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巻第17(索引)万葉集(掲載歌の索引)古典に親しむ

『万葉集』巻第17-3983・3984

訓読

3983
あしひきの山も近きを霍公鳥(ほととぎす)月立つまでに何か来(き)鳴かぬ
3984
玉に貫(ぬ)く花橘(はなたちばな)を乏(とも)しみしこの我(わ)が里(さと)に来(き)鳴かずあるらし

意味

〈3983〉
 山はこんなに近いのに、ホトトギスよ、立夏も過ぎて月が改まるまで、どうしてここへ来て鳴かないのか。
〈3984〉
 薬玉として貫く花橘があまりに乏しいというので、この私の住む里に来てくれないのだな。

鑑賞

 大伴家持の歌。天平19年(747年)3月29日、「立夏の四月は既に累日を経て、なほ未だ霍公鳥の喧(な)くを聞かず。因りて作れる恨みの歌」2首。左注に次のような説明があります。「霍公鳥は、立夏の日に鳴くものと決まっている。しかし、越中には柑橘類がめったにない。そこで大伴家持が、土地柄の違いを心に深く感じて、かりそめにこの歌を作った」。霍公鳥が立夏の日に決まって鳴くというのは時代の心だったらしく、他の歌にも見られます。

 
3983の「あしひきの」は「山」の枕詞。「山も近きを」は、山も近いのに。「月立つまでに」は、月が変わるまで。「もう月が変わって完全な夏になってしまうというのに」という、時間の経過に対する焦りを表しています。「何か来鳴かぬ」」の「何か」は、どうして~か。「どうしてやって来て鳴いてくれないのだろうか(いや、鳴いてほしいのに)」という、じれったい恋焦がれるような気持ちが込められた結びです。

 
3984の「玉に貫く」は、薬玉として緒に貫き通す。「花橘」は、ミカン科の橘(日本固有の野生のミカン)の花。5月の節句の習俗として、菖蒲草(あやめぐさ)と花橘を糸に貫き通して薬玉にこしらえ、それを飾って邪気を払いました。「乏しみ」は「乏し」のミ語法で、乏しいので。「来鳴かずあるらし」は、やって来て鳴かないでいるらしい。2首連作となっており、前の歌で「何か来鳴かぬ」と詰問するように霍公鳥を恨み、後の歌ではすぐにその理由に思い至り、自ら納得する気持で歌っています。

 なお、歌を作ったのが3月29日なのに「立夏の四月は既に累日を経て」とありますが、「立夏の四月」は実際の月が4月というのではなく、立夏が二十四節気の「四月節気」にあたることを示しています。二十四節気は、冬至から翌年の冬至までを24等分し、奇数番目を節気、偶数番目を中気と呼び、それぞれの季節にふさわしい名を与えました。さらにそれを12か月に振り分け、「冬至 十一月中気」を0番目として、「小寒 十二月節気」「大寒 十二月中気」「立春 正月節気」・・・のように定めました。従って、実際の月齢とは直接の関係を持たなくなっています。
 


霍公鳥の故事

 霍公鳥(ホトトギス)は、特徴的な鳴き声と、ウグイスなどに托卵する習性で知られる鳥で、『万葉集』には153首も詠まれています(うち大伴家持が65首)。霍公鳥には「杜宇」「蜀魂」「不如帰」などの異名がありますが、これらは中国の故事や伝説にもとづきます。

 ―― 長江流域に蜀(古蜀)という貧しい国があり、そこに杜宇(とう)という男が現れ、農耕を指導して蜀を再興、やがて帝王となり「望帝」と呼ばれた。後に、長江の治水に長けた男に帝位を譲り、自分は山中に隠棲した。杜宇が亡くなると、その霊魂はホトトギスに化身し、農耕を始める季節が来ると、鋭く鳴いて民に告げた。また後に蜀が秦によって滅ぼされてしまったことを知った杜宇の化身のホトトギスは、ひどく嘆き悲しみ、「不如帰去」(帰り去くに如かず。= 帰りたい)と鳴きながら血を吐くまで鳴いた。ホトトギスの口の中が赤いのはそのためだ、と言われるようになった。――

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二十四節気

立春(りっしゅん) 2月4日頃(新暦)
雨水(うすい)   2月19日頃
啓蟄(けいちつ)  3月5日頃
春分(しゅんぶん) 3月21日頃
清明(せいめい)  4月5日頃
穀雨(こくう)   4月20日頃
立夏(りっか)   5月5日頃
小満(しょうまん) 5月21日頃
芒種(ぼうしゅ)  6月6日頃
夏至(げし)    6月21日頃
小暑(しょうしょ) 7月7日頃
大暑(たいしょ)  7月23日頃
立秋(りっしゅう) 8月8日頃
処暑(しょしょ)  8月23日頃
白露(はくろ)   9月8日頃
秋分(しゅうぶん) 9月23日頃
寒露(かんろ)   10月8日頃
立冬(りっとう)  11月7日頃
小雪(しょうせつ) 11月22日頃
大雪(たいせつ)  12月7日頃
冬至(とうじ)   12月21日頃
小寒(しょうかん) 1月5日頃
大寒(だいかん)  1月21日頃 

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