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巻第16(索引)万葉集(掲載歌の索引)古典に親しむ

『万葉集』巻第16-3875~3877

訓読

3875
琴酒(ことさけ)を 押垂小野(おしたれをの)ゆ 出(い)づる水 ぬるくは出でず 寒水(さむみづ)の 心もけやに 思ほゆる 音(おと)の少なき 道に逢はぬかも
少なきよ 道に逢はさば 色(いろ)げせる 菅笠小笠(すがかさをがさ) 我(わ)がうなげる 玉の七つ緒(を) 取り替へも 申(まを)さむものを 少なき 道に逢はぬかも
 
3876
豊国(とよくに)の企救(きく)の池なる菱(ひし)の末(うれ)を摘(つ)むとや妹(いも)がみ袖(そで)濡(ぬ)れけむ
3877
紅(くれなゐ)に染めてし衣(ころも)雨降りてにほひはすとも移(うつ)ろはめやも

意味

〈3875〉
 押垂小野から湧き出す水は、ぬるくはなく、冷たい水で、そんな水のように心がひやりとする人の声のしない道で、あなたと逢えないものか。
 人声の少ない道でお逢いしたなら、あなたの色美しい菅笠小笠と、私が首にかけている七連の玉飾りをお取り替えしようものを。人声の少ないこの道でお逢いできないかしら。

〈3878〉
 豊国の企救(きく)の池に浮かぶ菱の実、その実を摘み取ろうとして、お前さんの袖は濡れてしまったのかい。
〈3877〉
 紅に染め上げた着物は、雨が降ったからといって、色はいっそうあざやかに映えることはあっても、色あせることなどあるものですか。

鑑賞

 3875は1首の長歌ですが、2段構成の歌で、前半と後半で男女の問答のようになっています。「琴酒を」の「琴酒」は「殊酒」すなわち上等な酒の意で、押して(圧して)搾り垂らして作るところから「押垂」にかかる枕詞。「押垂小野」は地名ととれ、岩を垂れて流れる滝が存在したことによる名らしくありますが、所在未詳。「ゆ」は、起点・経由点を示す格助詞。「琴酒を~寒水の」は「心もけやに」を導く序詞。「けやに」は、際立って。「音」は、人の気配。「逢はぬかも」の「ぬかも」は、願望。「色げせる」は、色どったの意か。「菅笠小笠」の「小」は愛称で、菅を編んで作った笠。「うなげる」は、首にかけている。「取り替へ」は、交換して、で、契りの証し。

 清涼な泉の描写と静かな道を背景に、淡い恋心や切なさを詠んでいるように感じられる歌ですが、どういう状況で詠まれたものか明確でなく、これを歌垣のような場での掛け合いであるとする見方があります。男の「音の少なき道に逢はぬかも」と女の「少なき道に逢はぬかも」は双方が同じことを述べて同調しているように見えるものの、男の意図が、逢って共寝をしたい点にあるのに対し、女の「道に逢ふ」は「取り替へも申さむものを」を前提としており、互いの持ち物を交換する、つまりまずは夫婦のきちんとした約束を結ぶために逢いたいという意になるといいます。共寝には同意するものの、まずは約束を固めてからでないと信用できない、と。

 3876は、豊前国(ぶぜんのくに)の海人の歌。「豊前」は、福岡県東部から大分県北部にあたり、「豊国」が豊前と豊後に分割された後の称。「企救」は、北九州市門司区・小倉北区・小倉南区。瀬戸内海を船で下った場合、ここに着いてから大宰府に向かうので、交通の要衝だった地です。「菱」は、池や沼に自生する水草。根は泥の中にあり、水中茎が水面の上に出て葉を付けます。「末」は、枝や葉の先端。「み袖」の「み」は美称。企救はまた、遊行女婦が多くいた地とされ、そういう女たちとの宴飲の場で詠まれた歌だったかもしれません。

 3877は、豊後国(ぶんごのくに)の海人の歌。「豊後」は、大分県の大部分。「にほひ」は、色の美しく照り映えること。「移ろふ」は、色が褪せる。「やも」は、反語。紅花で染めた紅色は退色しやすいけれども、自分の着ている紅染めだけは違う、つまり「自分は決して心変わりなどしない」と言っている恋歌です。男女どちらの歌とも取れますが、着物を染めるのは女の業であるので、女の誓いであろうとされます。
 


こころ(心)

 現代の私たちにとって、ココロはすでに自明なものとして存在しているのかもしれない。手近な辞書を見ると、ココロとは、人間の理性・知識・感情・意志などの働きのもとになるもの、またその働きなどと説明されている。だが、古代のココロには相当に深い奥行きがある。古代のココロを探る場合、類似の概念であるタマ(魂)との関係を、どう把握するかが大きな問題となる。

 魂はそれぞれの個体に宿る生命力の本質とされるものをいう。魂または個体にとって、本来的な他者として存在した。魂は容器としての身体に宿り、時としてそこから遊離あるいは分離することができるとされた。魂が身体から完全に分離すると死を招くことになる。

 一方、ココロはどのようなものとされたのか。魂とは違い、ココロは個体に内在する何ものかであると考えられた。むしろ、外界との関係において初めて知覚されるものがココロだった。「心」に接続する枕詞に「群肝(むらきも)の」「肝(きも)向ふ」がある。これは、どうやら、心臓の鼓動を心の動きとして知覚したところに生まれた枕詞であるらしい。 

~『万葉語誌』から抜粋引用

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