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巻第17(索引)万葉集(掲載歌の索引)古典に親しむ

『万葉集』巻第17-3973~3975

訓読

3973
大君(おほきみ)の 命(みこと)恐(かしこ)み あしひきの 山野(やまの)障(さは)らず 天離(あまざか)る 鄙(ひな)も治(をさ)むる ますらをや 何か物思(ものも)ふ あをによし 奈良道(ならぢ)来通(きかよ)ふ 玉梓(たまづさ)の 使ひ絶(た)えめや 隠(こも)り恋ひ 息づき渡り 下思(したも)ひに 嘆かふ我(わ)が背(せ) 古(いにしへ)ゆ 言ひ継ぎ来(く)らし 世の中は 数なきものぞ 慰(なぐさ)むる こともあらむと 里人(さとびと)の 我(あ)れに告(つ)ぐらく 山びには 桜花(さくらばな)散り かほ鳥(とり)の 間(ま)なくしば鳴く 春の野に すみれを摘(つ)むと 白栲(しろたへ)の 袖(そで)折り返し 紅(くれなゐ)の 赤裳(あかも)裾引(すそび)き 娘子(をとめ)らは 思ひ乱れて 君待つと うら恋(ごひ)すなり 心ぐし いざ見に行かな 事(こと)はたなゆひ
3974
山吹(やまぶき)は日に日に咲きぬうるはしと我(あ)が思(も)ふ君はしくしく思ほゆ
3975
我が背子(せこ)に恋ひすべなかり葦垣(あしかき)の外(ほか)に嘆かふ我(あ)れし悲しも

意味

〈3973〉
 大君の仰せを恐れ謹んで、山や野をものともせず、この遠い田舎の国すらも立派に治めておられる大丈夫であるあなた、そんなあなたが何を心配されることがありましょうか。奈良への道を行き来する使いが絶えることなどありましょうか。家にこもって奈良を恋いため息ばかりつき、心中ひそかに嘆き続けているあなた、昔から言い継がれてきたではありませんか。この世にある人間は定まりなきものであると。気の紛れることもあろうかと、里の人が私に言うには、山のふもとには桜の花が咲き散り、貌鳥(かおどり)がひっきりなしに鳴き立てています。春の野にすみれをつもうと、真っ白な袖を折り返し、紅色の赤裳の裾を引いた娘子たちが思い乱れて、あなたのお出でを心待ちにしています。さあ一緒に見にいきましょう。約束しましたよ。
〈3974〉
 山吹が日を追うごとに咲いてきました。そのようにすばらしいと思うあなたがしきりに思われてなりません。
〈3975〉
 あなたを思うとどうしようもなく、葦の垣根の外から嘆くしかない私は、悲しくてなりません。

鑑賞

 天平19年(747年)3月、大伴池主が、病床にあった越中守大伴家持に贈った歌です。家持からの手紙に答えたもので、この歌の前に池主による、3月3日の節日に遊覧した時に作ったという四韻八句の詩(内容割愛)と、次のような意味の序文が記されています。

 「昨日つたない思いを申し述べ、今朝はまたお目をお汚しします。重ねてお手紙を頂戴しましたので、こうしてまた整わぬ文を差し上げます。死罪にあたる無礼をも顧みず。
 あなたは、私のような下賤の者をお忘れにならず、何度もお便りを下さいました。そのご文筆は星の生気に満ち、すぐれた調べは他の人を寄せつけません。水のごとき智と山のごとき仁は珠玉の光を秘め、六朝の潘岳(はんがく)や陸機(りくき)に並ぶ文才は、もとより詩文の殿堂に位せられるべきものです。発想を自由に馳せ、詩情は道理を叶えています。七歩の才(魏の曹植が七歩歩く間に詩を作った故事)そのままに手際よくお作りになった数篇が紙面にあふれています。悩める者の重い苦しみを晴らし、恋する者の積もる思いを除いてくださいます。山柿の歌泉(赤人や人麻呂の歌)もこれに比べればなきがごとくで、巧みな筆の冴えは燦然と輝いて見えます。私にはこの文に接することができた幸せがあったのだと思い知り、謹んでお答えする歌を差し上げます。その歌はこのようなものです」

 
3973の「大君命恐み」は、天皇の御命令を恐れつつしんで。この表現は奈良遷都ころから現れ、慣用されていった句。「あしひきの」は「山」の枕詞。「山野障らず」は、山や野にも妨害されずに。「天離る」は「鄙」の枕詞。「鄙も治むる」の「も」は、さえも、をも、の意。「何か物思ふ」は、何で物思いをするのですか。「あをによし」は「奈良」の枕詞。「奈良道」は、越中から奈良へ通じる街道。「玉梓の」は「使ひ」の枕詞。「使ひ絶えめや」の「や」は反語で、使いが絶えようか、絶えはしない。「隠り恋ひ」は、家に籠って奈良を恋い。「息づき渡り」は、ため息をつき続け。「下思ひに」は、心中ひそかに思い。「嘆かふ」は「嘆く」の継続。「古ゆ」の「ゆ」は、起点・経由点を示す格助詞。「告ぐらく」は「告ぐ」のク語法で名詞形。「かほ鳥」は、カッコウではないかとされます。「間なくしば鳴く」は、絶え間なくしきりに鳴く。「白栲の」は「袖」の枕詞。「うら恋」の「うら」は、心の中で、の意。「心ぐし」は、心が晴れず悩ましい意。「いざ見に行かな」の「な」は、勧誘を表す助詞。「ことはたなゆひ」は語義未詳ながら、約束の意、あるいは「ゆびきりげんまん」のような当時の呪文ではないかとされます。

 
3974の「日に日に」は、これまでは「日に異(け)に」とあるのが普通で、新しい言い方とされます。「うるはしと」は、すばらしいと。「しくしく」は、しきりに、重ね重ね。3975の「恋ひすべなかり」は、恋しくてどうしようもなく。「葦垣の」は「外」の枕詞。この歌は、葦垣が越えられぬ隔てであったことを示しています。高天原に対応する世界が葦原中国(あしはらのなかつくに)と呼ばれ、世界開闢の混沌としたなかから最初に生まれた神がウマシアシカビヒコヂ(素晴らしい葦の芽の男神)と呼ばれるように、葦は霊力が強く神聖なものとされていました。その葦で作った垣も神聖とされ、越えることが禁忌とされたのです。
 


うつくし

 ウツクシは、親子・夫婦・恋人どうしの間で、相手を慈しみたい、いたわってやりたい、大切にしてやりたいとする感情。庇護すべき対象に向かう時に生起する感情である。とりわけ子供に対してウツクシと表現する場合、そうした意味あいが強く現れる。用字が「愛」である場合、ウルハシとも訓めるが、こちらは立派に整った理想の状態への讃め言葉で区別される。

 その後、ウツクシは次第に小さなもの、可憐なもの、そこに生ずるかわいらしさを表現するようになっていく。『竹取物語』で、竹筒の中から発見されたかぐや姫が「三寸ばかりなる人、いとうつくしうてゐたり」と描かれているのは、その例。『枕草子』では「うつくしきもの」として、「瓜にかきたるちごの顔。雀の子のねず鳴きするにをどり来る。・・・雛の調度。・・・葵のいと小さき」などを挙げ、「何も何も、小さきものは、みなうつくし」とまとめている。

 ウツクシが美一般を表す現代語の「美しい」に対応するような例が現れるのは、どうやら中世に入ってからのようである。

~『万葉語誌』から抜粋引用

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