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巻第17(索引)万葉集(掲載歌の索引)古典に親しむ

『万葉集』巻第17-4030・4031

訓読

4030
鴬(うぐひす)は今は鳴かむと片待(かたま)てば霞(かすみ)たなびき月は経(へ)につつ
4031
中臣(なかとみ)の太祝詞言(ふとのりとごと)言ひ祓(はら)へ贖(あが)ふ命(いのち)も誰(た)がために汝(な)れ

意味

〈4030〉
 ウグイスは今に鳴くだろうとひたすら待っているうちに、霞がたなびくようになり、月は過ぎてしまいつつある。
〈4031〉
 中臣の太祝詞言を唱えて穢れを祓い、幣(ぬさ)を手向けて祈願する命は、いったい誰がためのものなのか。ほかならぬあなたのためだ。

鑑賞

 大伴家持の歌。4030は、ウグイスの鳴くのが遅いのを恨めしく思って作った歌。「今は鳴かむと」は、もう今にも鳴くだろうと。「片待つ」は、ひたすら待つ、今か今かと待ちわびる意。「月は経につつ」は、ウグイスの鳴くはずの2月が過ぎて3月になったことを言っているとされます。越中の気候に即した感慨です。「つつ」は、動作の継続や反復を表す接続助詞。

 
4031は、酒を造る歌。「中臣の太祝詞言」の「太」は美称で、中臣氏が管理して唱える立派な祝詞の意。中臣氏は代々祭事を掌り、祝詞の大半を管理してきた氏。「言ひ祓へ」は、申してお祓いをし。「贖ふ」は、金品を代償として罪や災禍を免れるようにすること。「誰がために汝れ」は、誰のためであろうか、あなたのためです。「命」は、あるいは酒の無事な発酵をいっており、最後の「汝れ」で酒に呼びかけているともいいます。

 酒を醸す際に唱えた呪歌だろうといわれますが、
窪田空穂は次のように言っています。「国庁の任務として、春の祭の御酒を醸造するにあたり、家持は守としてそれに伴う行事に連なった際、その酒から春の祭、神に対しての祈願へと、当然なことを連想するとともに、その連想は、常に恋しがっている京の妻に及び、個人的な感傷となっていっての歌と解される」。


大伴家持について

 718?~785年。大伴旅人の長男。万葉集後期の代表的歌人で、歌数も集中もっとも多く、繊細で優美な独自の歌風を残しました。

 少壮時代に内舎人・越中守・少納言・兵部大輔・因幡守などを歴任。天平宝字3年(759)正月の歌を最後に万葉集は終わっています。その後、政治的事件に巻き込まれましたが、中納言従三位まで昇任、68歳?で没しました。

 家持の作歌時期は、大きく3期に区分されます。第1期は、年次の分かっている歌がはじめて見られる733年から、内舎人として出仕し、越中守に任じられるまでの期間。この時期は、養育係として身近な存在だった坂上郎女の影響が見受けられ、また多くの女性と恋の歌を交わしています。

 第2期は、746年から5年間におよぶ越中国守の時代。家持は越中の地に心惹かれ、盛んに歌を詠みました。生涯で最も多くの歌を詠んだのは、この時期にあたります。

 第3期は、越中から帰京した751年から、「万葉集」最後の歌を詠んだ759年までで、藤原氏の台頭に押され、しだいに衰退していく大伴氏の長としての愁いや嘆きを詠っています。
 

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