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巻第18(索引)万葉集(掲載歌の索引)古典に親しむ

『万葉集』巻第18-4085~4088

訓読

4085
焼太刀(やきたち)を砺波(となみ)の関(せき)に明日(あす)よりは守部(もりへ)遣(や)り添へ君を留(とど)めむ
4086
あぶら火の光に見ゆるわが縵(かづら)さ百合(ゆり)の花の笑(ゑ)まはしきかも
4087
灯火(ともしび)の光りに見ゆるさ百合花(ゆりばな)ゆりも逢はむと思ひそめてき
4088
さ百合花ゆりも逢はむと思へこそ今のまさかもうるはしみすれ

意味

〈4085〉
 焼いて鍛えた太刀、その太刀を研ぐという砺波の関に、明日からは番人を増やして、あなたにゆっくり留まっていただきましょう。
〈4086〉
 燈火に照り映える我らのかづら、このかづらの小さな百合の花の何とほほえましいことよ。
〈4087〉
 灯火の光に揺れて見える百合の花、そのゆりではないが、将来もきっとこうして逢おうと思い始めました。
〈4088〉
 百合の花、その花のように、将来もきっと逢おうと思うからこそ、今の今もこうして親しませていただいているのです。

鑑賞

 4085は、天平勝宝元年(749年)5月5日、東大寺の占墾地使(せんこんじし)の僧(そう)平栄(へいえい)らをもてなした時、大伴家持が酒を僧に贈った歌。「占墾地使」は、寺院に認められた開墾地(荘園)の所属を確認する使者で、この時期、平栄らは越中に入って活動していました。東大寺や中央貴族の墾田地(荘園)を占有するため、国守の家持にもその行政力が期待されていました。家持が在任中に成立した越中国内の東大寺荘園は、天平21年(749年)4月1日詔書の「寺院墾田地許可令」にもとづき、射水郡4か所、砺波郡1か所、新川郡2か所の合計7か所から始まっています。「平栄」は、後に東大寺の寺主(三綱の次席)となり、天平勝宝の末年から天平宝字初年にかけて、上座(しょうざ:三綱の主席)になった人。

 「焼太刀を」は、焼太刀を研ぐ意で「砺波」に掛かる枕詞。「焼太刀」は、何度も焼き鍛えた太刀。「砺波の関」は、越中と越前の国境にあった関。「守部」は番人、ここでは関所の役人。関を守り固めて通さぬと述べることによって、強い惜別の情を示したものです。なお、この5月5日の歌の直後から、家持の歌泳は、俄かに長歌が多くなり、その題材も公的な面が目立つなど、大きな変貌を見せ始めていることが指摘されています。家持は平栄から、元正上皇の他界、改元、金(こがね)の発見等々、移ろいの激しい都の様子を聞かされ、心を昂らせた家持に大きな心境の変化があったのだろうと推測されています。僧平栄との接触は、歌人家持にとって意外に大きな出来事だったのかもしれません。

 4086~4088は、天平感宝元年(749年)5月9日、「国府の庁の役人たちが少目(しょうさかん)
秦伊美吉石竹(はだのいみきいわたけ)の館に集まって宴会を開いた。そのとき、主人が百合の花縵(はなかずら)を3枚作って高坏(たかつき)の器に重ねて載せ、客人たちに贈った。各々がその縵を詠んで作った」とある3首。「少目」は国司の四等官で、従八位下相当官。天平宝字8年(764年)10月、藤原仲麻呂討伐の功により、正六位下から外従五位下、宝亀5年(774年)3月に飛騨守、同7年3月に播磨介になった人です。

 
4086は、大伴家持の歌。「油火」は、油に灯心を浸して灯す明かり。油は、胡麻・椿・榧(かや)の実・魚などから採りました。「我がかづら」の「我」は、我々の意。「さ百合」の「さ」は接頭語で、ここでは「小さい、細い」の意味で使われているようです。「ゆり」には、未来、後(のち)とかの意味もあります。「笑まはし」は、ほほえましく感じられるさま。斎藤茂吉はこの歌を評し、「結句の『笑まはしきかも』は、美しくて楽しくて微笑せしめられる趣である。美しい花をあらわすのに、感覚的にいうのも家持の一特徴だが、『あぶら火の光に見ゆる』と言ったのは、流石に家持の物を捉える力量を示すものである」と言っています。また、作家の田辺聖子は、「百合の花は花弁に厚みがあるので、『あぶら火』につややかに映えたことであろう。『笑まはしきかも』は百合を見るからに笑みがこぼれるというような感じで、男同士の気どらぬ宴のたのしさに満悦する心持も含まれているかもしれない。彼らは酒神(バッカス」のように、花の冠をかぶって盃を挙げたのであろうか」と述べています。

 
4087は、介(すけ:次官)の内蔵伊美吉縄麻呂(くらのいみきなわまろ)の歌。上3句は「ゆり」を導く同音反復式序詞。「ゆりも逢はむと」の「ゆり」は、後にはの意で、今は逢えないが後にはきっと逢おうと、の意。今親しく皆が逢っているこの場面には合わない言い方ですが、作者としては、今日の今の楽しみを今後も続けたい意で言ったものとされます。

 
4088は、家持が唱和した歌。「さ百合花」は、同音で「ゆり」にかかる枕詞。「今のまさか」の「まさか」は、現在の意の古語で、同意語を重ねて強調したもの。「思へこそ」は「思へばこそ」の意。「うるはしみすれ」の「うるはしみす」は、形容詞「うるはし」のミ語法に「す」を添えて動詞化したもの。「すれ」は、上の「こそ」の係り結びで已然形。「うるはし」は、気高いまでに整った美しさを讃える表現。窪田空穂は、「上の繩麿の歌に和える心をもって詠んでいるものである。繩麿の歌に対しては、主人の石竹が挨拶するのが自然であるが、主賓の家持が代わってした形のものである。繩麿の歌と内容は異ならないが、その無骨なのを柔らげて、愛想のあるものに言いかえている」と述べています。

 主人の
石竹の歌がないので、どのような性質の人物だったかは分かりませんが、宴席でのもてなしの内容から、下僚役人とはいえ、風流を解する真率な人柄が窺えます。これらの歌からは、仕事をこえた男の友情が感じられ、家持にとってもお気に入りの下僚だったかもしれません。

越中ゆかりの人たち

家持の部下
介(すけ:国庁の次官)
内蔵伊美吉縄麻呂(くらのいみきなわまろ)
掾(じょう:国庁の三等官)
大伴池主(おおとものいけぬし) 家持の同族
久米広縄(くめのひろなわ) 池主の後任
大目(だいさかん:国庁の四等官)
秦八千島(はだのやちしま)
高安種麻呂(たかやすのたねまろ) 八千島の後任
少目(しょうさかん:国庁の四等官)
秦伊美吉石竹(はだのいみきいわたけ)
史生(ししょう:下級の書記官)
尾張少咋(おわりのおくい) 遊行女夫婦の左夫流と浮気
土師道良 (はにしのみちよし)

都の人
田辺福麻呂(たなべのさきまろ) 橘諸兄の使者として来訪
平栄(へいえい) 東大寺の僧。占墾地使として来訪

遊行女婦
土師(はにし) 福麻呂接待のための布勢の水海の遊覧に同行
蒲生娘子(がもうのおとめ) 縄麻呂の館で開かれた雪の宴に同席
左夫流(さぶる) 尾張少咋の浮気相手

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古典に親しむ

万葉集・竹取物語・枕草子などの原文と現代語訳。