さいじゅうじょう)と兄嫁の王五嫂(おうごそう)の二人の戦争未亡人に一夜の歓待を受け、翌朝名残を惜しんで別れるというもの。その間に84首の贈答を主とする詩が挿入されている。

 本書は中国では早く散逸したが、日本には奈良時代に伝来し、『 万葉集』の、大伴家持が坂上大嬢に贈った歌のなかにその影響があり、山上憶良の『沈痾自哀文(ちんあじあいのぶん)』などにも引用されている。その他、『和漢朗詠集』『新撰朗詠集』『唐物語』『宝物集』などにも引用され、江戸時代の滑稽本や洒落本にも影響を与えた。

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官人の位階

親王
一品~四品
諸王
一位~五位(このうち一位~三位は正・従位、四~五位は正・従一に各上・下階。合計十四階)
諸臣
一位~初位(このうち一位~三位は正・従の計六階。四位~八位は正・従に各上・下があり計二十階。初位は大初位・少初位に各上・下の計四階)

 これらのうち、五位以上が貴族とされました。 また官人は最下位の初位から何らかの免税が認められ、三位以上では親子3代にわたって全ての租税が免除されました。さらに父祖の官位によって子・孫の最初の官位が決まる蔭位制度があり、たとえば一位の者の嫡出子は従五位下、庶出子および孫は正六位に最初から任命されました。

官人の勤務評定

 官人たちは、つねに「考課」という勤務評定によって選別されていました。その対象となるには、下級官人で140日、最下級官人では200日の勤務実績が必須とされました。無断欠勤などはもってのほかで、届けを出さずに欠勤した場合は、一日につき笞(むち)20回の懲罰が科されました。作成した文書に誤りがあれば笞50回、職分を越えた行為にも笞50回と、かなり苛酷な毎日だったことが窺えます。 

古典に親しむ

万葉集・竹取物語・枕草子などの原文と現代語訳。