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巻第17(索引)万葉集(掲載歌の索引)古典に親しむ

『万葉集』巻第17-3949~3951

訓読

3949
天離(あまざか)る鄙(ひな)にある我(わ)れをうたがたも紐(ひも)解(と)き放(さ)けて思ほすらめや
3950
家にして結(ゆ)ひてし紐を解き放けず思ふ心を誰(た)れか知らむも
3951
ひぐらしの鳴きぬる時は女郎花(おみなへし)咲きたる野辺(のべ)を行きつつ見べし

意味

〈3949〉
 遠い田舎にいる私を、決して打ち解けてお思いになっては下さらないのでしょうね。
〈3950〉
 家で妻が結んでくれた紐を、解いて開けることなく思いつめている心を、誰が分かってくれるでしょうか。
〈3951〉
 ひぐらしの鳴いている時は、女郎花の咲いている野辺を行きながら見られるがよい。

鑑賞

 前の歌(3943~3948)の続きで、3949は、家持の歌がずいぶん堅く改まったものだったので、池主がそれを訝しんで答えています。「天離る」は「鄙」の枕詞。「うたがたも」は、決して。「紐解き放けて」は、衣服の紐を解き放してで、ここは打ち解けくつろいでの意。「思ほすらめや」の「らめ」は現在推量、「や」は反語。お思いになっているでしょうか、そうではありますまい。家持が都の妻のことしか念頭にないような歌い方をしているので、どうせ田舎者の私なんぞに対しては、という気持を込めたものとされます。同じ「紐を解く」という言葉を使いながら、家持は妻を思って他の女性と関係しない意に用いているのに対し、池主は打ち解けてくつろぐ意に用いて、やや皮肉っぽく言っているものです。

 
3950は、さらに家持が答えた歌。「誰れか知らむも」の「か」は反語、「も」は詠嘆。家持は、私が紐を解き放けず思うのはあなたではなく妻であって、その心は誰も知らないでしょう、と弁解しています。窪田空穂は、「礼としてそういわずにはいられなかったろうが、そう思うところに、ますます家持の風貌の浮かぶ歌である。宴歌としてはすでに脱線している趣がある」と述べています。

 
3951は、大目(だいさくわん)秦八千島(はだのやちしま:伝未詳)の歌。大目は国司の四等官で、池主の下の官。家持と池主のやり取りが堅苦しくなっていくのを引き取って、二人に柔らかく歌いかけ、紐についての応酬を終わらせようとしたものと見え、一連の歌の冒頭の女郎花に主題を戻しています。このような配慮と歌い方ができた八千島は、おそらく家持や池主より年長だったと思われます。
 


国司について

 国司は、律令制において中央から派遣され、諸国の政務を司った地方官のこと。その役所を国衙(こくが)といい、守(かみ)・介(すけ)・掾(じょう)・目(さかん)の四等官のほか、その下に史生(ししょう)などの職員があった。任期は令で6年(のち4年)とされていたが、実際の平均は2年ほど。なお、守(長官)を国司と呼ぶこともある。

  • 守(かみ)
    四等官のうちの第一等官。任国の行政・司法・警察などの国務を総括する。平安時代中期には「受領」とも呼ばれる。
  • 介(すけ)
    四等官のうちの第二等官。守を補佐し、不在の際には代理を務める次官。
  • 掾(じょう)
    四等官のうちの第三等官。書記業務などを担当する。平安時代中期は現地の人を任用した。
  • 目(さかん)
    四等官のうちの第四等官。国内の取り締まりや文書の起草などを担当する。平安時代中期は現地の人を任用した。

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オミナエシ

 オミナエシ科オミナエシ属の多年生植物。北海道から九州までのほぼ日本全国および、中国から東シベリアにかけて分布しています。秋の七草のひとつに数えられ、小さな黄色い花が集まった房と、枝まで黄色に染まった姿が特徴。『万葉集』の時代にはまだ「女郎花」の字はあてられておらず、「姫押」「姫部志」「佳人部志」などと書かれていました。いずれも美しい女性を想起させるもので、「姫押」は「美人(姫)を圧倒する(押)ほど美しい」意を語源とする説があります。オミナエシを歌う歌は『万葉集』の第3期、すなわち奈良時代以降の歌にしか見られず、ようやく都市貴族化してきた人たちによって、はじめて歌材として取り上げられるようになりました。
 

古典に親しむ

万葉集・竹取物語・枕草子などの原文と現代語訳。