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巻第18(索引)万葉集(掲載歌の索引)古典に親しむ

『万葉集』巻第18-4058~4060

訓読

4058
橘(たちばな)のとをの橘(たちばな) 八(や)つ代(よ)にも我(あ)れは忘れじこの橘を
4059
橘(たちばな)の下照(したで)る庭に殿(との)建てて酒(さか)みづきいます我(わ)が大君(おほきみ)かも
4060
月待ちて家には行かむ我(わ)が插(さ)せる赤ら橘(たちばな)影(かげ)に見えつつ

意味

〈4058〉
 橘のなかでも枝もたわわんばかりに実ったこの橘を、私はいつの代までも忘れはしない、この橘を。
〈4059〉
 橘の実が木陰を照らしている庭に御殿を建て、わが大君は酒の宴に興じておいでになることだ。
〈4060〉
 月の出を待ってから家に帰ることにいたしましょう。私どもが插頭(かざし)にしている赤くきれいな橘の実を月の光に照らしながら。

鑑賞

 4058は、元正上皇(げんしょうじょうこう)が左大臣・橘諸兄(たちばなのもろえ)の邸宅で宴を催した時、御座所近くに植えられていた橘を捉えての御製。天平16年11月頃の詠とされます。「とを」は、枝がたわむほど豊かに実がなること。「とをの橘」は諸兄の一家の繁栄をたとえた言葉。「八つ代」は、八千代、多くの年代の意。「橘」という氏は、元々その木になぞらえて賜わったものであり、非常に緊密した譬えとなっています。また「橘」の語が3度も繰り返されていることから、上皇による諸兄への絶大なる賛美と信頼が窺えます。

 
4059は、供奉していた河内女王(こうちのおおきみ)が詠んだ歌。河内女王は高市皇子の娘で、集中この1首のみ。「橘の下照る庭に」は、橘の実の輝きによってその樹下までが見える庭園のさまで、間接ながら諸兄に対する賀でもあります。「殿」は、新たに建てられた天皇の御座所のことで、行幸を仰ぐ際には清浄を期すため新築するのが習いになっていました。「酒みづき」は、酒に浸るで、酒宴を催す意。

 
4060は、同じく供奉していた粟田女王(あわたのおおきみ)が詠んだ歌。粟田女王は、家系未詳。集中この1首のみ。「赤ら橘」は、赤く色づいた橘の実で、橘家の宴に言寄せて、賛美を込めた表現。「影に見えつつ」の「影」は、月の光。帰宅のことに触れているのは、宴での結びの歌だったと見られます。

 
元正天皇は、父・草壁皇子(天武天皇の子)と母・元明天皇の長女にあたります。名は氷高皇女といい、和銅7年(714年)年9月に母の譲位を受けて36歳で即位しました。このとき、皇太子として首(おびと)皇子(のちの聖武天皇)がありましたが、まだ14歳で身体も虚弱だったらしく、一方、氷高皇女は落ち着いた考え深い人柄であり、社稷保持のため、また皇嗣候補として有力な他の諸皇子を抑えるためもあって即位に至ったとされます。その治世前半は、母上皇と藤原不比等が政権を担い、二人の死後は長屋王が担当しました。

 なお、ここの歌がこの位置に配されているのは、前にある、天平20年(748年)3月26日の、
久米広縄の館での宴(4052~4055)において披露されたことによります。伝誦者はいずれも客人の田辺福麻呂であり、福麻呂は橘諸兄の配下にあったためにこの歌を知っていました。翌3月27日の帰京を控えての送別の宴で都のことが話題になる中、特に家持と福麻呂の精神的支柱であった元正上皇や橘諸兄のことなどに話題が及び、おそらくは家持の要請によって披露したものと見られています。二人の強い絆に家持は感動し、元正上皇が健在な限り、諸兄の権勢はゆるがないと確信したことでありましょう。 


(元正天皇)

男系天皇と女系天皇

 掲題について、古典文学研究者の小名木善行氏が述べられている文章を引用させていただきます。

 ――女性が天皇になることはありますが、なぜ男系であることが重視されてきたのかには理由があります。それは、わが国では古代から「人の肉体(身)には霊(ひ)が宿る」とされてきたことによります。別な言い方をすると「肉体には必ず魂が宿る」のです。つまり女性の「身」が、赤ちゃんを産みます。その赤ちゃんに「霊」を授けるのが男性の役目です。

 すこしきわどい話になりますが、古代の考え方ですのでご容赦ください。男性は「たま」で「魂(たま)」を作ります。その「魂」を女性の胎内に挿し入れることで、女性のお腹の赤ちゃんは魂を授かります。皇統は、わが国最高の天照大御神から続く御神霊の流れです。それが天皇が国家最高権威とされる最大の要素です。ですから皇統というのは「身」の血統ではなくて、霊の血統です。そして霊は男性が授けるものですから、男系であることが天照大御神からの霊統を保持する最大の要素になります。皇位を継ぐ人が女性であっても構いません。なぜなら女性の身で生まれてきたとしても、男系の父から霊を受け継いでいれば良いからです。これが女性天皇が歴史上に存在する理由です。

 ところがその女性が、他の家系の男性と結婚して子が生まれると、その子は天照大御神からの霊統ではなく、別な霊統の霊を授かったことになります。つまり、天照大御神からの霊統が途切れます。これが女系天皇で、歴史上、わが国に女系天皇が誕生したことは一度もありません。近年ではこのことの正しさが、Y遺伝子の継続ということから理論的にも証明されるようになりましたが、古代の人たちはY遺伝子などわからなくても、それに代わる知恵と論理の構成をちゃんと持っていたのです。

 (中略)ちなみにこの仕組ですと、女性であれば、身分の上下や出自を問わず、誰でも天皇の妻になり、その日から皇族の一員となれることを意味します。一方、男性は霊統がなければ皇族になることは絶対にできません。つまりこの仕組は、女性を人として対等な存在であるとする伝統がなければ、絶対に実現することのない、ある意味、世界最古の男女平等、もしくは女性の安定的な人としての地位を公式に定めた仕組ということができます。わが国では、女性は古来、大切な存在とされてきたのです。――

~『ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』(徳間書店)から

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