| 訓読 |
3969
大君(おほきみ)の 任(ま)けのまにまに しなざかる 越(こし)を治(をさ)めに 出でて来(こ)し ますら我(われ)すら 世の中の 常(つね)しなければ うち靡(なび)き 床(とこ)に臥(こ)い伏(ふ)し 痛けくの 日に異(け)に増せば 悲しけく ここに思ひ出(で) いらなけく そこに思い出(で) 嘆くそら 安けなくに 思ふそら 苦しきものを あしひきの 山き隔(へな)りて 玉桙(たまほこ)の 道の遠けば 間使(まつか)ひも 遣(や)るよしもなみ 思ほしき 言(こと)も通(かよ)はず たまきはる 命(いのち)惜(を)しけど せむすべの たどきを知らに 隠(こも)りゐて 思ひ嘆かひ 慰(なぐさ)むる 心はなしに 春花(はるはな)の 咲ける盛りに 思ふどち 手折(たを)りかざさず 春の野の 茂(しげ)み飛び潜(く)く うぐひすの 声だに聞かず 娘子(をとめ)らが 春菜(はるな)摘(つ)ますと 紅(くれなゐ)の 赤裳(あかも)の裾(すそ)の 春雨(はるさめ)に にほひひづちて 通(かよ)ふらむ 時の盛りを いたづらに 過ぐし遣(や)りつれ 偲(しの)はせる 君が心を 愛(うるは)しみ この夜(よ)すがらに 眠(い)も寝(ね)ずに 今日(けふ)もしめらに 恋ひつつそ居(を)る
3970
あしひきの山桜花(やまさくらばな)一目だに君とし見てば我(あ)れ恋ひめやも
3971
山吹(やまぶき)の茂み飛び潜(く)く鴬(うぐひす)の声を聞くらむ君は羨(とも)しも
3972
出(い)で立たむ力を無(な)みと隠(こも)り居(ゐ)て君に恋ふるに心どもなし
| 意味 |
〈3969〉
大君の仰せのままに、遠い越の国を治めるためにやって来た。ひとかどの官人である私としたことが、世の中は無常なものだから、ぐったりと床に伏す身となって、苦痛は日に日に増さるばかりなので、悲しいことをあれこれ思い出し、つらいことをいろいろ思い出して、嘆きは休まらず、思う空しさは苦しい。都とは山々を隔たっており、道は遠く、使いを遣る手だてもないので、言いたいことも伝えられない。限りある命は惜しいけれども、どうしていいか手がかりも分からず、家に引き籠っては溜め息をつき、慰める心も見あたらないまま、春の花が盛りだというのに、気ごころの合う仲間と花を手折ってかざすこともできず、春の野の茂みをくぐり抜けて鳴くウグイスの声も聞かずにいる。また、娘子たちが春の菜をつもうと、紅の赤裳の裾を春雨に美しく濡らして往き来しているだろう。そんな春たけなわの時に、いたずらに時を過ごしている。こうして心をかけて下さるあなたのお気持ちがありがたく、夜通し眠ることもできず、明けた今日も一日、お逢いしたいと思い続けています。
〈3970〉
山に咲く桜の花を、一目なりとあなたと一緒に見られたら、私がこんなに恋い焦がれることがありましょうか。
〈3971〉
山吹の茂みを飛びくぐって鳴くウグイスの、その美しい声を聞いておられるだろうあなたが、何と羨ましいことか。
〈3972〉
外に出る力もないからと家に引き籠ってばかりいて、あなたのことを恋しく思っていると、心の張りもありません。
| 鑑賞 |
3月3日、病床にある家持が、3965~3968の贈答に続き、さらに池主に贈った歌。その前に、次のような内容の序文(池主に宛てた手紙文)が記されています。――広大なご仁徳で、数ならぬこの身にご厚情をかけて下さり、計り知れない御恩情で狭い心に慰めを与えて下さいました。このように目をかけて頂き、何に喩えてよいか分かりません。ただ、幼いときに詩文の道に赴いたことがなかったので、文章はおのずから技巧に乏しいのです。少年のころに山柿(さんし)の門に出入りしたこともなく、歌を作るとき適当な言葉が見つかりません。いま、「藤(ふじ)の粗末な布を錦の織物に継ぐ」というお言葉を頂いたため、私もさらに石を玉にまぜるような拙い歌を作りました。もともと私は俗人の癖で、黙って済ますことができません。そこで数行の歌を差し上げ、お笑い種とする次第です。――
文中にある「山柿の門」は、柿本人麻呂と山部赤人による和歌の古典的規範のこと。『古今集』の「仮名序」にある「人麿は、赤人が上(かみ)に立たむことかたく、赤人は、人麿が下(しも)に立たむことかたくなむありける」という一節は、家持のこの言葉を踏まえているのではないかといわれます。一方で、「山」は山部赤人ではなく山上憶良だとする説もあり、確かに家持は大宰府にあった少年時代以来、父旅人の親しい詩友だった憶良の作には親しんでおり、また憶良を尊敬をもしていました。しかし、ここで家持は「少年のころに山柿の門に出入りしたこともなく」と言っているのであり、また、何より人麻呂と並んで仰ぎ見る先人ということでは、やはり赤人のほうが適当だと感じますが、いかがでしょうか。あるいは「山柿」の「山」は「高い、最も高い」意味だとして、人麻呂のみを指しているとする見方もあります。
3969の「任けのまにまに」は、ご任命のままに。「しなざかる」は、国名の「越」にかかる枕詞。意義や、かかり方は未詳。「しな」は階や級、品などの意、「さかる」は離れる意で、幾山坂を越えて遠く離れたの意か。一説に、品格が落ちて上下の差の大きいいなかの意とする説もあります。「ますら我すら」の「ますら」は、男が立派で雄々しいさま。「痛けく」は「痛し」のク語法で名詞形。「日に異に」は、日増しに。「悲しけく」は「悲し」のク語法で名詞形。「いらなけく」は「いらなし」のク語法で名詞形。心が痛むつらいこと。「嘆くそら」の「そら」は、気持ち、心境。「安けなくに」は「安し」の未然形に、否定「ず」の名詞形「なく」の接したもの。「あしひきの」は「山」の枕詞。「山き隔りて」は、山を隔てて。「玉桙の」は「道」の枕詞。「たまきはる」は「命」の枕詞。「思ふどち」は、親しい者同士。「春菜摘ますと」の「摘ます」は「摘む」の敬語。「にほひひづちて」は、色美しく濡れて。「偲はせる」は「偲ふ」の敬語。「うるはしみ」は、すばらしいと思って。「しめらに」は、連続して、ずっと。
3970の「あしひきの」は「山」の枕詞。「山桜花」は、山の桜花。「君とし見てば」の「し」は、強意の副助詞。「我れ恋ひめやも」の「やも」は反語で、私は恋しく思おうか、思いはしないだろう。3971の「潜く」は、間を潜り抜ける。「羨しも」は、うらやましいことだ。3972の「力を無みと」は、力が無いので。「心ど」は、しっかりとした心。

「しなざかる」の枕詞について
「しなざかる」の「しな」は階段で坂の意、「さかる」は離るで、多くの坂を隔てた遠いの国の意で「越」にかかるとされます。あるいは「しな」は上下、級の意で、都を高く、地方を低く見る意識から、上下を隔てた「越」の意でかかるとする説もあります。集中には5例あり、うち1例は大伴坂上郎女、4例は家持が用いていて、この歌が初出です。家持が創始した枕詞と見られており、「あまざかる」「ひなさかる」などをヒントにしたのだろうとされます。
~『万葉の旅・下』犬養孝著/平凡社から引用
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