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巻第18(索引)万葉集(掲載歌の索引)古典に親しむ

『万葉集』巻第18-4119~4121

訓読

4119
いにしへよ偲(しの)ひにければ霍公鳥(ほととぎす)鳴く声聞きて恋しきものを
4120
見まく欲(ほ)り思ひしなへにかづらかけかぐはし君を相(あひ)見つるかも
4121
朝参(てうさん)の君が姿を見ず久(ひさ)に鄙(ひな)にし住めば我(あ)れ恋ひにけり [一云 はしきよし妹(いも)が姿を]

意味

〈4119〉
 遠い昔から人々が愛してきたものだから、ホトトギスの鳴き声を聞くと、懐かしくて仕方がない。
〈4120〉
 お逢いしたいと思っていた、ちょうどその折りに、かづらをつけた懐かしいあなたにお逢いすることができました。
〈4121〉
 朝廷に出仕しているあなたの姿をお見かけせず、長らく鄙の地に住んでいたので、恋しくてなりませんでした。

鑑賞

 大伴家持の歌。4119は、前の久米広縄歓迎の宴が行われた翌日の28日に、ホトトギスが鳴くのを聞いて作った歌。宴の席上での歌かともいわれ、その折の長反歌(4116~4118)に対する別種の反歌とも言える内容になっています。「いにしへよ」の「よ」は、起点を示す「より」の意で、遠い昔より。「偲ひにければ」の「偲ふ」は、過去のことや遠く離れた人を愛おしく思い起こす、恋い慕う。「恋しきものを」の「ものを」は、詠嘆・余情を含んだ接続助詞(〜であることよ、〜なのに)。切ない情念が余韻として残る結句です。

 4120・4121は、京に向かう時に貴人にお目にかかり、また、美人に逢って飲宴する日に備えて、思いを述べ、あらかじめ作った歌。
4120の「見まく」は「見む」のク語法で、見ること、見るだろうこと。「なへに」は、ちょうどその時。「かづら」は、縵の冠、髪飾り。「かぐはし」は、懐かしい。「君」は、貴人である男。4121の「朝参」は、朝廷に官人として出仕すること。その日の政務の開始に先立ち、天皇の御前に列立して行う礼。「鄙」は、都から遠い地方。ここでは越中。一云の「はしきよし」は、ああ愛しい。一云にある「妹」は、前記の「美人」を指します。家持がどのような任務で上京しようとしていたのかについては、久米広縄の帰任に触発され、今年の大帳使として自ら上京しようと計画していたのかもしれないと推察されています。

 なお、この年(749年)4月14日、
聖武天皇は東大寺に行幸し、大仏拝礼の儀を終えて、左大臣従一位橘諸兄に正一位を授け、大納言従二位藤原豊成を右大臣に列しました。橘諸兄がついに人臣最高位に昇ったわけですが、それよりも藤原豊成が右大臣に任ぜられたこと、即ち天然痘によって藤原4兄弟が倒れた後、若い藤原氏がついに大臣に到達した意義は大きいものでした。政治の実権のバランスは、確実に諸兄から再び藤原一族に傾きつつあったと言えます。

 そして、7月2日に、聖武天皇は皇太子阿倍内親王に譲位し、
孝謙天皇が即位しました。かねて病気がちだった聖武天皇は、大仏開眼の見通しがついたところで譲位の決意をしたのでしょう。これに合せ、参議藤原仲麻呂が中納言を経ずして大納言に任ぜられました。仲麻呂は孝謙女帝の寵臣だったのです。8月になり、仲麻呂は新たに設置された紫微中台(しびちゅうだい)という役所の長官(紫微令)を兼任することとなりました。紫微中台は、光明皇后に付属する皇后宮職(こうごうぐうしき)を組織変えしたもので、孝謙天皇・光明皇太后・仲麻呂が三つ巴に組んだ強力な政治機構を作り上げたことになります。

孝謙天皇即位と藤原仲麻呂の台頭

 聖武天皇は、平城京還都後に体調不良が続き、仏教への専心を願うようになります。749年1月に行基を師として光明皇后と共に受戒して出家。同年7月には皇太子だった阿倍内親王に譲位し、孝謙天皇が即位します。即位間もない新天皇を後見するのは本来は太上天皇(譲位した元天皇)の役割ですが、病がちの聖武太上天皇には無理がありました。その代わりに後ろ盾となったのが光明皇太后でした。

 光明皇太后は、孝謙天皇即位の正当性を担保するため、皇后の家政機関である皇后宮職(こうごうぐうしき)を紫微中台(しびちゅうだい)に改称。皇后の命令で軍を動かすことができる軍事機能を付加し、太政官に匹敵する数の官人を配置するなど、国政執行に必要な権限を集約し、反対派の抵抗を抑えようとしました。そして、これによって政治の実権を握ったのが、紫微中台の長官(紫微令)に任じられた藤原仲麻呂です。

 藤原仲麻呂は、藤原南家・武智麻呂の次男で、光明皇太后の甥にあたります。天然痘の大流行によって父という政治的後ろ盾を失いますが、急ぎ有能な官僚を補充する必要が出たことにより昇進して実力を発揮。740年以降は毎年のように位階を上げていきます。そして紫微中台が設置されると、仲麻呂は式部卿・紫微令・中衛大将を兼任。孝謙天皇を後見し、橘諸兄など反藤原勢力を圧倒する体制が成立したのです。

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