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巻第18(索引)万葉集(掲載歌の索引)古典に親しむ

『万葉集』巻第18-4135~4138

訓読

4135
我(わ)が背子(せこ)が琴取るなへに常人(つねひと)の言ふ嘆きしもいやしき増すも
4136
あしひきの山の木末(こぬれ)のほよ取りて挿頭(かざ)しつらくは千年(ちとせ)寿(ほ)くとぞ
4137
正月(むつき)立つ春の初めにかくしつつ相(あひ)し笑(ゑ)みてば時じけめやも
4138
薮波(やぶなみ)の里に宿(やど)借り春雨(はるさめ)に隠(こも)りつつむと妹(いも)に告げつや

意味

〈4135〉
 あなたが琴を手にされるや否や、世間の人たちの嘆き声がますます強く聞こえてきます。
〈4136〉
 山の木々の梢から、ほよを取って挿頭にしているのは、千年の寿命を祝ってのことだという。
〈4137〉
 正月が来た春の初めに、このように互いに笑みを交わしているのならば、まことに時宜を得たことではないか。
〈4138〉
 薮波の里で宿を借りたところに、春雨に降りこめられている。このことを誰か妻に告げてくれただろうか。

鑑賞

 大伴家持の歌。4135は、少目(しょうさかん)秦伊美吉石竹(はだのいみきいわたけ)の館で宴をしたときに作った歌。「少目」は、国司の四等官。主人の石竹が興を添えようとして弾いた琴に対し、客の家持が、挨拶として詠んだ歌です。よい音楽を聴いて憂愁を感ずるというのは、大陸の文学思想によって開かれた情趣だといいます。「我が背子」は、主人の石竹のこと。宴席においては、恋歌めかして男同士がこう呼び合うことが多くあります。「なへに」は、とともに、につれて。「常人」は、世の常の人。「いやしき増すも」の「いや」は、ますます、「しき」は、重なって。

 なお、「常人の言ふ嘆き」について、
伊藤博は次のように言っています。「巻7-1129に『倭琴を詠む』と題して、『琴取れば嘆き先立つけだしくも琴の下樋に妻やこもれる』という歌がある。今の歌にいう『常人の言ふ嘆き』とはこれをさして言ったものであろう。すくなくとも、『琴取れば嘆き先立つ』というのは当時の俚言のごとき言葉で、それを踏まえての詠であることはまちがいなかろう」。一方、1129を、妻を亡くした大伴旅人の作と推定する見方もあり、もし旅人の作ならば、家持は遠く父の嘆きに思いを馳せたのではないかとも感じられます。

 
秦伊美吉石竹は、4086でも自身の館で飲宴を催している人です。集中に歌はありませんが、天平宝字8年(764年)10月、藤原仲麻呂討伐の功により、正六位下から外従五位下に昇叙、宝亀5年(774年)3月に飛騨守、同7年3月に播磨介になっています。4086の宴での百合の花縵のあつらえといい、ここの歌での琴弾きといいい、下僚役人とはいえ、風流を解する真率な人柄だったことが窺えます。

 
4136は、天平勝宝2年(750年)正月2日に、国庁で諸郡司らを饗応した宴で作った歌。律令では、元日に国司は同僚・属官や郡司らをひきいて朝拝することとされており、越中国でもその儀を実施し、その翌日に宴が催されたようです。「あしひきの」は「山」の枕詞。「木末」は、梢。「ほよ」は、落葉高木に寄生するヤドリギ。挿頭にして身に着けると長寿が得られるとされていました。「挿頭しつらくは」の「つらく」は、完了の助動詞「つ」のク語法で名詞形。挿頭にしているのは。「千年寿くとぞ」は、千年の命を願い、予祝する意。

 
4137は、同月5日、判官(はんがん)久米朝臣広縄(くめのあそみひろなわ)の館で宴をしたときに作った歌。「判官」は「掾(じょう)」と同じで、は国司の三等官。「かくしつつ」は、このようにして。「相し笑みてば」は、互いに笑みを交わしているのならば。「時じく」は、時宜にかなう。「めやも」は、反語。

 
4138は、墾田地を検察するために、礪波郡(となみのこおり)の主帳(しゅちょう)多治比部北里(たじひべのきたさと)の家に宿泊し、にわかに風雨が起こって帰れなくなったときに、京から越中に来ていた妻・大嬢に向けて作った歌。多治比部北里は、礪波郡東部に拠点をおく地方豪族の一員。「墾田地」は、東大寺や橘奈良麻呂のものを指すとみられます。「主帳」は、郡の四等官。「薮波の里」は、礪波郡の地ながら所在未詳。「妹」は、越中国府の家持館に留守を守る妻坂上大嬢と見られます。家持はこれより前に大帳使として上京し、妻を伴って帰任したとみられ、この年の3月以降の歌に大嬢がしばしば登場します。

高岡市万葉歴史館

同館のホームページから)

 『万葉集』の代表的歌人であり編者ともされる大伴家持は、746年から約5年間、越中の国守として、国庁が置かれた現在の高岡の地に在任しました。家持やその部下の官人たちは、越中を舞台に300首以上もの歌を今に伝えています。これらの詩情あふれる歌の数々は「越中万葉」として、私たちに多くのことを語りかけてくれます。

 高岡市万葉歴史館は『万葉集』を中心テ-マに据えた初めての研究施設として平成2年(1990)10月に開館しました。当館では『万葉集』や「越中万葉の世界」を楽しみながら学んでいただける常設展示や企画展示を行っています。また、『万葉集』とその時代を探求するため関係資料の収集・整理し閲覧できるようになっています。そして、その研究成果を全国に発信しています。
 

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