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巻第18(索引)万葉集(掲載歌の索引)古典に親しむ

『万葉集』巻第18-4076~4079

訓読

4076
あしひきの山はなくもが月見れば同じき里を心(こころ)隔(へだ)てつ
4077
我が背子が古き垣内(かきつ)の桜花(さくらばな)いまだ含(ふふ)めり一目見に来(こ)ね
4078
恋ふといふはえも名付けたり言ふすべのたづきもなきは我(あ)が身なりけり
4079
三島野(みしまの)に霞(かすみ)たなびきしかすがに昨日(きのふ)も今日(けふ)も雪は降りつつ

意味

〈4076〉
 山がなければよいのに。月を見ると同じ里であるのに、山が二人を隔ててしまっている。
〈4077〉
 親愛なるあなたの家の古い垣根の内の桜の花は、まだつぼみのままですよ。一目見にいらっしゃい。
〈4078〉
 恋(孤悲)とは、本当によく名付けたものですね。どう表現してよいのか、その方法も手段も見出せないまま、途方に暮れている今の私自身の姿こそが、まさにその恋という状態そのものだったのですね。
〈4079〉
 三島野に霞がたなびいていて、それなのに、昨日も今日も雪が降り続いています。

鑑賞

 越前国の掾である大伴池主から贈られた書簡と歌(4073~4075)に対し、大伴家持が答えて贈った歌4首。4076は、題詞に「古人云はくに答ふる」とある歌。「あしひきの」は「山」の枕詞。「山はなくもが」の「もが」は願望の助詞で、山はなくなってしまえばいいのになあ。「月見れば」は、月を見ると、月を見ていると。「同じき里を」の「を」は逆接・接続の助詞(〜なのに)で、同じ越(こし)の国に属する人里なのに、の意。「心隔てつ」は、心を隔ててしまった、他人行儀に過ごしてしまっている。

 
4077は「属目発思に答へ、兼ねて遷任したる旧宅の西北の隅の桜樹を詠みて云ふ」とあり、池主が以前に住んでいた旧宅(越中在任中の官舎)の桜樹を詠んだ歌です。「我が背子が」は、私の親しいあなたの(ここでは池主を指します)。「古き垣内の」は、古い屋敷の、生垣に囲まれた庭の中の。「桜花いまだ含めり」は、桜の花が、今はまだ蕾のままである、ふくらんでいる。「含む」は、花が咲ききらずに、蕾の中に花びらを包み込んでふっくらと膨らんでいる状態を指す言葉です。完了・存続の助動詞「り」がついて、まさに今その状態であることを示しています。 「一目見に来ね」は、一目だけでも見に来てくださいな。「ね」は、親しい相手に対して「〜しておくれ」「〜しなさいよ」と優しく促す勧誘・命令の終助詞。

 
4078は「所心に答へ、即ち古人の跡を以て、今日の意に代ふる」とあり、古人の言に擬して今の気持に代えることによって所心にお答えするというもの。「恋といふは」は、恋という言葉は。「えも名付けたり」は、なんと絶妙に名付けたものだ、本当によく言ったものだ。「言ふすべ」は、言う方法、言いよう。「たづきもなきは」は、手がかりも、手段もないのは。「我が身なりけり」は、私自身の姿であったのだなあ。「けり」は詠嘆の助動詞で、今まさに自分がその状態にあるのだとハッと気づかされた、というニュアンスが含まれます。

 
4079は「更に属目」とある歌。「三島野」は、越中国府の東南、射水川を隔てて見渡される野。「霞たなびき」は、春の霞が横に長く帯のようにかかっていて。「しかすがに」は、そうはいうものの、それなのに。「雪は降りつつ」は、雪が降り続いていることだよ。「つつ」は動作の継続や反復を表す接続助詞で、ここでは文末にあって詠嘆を含んだ余韻を残す表現になっています。

「孤悲」という表記

 『万葉集』における「孤悲(こひ)」という表記は、現代の「恋」にあたる言葉に当てられた万葉仮名(借字)の一つです。この表記には、万葉人の卓越した美意識と、言葉に対する深い感性が凝縮されています。その主なポイントをいくつか挙げます。

  1. 文字に込められた表意性(視覚的ギミック)
    万葉仮名には、単に音(おん)を借りるだけの「音字」だけでなく、漢字そのものの意味を巧みに利用する「正訓字」や「戯書(ざれがき)」のような手法があります。「孤悲」はその代表例です。「孤」は、 孤独、あるいは寄り添う人がいない状態、「悲」は、 切なく胸が締め付けられるような、やるせない思いの意であり、この2文字を組み合わせることで、「独り切なく悲しむ」という、当時の「恋」の本質を視覚的に表現しています。単に「コ・ヒ」という音を表すだけでなく、文字を見ただけでその情態が心に迫るような、非常に文学的な演出です。
  2. 当時の「恋」の概念
    現代の「恋」は、きらきらした楽しさやときめきも含みますが、万葉時代の「恋」は、「離れている相手を強く想い、逢えずに苦しみ身を焦がすこと」が主たる意味でした。「乞ひ(乞うこと)」や「恋ふ(引き寄せたいと願う)」に由来すると言われるように、基本的には「手に入らないものを切望する飢餓感や痛切さ」を伴うものです。そのため、「悲」という字が当てられたのは極めて自然であり、むしろ本質を突いた表記だと言えます。
  3. 多彩な「こひ」の表記
    『万葉集』では、「孤悲」の他にも、一首の文脈や作者の感性、あるいは音韻の都合によって様々な漢字が「こひ」の音に当てられています。

    ● 恋、戀 ・・・ 意味をそのまま表す正訓。
    ● 孤悲 ・・・ 本格的な悲哀や孤独感を強調する表記。
    ● 戀ひ ・・・ 送り仮名を伴う形。
    ● 古比、去非 ・・・ 単に音を写した一音一字の万葉仮名。

    これらの中でも「孤悲」は、山部赤人や大伴家持をはじめ、多くの歌人たちによる「相聞歌(そうもんか=恋の歌)」において、その切なさをより引き立てるために効果的に選択されています。

 万葉人は、声に出したときの響き(言霊)だけでなく、木簡や紙に記された文字の「姿」からも感情を伝えようとしていました。「孤悲」という表記は、まさにその文字文化の極みと言えるものです。

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